6ー2エヴァン2
「……ヴァン…! エ……! ……しっかり……!」
誰かの声が聞こえる。
鉛のように重い瞼を、必死で押し上げた。
『僕はまだ……生きている?』
信じられない。
『瘴気』を払うために使った『聖なる炎』の魔法で、確かにエヴァンは命全部を使いきったはず。
何度計算して見ても、自分が助かる未来なんて出てこなかったのに。
なのにそれでも確かに自分はまだ生きている。
なぜ、と霞む視界のまま辺りを見渡して。
倒れた自分を取り囲む、騎士達の後ろ。
おそらく今までエヴァンが立っていたであろう場所に、『それ』が静かに浮かんでいるのが見えた。
輝きを失い、真っ黒に染まった小さな宝石。
「まだ試作段階だけど、あなたにあげるわ。 お礼の一部にすらならないだろうけど」
照れ臭そうに顔を歪めた彼女に、それを貰ったのは、おおよそ三年前。
彼女の弟ジルベルトを救ったお礼に、と渡された宝石は七色の神秘的な光を宿していた。
一目で、何か特別な力を宿しているとわかったけれど、結局何に使うものかまでは教えてもらえなかった。
それでも彼女に貰ったものだからと、常に肌身離さず持ち歩いていたわけだけれど。
『魔力を宿した【魔力石】だったのか』
魔力を他の何かに宿して、留めておける手段は今のところ確立されていない。
それを彼女は、やってのけたのだろうか。
もしかして弟と立ち上げる事業、とはあの【魔力石】のことだろうか?
エヴァンが見つめる先で、真っ黒に染まったその宝石は、役目が終えたとばかりにビシリとひび割れ、そのまま粉々に砕け散った。
事業のことまではわからないけれど、あの石のおかけでエヴァンの命が繋がったことは確かだろう。
魔法を発動させるのに足りていなかった魔力を、あの宝石に込められた魔力が補ってくれた。
そのおかげで生命力を持って行かれずにすんだ。
彼女が、エヴァンを救ってくれた。
『ああ、本当に。 惚れなおしてばかりだよ…』
自分ばかりが溺れるように毎日毎日惚れなおしていて、本当に嫌になる。
この十分の一、いや百分の一でもいいから、彼女も自分のことを好いてくれればいいのに。
そうしたら、誰よりも何よりも一番、彼女を大事にしてみせるのに。
…………けれど、もうそんな機会は二度と巡ってこない。
「エヴァンさま! お気をしっかりお持ちください! 今治療師が来ます! それまで決して目を閉じないで! お辛いでしょうが、そのまま意識を保っていてください!」
自分の体が、誰かに抱き起こされたのがわかる。
騎士団の人間なら、全員顔と名前を知っているはずなのに、それが誰なのかがわからない。
目が霞む。
呼吸が苦しい。
「エヴァン様! そのまま、目を開けていてください! 意識を保って!!」
「清潔な布を大量に持ってこい! それと薬!!」
「右足と右脇腹の出血が特にひどい! おい、止血剤はまだか!」
「同時に回復魔法を重ねがけしろ!」
『触る、な』
必死で自分を助けようと動く騎士達にそう告げたはずなのに。
声は音にはならず、喉はヒューッと不快な音を出す。
────僕の体に触れるな。
エヴァンの体は『瘴気』まみれだ。
先ほどの広範囲での魔法では、とても払いきれないくらい。
これほど濃い『瘴気』は生命力を喰うし、触れれば肌を焼く。
今エヴァンの体を抱き起こしている騎士も、きっとただでは済んでいない。
一ヶ月もエヴァンの我が儘に付き合ってくれた。
昼夜を問わず、エヴァンの戦いをサポートし続けてくれた。
気のいい人間ばかりだと知っている。
誰一人かけることなく、大事な人の元に帰ってほしい。
だから。
『離れろ』
必死で口を動かしてみたが、やはり声が出てくることはない。
「エヴァン様! エヴァン様、どうか気をしっかり持って! 必ずお助けします! 必ず助けますから、どうか目を開けていてください!」
「傷の手当と同時に『瘴気』対策を! フィリー、ビビ、カイル!」
「もうやってますよ! でも余りに『瘴気』が濃すぎて手がだせ────」
「泣き言をいうな! わたしは右脇腹の止血に回る! 誰か、右足を圧迫止血!」
「担架はまだか! 早くテントに運んで────」
「いや、今動かすのはかえって危険だ。 移動時間も惜しい! このまま出来うる限りの治療をしよう」
「団長、清潔な布と湯です」
「よし、その布で右足を押さえろ! 手のあいているもの誰か一人、王城に行って、神官様を呼んでこい!」
バタバタと、エヴァンの周りを人が歩き回る気配がする。
誰もが一心に、エヴァンを助けるために動いてくれているのだとわかる。
けれど、もう、いい。
王都までこの体が持つとは思えない。
王都から『瘴気』を払うための神官がこちらに派遣されたとしても、この体はその到着まで持たないだろう。
仮に、持ったとしても。
どの道これほど濃い『瘴気』を払える神官なんていない。
そこまで思って。
唯一それを成し遂げられる女性の姿が、頭の中に浮かんだ。
白銀色の髪に、良く晴れた夏の空のような目をした美しい女性。
負けず嫌いで、怖がりで、少し思い込みが激しくて。
でも何事にもひたむきで一生懸命な───。
『ああ、やだやだ。……もう考えないようにしてたのに』
なのに、彼女の姿ばかりが頭に浮かぶ。
「シーツを体の下に入れ込むぞ。 エヴァン様、少し体を動かしますね」
怪我の処置のためか、体を動かされた拍子に”それ"が見えた。
倒れているエヴァンのすぐ近く。
背後を取られないようにと、エヴァンがずっと背中を預けて戦ってきた巨木、その根本に。
踏み折られることなく、奇跡のように咲き続ける彼岸花。
彼女の好きな赤い花。
「……ア、ティ……」
思えば、花一本さえ贈ったことがなかった。
今更手を伸ばしたところで、もう遅い。
こんなエヴァンが贈ったものなんて、きっと受け取ってももらえない。
わかっているのに、それでも気がつけば傷だらけの腕を伸ばしていた。
「エヴァン様!? どうしました? ……花? これですか?」
フルフルと震えるだけで、花を手折ることも出来なかったエヴァンを察してか。
誰かがリコリスの花を一本折り、エヴァンの手に握らせてくれる。
アティが好きな赤い花。
手にした瞬間、強烈な思慕が混み上がった。
『情けない、ね、本当に』
別れは済ませたはずなのに、いつまでも未練たらしい自分が嫌になる。
無意識に、微かな希望に縋り付いてしまっている自分も。
そして。
こんなに大好きなのに。
最後の最後で、彼女の幸せを心から願えない自分も。
まだこんなにも大好きだから。
彼女を幸せにする役は、自分でありたいと。
他の誰にも渡したくない、と思ってしまっている自分も。
浅ましくて、愚かで、本当に嫌になる。
でも。
それでも。
「死にた、く……ない……なぁ……」
かすれた弱々しい声と同時に、涙があふれ出た。
拭うことも出来ない涙が、こめかみを伝って流れ落ちていく。
「……ア、ティ……」
ただその姿思い浮かべるだけで、冷えきった心に灯が点ったような気がする。
あきらめていた心が奮い立つような気がする。
エヴァンのただ一人。
窮屈だったエヴァンの世界をかえてくれた人。
どれだけ浅ましくても、愚か者と罵られようと。
そんな彼女と、この先も一緒に。
「……生きて、いた…い…なぁ…」
例え嫌われていても。
許さないと、口を聞いてくれなくても。
ぶん殴られても、ただ彼女の側にいたい。
………でも、もう。
「………っ! エヴァンさま! 大丈夫です! あなたはこの先も無事に生きていける! 必ず助けますから、お気をしっかり持って!!」
「大丈夫」「必ず助かります」「気をしっかり持って!」
エヴァンの意識を持たせるための呼びかけが。
すぐ近くで聞こえていたその声が、徐々にとぎれとぎれになり、やがてそれも聞こえなくなっていく。
瞼が、ゆっくりと、おりて来る。
「エヴァン様! いけません、目を閉じないで! 意識を保っていてください!」
誰かの声がとぎれとぎれに聞こえる。
けれど瞼が鉛のように重い。
もう開けていられない。
それに無性に眠たい。
どうしても抗うことができなくて。
瞼を閉じた、その先。
真っ暗な空間に、ぽつんとリコリスの花が一本咲いているのが見えた。
『リコリスの花の花言葉は確か………』
─────諦め。
自分にぴったりの言葉に苦笑が漏れる。
諦めろ。
天にまでそういわれた気がした瞬間、エヴァンの意識は暗い闇の中に沈んで行った。
「エヴァン!!」
全てを覆い尽くす闇の中、高くすんだ彼女の声が聞こえた気がした。




