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愛馬を連れ出すために、急いで屋敷に戻った。
ちょうど武具の積み込みを終えて、イルイザ大森林にむけて出発しようとするジルにあったけれど。
説明している時間も惜しかったので、ほとんど言葉を交わすことなく愛馬にまたがって屋敷をでた。
「最短距離でエヴァンの元まで案内してちょうだい」、とお願いした通り、エヴァンの召喚獣は道なき道を走っていく。
風のように早い。
一度もこちらを振り返ることなく、迷いなく進んでいくその背中がエヴァンを思い起こさせた。
必死でその姿を追いかける。
普通の令嬢であればとても進めないような道を。
風魔法を駆使して、速度をあげて追いかけた。
どれくらい走ったのか。
前方に大きな森が見えてきた。
特徴的な紫色の葉を繁らせた大きな木々。
一度も来たことはないけれど知っている。
あの木が群生しているのは、この辺ではイルイザ大森林しかない。
イルイザ大森林。
認識した瞬間、ぐわっと体中の血液が燃え上がったような気がする。
「エヴァン!」
エヴァンが今どういう状態なのかわからない。
状況から考えて、相当に危険な状態なのは間違いない。
けれどそれでもまだここに、彼の召喚獣がいる。
まだエヴァンは生きている。
間に合った。
安堵でまた涙が混み上がってきて。
わたしは歯を食いしばり、意地でそれを押し止めた。
泣いている時間がどこにある。
いったいここに何をしに来た。
エヴァンを助けるためだろう。
泣いていてどうする。
転がるように愛馬の背から下りて。
クロの先導に従って、森の中を進んでいく。
そして。
「エ、ヴァ……」
わたしは初めてその悲惨な現状を目の当たりにした。
話に聞いていたアンデッドの姿は一体も見当たらない。
それでも一目でわかる。
ここがどれほの激戦地だったか。
ぐちゃぐちゃに踏み荒らされ地面。
根本から無惨に折られた木々。
辺りに漂う腐臭と血の臭い。
地獄を連想させるような、そんな荒れ果てた場所に。
エヴァンはいた。
たくさんの騎士達が取り囲むその真ん中に。
身につけた真っ白な騎士服は、血と泥で赤黒く染まっていて、どこもかしこもボロボロで。
青白いその顔には一切生気を感じない。
右手にはなぜだか赤いリコリスの花が一本握られていて。
そして。
地面に横たわったままピクリとも動かないその体には、どす黒い霧が呪いのように纏わり付いていた。
あれが『瘴気』だと一目でわかった。
それも相当濃い。
一体今までエヴァンは、何百体の魔物と戦っていたのか。
それも、ジルの情報が正しいのであれば、たった一人で何日も。
つーんとまた目の奥が痛んで、視界が歪む。
混み上がってきた涙を、もう一度歯を食いしばって押し止めた。
「右足! もっと強く押さえろ! 止血が出来ていない! これ以上血を失うと、失血死するぞ! 『瘴気』に触れる事を恐れるな! 国を救った英雄をこんなところで死なせる気か! 圧迫止血! それと救護班! 回復魔法が弱い!」
「申し訳ありません。 けれど『瘴気』が邪魔をして、回復魔法が思うように届かず───」
「泣き言はいい! 手を動かせ! わたしもできる限りの事はする! 皆、何としてもエヴァン様をお救いするのだ! 魔力を搾り出せ! カイル! 『瘴気』の浄化状況は!?」
「今やってます! でもこんな濃い『瘴気』、普通の光魔法じゃあとても浄化なんて────」
「なんとか頑張ってくれ! とにかく『瘴気』を払わなければ、回復魔法が届かな────うん? 君は? どこから入ってきたんだ? ここは危険だ、すぐに──……いや、待て。 まさかルナマリン公爵令嬢か? 何故こんなところに?」
現場の指揮を取っていた屈強な男性が、気配に気がついたのか顔を上げ。
わたしと目が合って、怪訝そうに眉を寄せる。
一人だけ色の違う隊服。
左腕につけられた赤い腕章。
何度か王宮で顔を合わせた事がある。
確か第三騎士団の団長、ラカン=セクター卿だわ。
警戒心をあらわにしてわたしを見つめるラカン卿にとにかく説明を、と思った瞬間。
ゴフッと不穏な音がした。
わたしの視線が、音の出所を追った。
横たわったままのエヴァンの口元が、赤く染まっている。
わたしが呆然と見つめるその先で、またゴフッと音がして。
吐き出された大量の血液が、エヴァンの口元から流れ落ち、肩口を濡らしていく。
「……………っ!」
反射的に、騎士達の輪の後ろにいるエヴァンの召喚獣を振り返った。
そして自分の体が震え上がったのを自覚する。
「……………エヴァン!」
召喚獣の体が、淡い光を放ちながら今にも消えさろうとしている。
つまり、エヴァンの命が今にも───っ!
無我夢中で走りだし、ラカン卿を押しのけるようにしてエヴァンの傍らに膝をついた。
エヴァンの体に纏わり付く、濃く強い『瘴気』。
まさに呪いと言える『瘴気』は、触れるものの皮膚を焼くばかりか、回復魔法の通りも著しく悪くする。
すぐにでも払わなければ!
これほどの『瘴気』は、普通の浄化魔法では払えない。
けれど、わたしはその方法を習得している。
エヴァンに追いつきたくて、何度も練習をしてやっと習得できた魔法。
『聖なる炎』。
それをこの一点に集中して使えば、問題なく払える。
「ねえ、エヴァン」
出会う前からその存在がどうしようもなく気になった。
出会ってからは、いつだってわたしの心の大部分を占めていて。
いつか、仮面のように綺麗なその笑顔を崩してみたくて。
自分の恋心を認められないまま、ただそれでもがむしゃらに追いかけて追いかけて。
やっと手が届いたのに、その途端にいなくなるなんて許さない。
目が覚めたなら、お望み通りその頬を力いっぱいぶん殴ってやるんだから。
だからねえ、エヴァン、お願いよ。
目を覚ましてよ。
帰ってきて。
「行かないで!」
震える腕を伸ばして、地面に横たわるエヴァンを抱き起こせば。
ジュッと音を立てて肌が爛れた。
それでも構わず、その冷たい体を抱きしめて。
「『聖なる炎』」
すでに詠唱を終えていた魔法をエヴァンにむけて解き放った。




