第2話 「合宿」初日の衝撃
2025年12月27日。
世間一般では冬休みの初日となるこの日、相沢蓮の住むマンションのドアホンのベルが鳴った。
「おはようございます、相沢さん! 『合宿』の資材、搬入しますね」
モニター越しに現れた小野結菜は、まるで戦場に向かう衛生兵のような決意に満ちた顔をしていた。その手には大きなキャリーケースと、スーパーの袋が二つ。
オートロックを解除し、玄関を開ける。
「いらっしゃい。……ずいぶん大荷物ですね」
「一週間生き延びるための必需品ですから」
結菜は「お邪魔します」と礼儀正しく靴を揃え、リビングへと足を踏み入れた。そして、三歩進んだところでピタリと止まった。
「……相沢さん」
「はい」
「冷蔵庫の中ですか、ここは」
蓮は室温計を一瞥した。
「現在は13度です。着込めば問題ありません」
「問題大ありです! 体温が下がると免疫力も下がって、医療費がかかるリスクが高まりますよ」
結菜は呆れたように溜息をつくと、キャリーケースをバカっと広げた。中から出てきたのは着替えではなく、モコモコとした毛布のような物体と、タッパーに入った大量の食材だった。
「まずは室温の最適化です。これ、持参した『着る電気毛布』。貸してあげます」
「え、あ、ありがとうございます……」
渡された毛布を羽織ると、じんわりとした熱が背中に伝わる。
「それと、暖房つけましょう。20度設定で。私が持ってきた食材を使えば食費は十分浮きますから、その分を電気代に回してください」
彼女のテキパキとした指示に蓮はただうなずくことしかできなかった。普段は自分がプロジェクトを管理する側だが、この生活の現場監督は彼女らしい。
***
夕方。
部屋の中にはこれまで蓮の部屋には存在しなかった「香り」が充満していた。出汁の優しい匂いだ。
キッチンに立つ結菜は冷蔵庫に残っていたしなびたキャベツと、持参した根菜類を次々と鍋に投入していた。
「すごいですね」
ダイニングテーブルでノートPCを開いていた蓮が感嘆の声を漏らす。
「あの死にかけていたキャベツが戦力として復活している」
「煮込めばみんな一緒です。フードロス削減は家計の防衛ですから」
結菜が笑いながら鍋をかき混ぜる背中を見ながら、蓮は手元のキーボードを叩いた。
ただ見ているだけでは「割り勘」の精神に反する。蓮には蓮の果たすべき役割があった。
「小野さん、スマホとタブレット、動作が重いと言っていましたよね」
「あ、そうなんです。買い替え時期かなって思ってるんですけど、高くて……」
「買い替える必要はありません。バックグラウンドで不要なアプリが大量にメモリを食っていました。キャッシュの削除と設定の最適化を行いました。あと、自宅のWi-Fiルーターの設定も見直して、通信速度を三倍にしておきました」
蓮が整備し終えたタブレットを渡す。
結菜はお玉を持ったまま画面をスクロールし、目を丸くした。
「えっ、速っ! ヌルヌル動く! え、魔法ですか?」
「いえ、論理的なメンテナンスの結果です。これで動画レシピを見る時のストレスもゼロになります」
「すごーい! 私、こういうの全然わからなくて……相沢さん、頼りになりますね!」
結菜の屈託のない称賛に蓮は少しだけ胸を張った。
会社では当たり前のスキルでも、ここでは「魔法」として感謝される。それは予想以上に自尊心を満たしてくれるものだった。
***
19時。
テーブルには湯気を立てる『冬野菜と鶏肉の和風ポトフ』が並んだ。
蓮の部屋にある無機質な食器も、彩り豊かな料理が盛られると、急に生活感のある温かいものに見えた。
「いただきます」
二人で手を合わせる。蓮はスープを一口啜った。
「……!」
衝撃が走った。
コンビニ弁当や栄養補助食品で構成されていた蓮の細胞が歓喜の声を上げているようだった。野菜の甘みと鶏肉の旨味。塩分は控えめなのに深いコクがある。
「どうですか? 残り物で作ったので味は保証できませんけど」
心配そうに覗き込む結菜に蓮は真顔で答えた。
「……計算外です」
「えっ、不味かったですか?」
「いえ、逆です。食材コスト数百円で、このクオリティが出せるとは。費用対効果が良すぎて、バグかと思いました」
「ふふ、また大袈裟な」
結菜がコロコロと笑う。
温かい部屋。美味しい食事。そして、目の前で笑う人。
これまでの蓮の生活は確かに「効率的」で「無駄」がなかった。けれど、この空間に流れる空気の豊かさはどうだ。
結菜もまた、リラックスした表情でタブレットを見ている。
「サクサク動くタブレットで映画見ながら、温かいご飯……ここ天国ですね。私の部屋、Wi-Fi遅いし寒いし、一人だとご飯作る気力もなくて」
「僕もです。部屋のスペックを活かしきれていませんでした」
二人の視線が合う。
言葉にはしなかったが、お互いの頭の中に同じ結論が浮かんでいた。
――この「合宿」、一人でいるより、はるかに効率的で快適だ。
この夜、蓮は久しぶりに電気毛布の温もりの中で泥のように深く眠った。
翌日以降、この「快適な共生」がさらに加速することになるとは知らずに。




