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「今年も麦の出来はよさそうね」
エヴァンは来てから三週間がすこし過ぎた頃。
わたしは領地の視察に来ていた。
わたしの側に常にいる、と宣言していたエヴァンも(うっとうしいけれど)同行している。
当然のような顔をして馬車に飛び乗り、わたしの隣の席にのっそりと寝そべったときは驚いたわ。
この人、なんだか日に日に豹化してるんだけど、大丈夫なのかしら。
それはさておき。
「見事な金の絨毯だわ」
目の前に広がる美しい光景に思わず声が漏れる。
ルナマリン公爵領は麦の生産が盛んだ。
収穫間近の時期にだけ見られる、見渡す限り続く金の絨毯。
わたしは、雄大なこの景色が大好きだった。
「そうだね。 本当に美しい景色だね。 僕も、もう一度この景色を見たいと思っていたから。 ………また、見られてよかったよ」
少し後ろにいる黒豹から、そんな言葉が聞こえてくる。
ああ、そういえば、ジルを助けてもらったあの時も、丁度麦の収穫前だったわね。
あの時も、エヴァンはこの景色を褒めてくれた。
夕焼けで赤金色にそまった瞳を細めて。
『美しい景色だね』と、我が領地を称賛してくれた。
その言葉がすごく嬉しかったのを覚えている。
…………まあ、あの時は色々あったからわたしもきっと混乱していたんだわ。
そうじゃなきゃ、エヴァンの言葉一つをあんなにうれしく思うなんて、あるわけないもの。
…………さっきの「本当に美しいね」だって?
別に? 全然? 嬉しくなんてなかったし?
「…………アティ」
急に呼びかけられて、謎の言い訳を心の中で繰り返していた意識がこちら側に戻って来る。
「はえ?」と思わずおかしな声を出しながら振り返れば。
黒豹の美しい金の瞳が、じっとこちらを見つめていた。
どうしたのかしら?
こんな真剣な表情のエヴァンは始めてみたわ。
「なによ?」
「その……大事な、話が、ある…んだ」
たったその一言を、エヴァンは搾り出すように言う。
大事な話?
……ああ、そういえばもうすぐ約束の一ヶ月が終わるものね。
もしかして、その後の話し合いでもするつもりなのかしら?
確かに何かの弾みでうっかり秘密を漏らしたりしないように、口裏合わせは必要かもね。
いつもとは違うエヴァンの様子に、なんの話をされるのかを悟ったわたしは「はいはい、どうぞ?」と軽く先を促した。
そのわたしの態度が気に入らなかったのか、エヴァンの金の瞳がどこか困ったように右に左にと揺れ。
口は、言葉を発することなく何度も開いては閉じた。
珍しいわね。
基本言いたいことはすっぱりと言うエヴァンが、言い淀むなんて。
そんなに言いにくいことなのかしら?
でもまあ確かに、そりゃあ言いにくいか。
自分が無事に魔物の戦闘から逃げおおせた後、の話をするんだものね?
全力で魔物から逃げてたわけだし?
結果、国民全員を騙したし?
格好悪いし、罪悪感くらいあっても当然よね?
だけど、まあ、格好悪いのなんて今更だと思うけど?
「なによ? さっさと言いなさいよ」
エヴァンに対してだけは優しくなれないわたしが、イライラしながら先を促す。
数秒何かを考えるように沈黙していたエヴァンが。
ようやく観念したのか「うん」と返事をした後、わたしの顔をまた正面から見つめてきた。
傾きはじめた日の光に照らされて。
赤金色の染まった見とれるほど美しい瞳が、正面からわたしをうつしだす。
「ねえ、アティ? ………君には、ぶん殴られるかもしれないけど……」
ぶん殴る?
失礼ね?
これでもわたしは淑女なのよ?
いくら大嫌いなあなたでも、殴るなんてことはしないわよ。
「僕……………」
一度そこで言葉を切ったエヴァンが、数秒の沈黙の後。
再び意を決したように何かを告げようと口を開いた。
その時。
「……………姉様? ああ、姉様、ここにおられたのですね。 随分お探ししました」
急に割って入ってきた声に、思わずそちらを振り返る。
わたしがその声を聞き間違えるわけがない。
この声は最愛の弟である……。
「ジル? あなたどうしたの? え、学園は?」
ジルベルトが、跨がっていた馬を手頃な木に繋いだ後、こちらに走って来る。
おかしい、どうしたのだろう。
今あの子は、王都にある学園に通っているはずで。
長期休暇でもない限り、こんな離れた領地に戻ってこれるはずがない。
なのにそれでももしあの子がここに戻ってきたというのなら。
それは相当な理由があったからに違いない。
何が起こっているの?
ジルは基本楽観主義で、「なんとかなる」を信条としているような子だ。
そんなあの子の、こんな切羽詰まった顔は始めてみる。
背中からはい上がって来る嫌な予感に、心臓が早撃ちを繰り返していく。
何かがおかしい。
でもそれが何かがわからない。
「姉様に、お願いが、あって、きました」
わたしの目の前まで走ってきたジルは、息を整える時間も惜しいと言うように、話を切り出した。
ジルに会うのは半年ぶり。
挨拶を忘れるような子じゃない。
そのジルが、わたしに挨拶をする余裕すらない。
その事実に、またざわっと心が波打った。
「な…に? お願いって?」
勿論かわいいあなたの願いなら何でも聞くわ。
そんな思いをのせて答えた声が、震える。
だって明らかにジルの様子がおかしい。
そしてジルが来たと同時に、諦めたように大きなため息をついたエヴァンの様子も。
二人の様子がおかしい。
なのにそれがなぜなのかわたしにはわからない。
「姉様。 以前姉様が『聖なる炎』の練習をなさっていたとき。 その光を浴びた武器や防具が大量に倉庫に眠っていましたよね?」
「え? ええ、そんなものもあったわね」
確か最終学年に上がった、最初の長期休暇の時だったかしら。
休みのうちに、最難関と言われている『ホーリーフレア』を習得して、エヴァンをぎゃふん(死語かしら)と言わせてやろう、と訓練場で何度も練習した(腹の立つことに、エヴァンは既に習得済だったわけだけれど)。
無事に習得出来てからは、より精度をあげるために何度も何度も魔法を打った。
『ホーリーフレア』は光属性最強魔法で、その光を浴び続けると武器や防具も光属性になる(あまり強くはないけれど)。
アンデット系の魔物は、光属性魔法か、光属性を纏わせた武器しか消滅させられないから。
どうせ魔法の練習をするなら属性もつけとくか、と武器庫で何度も練習したのよね。
結果、ルナマリン公爵家の武器庫には大量の光属性の武具があったはずだけれど。
それが今なんの関係があるのかしら?
「それがどうしたの?」
「貸してください! 今すぐに!」
「え? ええ、それは勿論構わないけれど」
勿論、貸すことにはなんの問題もない。
けれど、ジルがなぜこんなに顔色を悪くしているのかがわからない。
「実はもう既に、従者に言い付けて武器を運び出しているところなんです」
「けれどその前に、一応姉様に許可を頂こうと思って」と、ジルは早口で告げる。
一分一秒でも惜しいというその様子に、またわたしの背中に嫌な汗が流れていく。
「では姉様。 僕はこれで……」
「ねえ、ジル、 ちょっと待って? 一体なにがあったの?」
軽く頭を下げて、その場から立ち去ろうとするジルの腕を、寸前のところでつかみ取る。
さっきから嫌な予感が止まらない。
早撃ちをしている自分の心臓の音が、うるさいくらいだわ。
「イルイザ大森林に、今からでも物資を送ろうと思いまして」
「…………イルイザ大森林?」
イルイザ大森林は王国の北東にある森で、現在大規模な魔物大発生が起きているのよね?
王国騎士団が鎮圧に向かい、一ヶ月ほど前に『勇者』にも出陣要請が来た。
でも、それが……。
「でもそれが光属性の武器と、なんの関係があるの?」
問い掛けながら、もしかして、と一つの事実が頭を過ぎる。
光属性が有効な魔物は、アンデット系しかいない。
逆にいうならアンデットは光属性しか倒せない。
今その武具が必要と言うなら……イルイザ大森林でアンデットが湧いた?
けれど確かアンデット系の魔物は、他の魔物に比べて出現率が極めて低い。
アンデットの魔物大発生なんて、王国の長い歴史の中で一度も確認されていないはず。
「……………え? ………まさか、ご存知ないのですか?」
ジルは振り返って数秒探るようにわたしの顔を見た後、怪訝そうに眉を寄せた。
「イルイザ大森林で起こった魔物大発生は、アンデットです」
はっきりと告げられたジルの言葉に、心臓がドクンと大きく打った。
「イルイザ大森林周辺は現在、大量のアンデットで埋め尽くされています」
ジルの言葉が、ゆっくりとわたしの耳に、そして頭に入ってくる。
イルイザ大森林がアンデットで埋め尽くされている?
でもアンデットは光属性魔法か光属性が付与された武器しか倒せなくて……。
「光属性武器を使い果たしてしまい、現在エヴァン様がお一人で全ての魔物を食い止めてくださっていますが……」
アンデットに最も有効な攻撃手段は『聖なる炎』。
けれど今王国にこの魔法を使える人間は、わたしとエヴァンしかいない。
「魔物の数が異常に多く、元凶となる『核』まで辿り着けない状況です。 『核』を壊さなければ魔物大発生は終わらない。 けれどもうエヴァン様はとっくに限界を超えています。 少しでも助けになればと考え、屋敷に大量の武具が眠っていたことを思い出したのです」
「急ぎますので、これで失礼します姉様」そう言って、ジルはもう一度わたし頭を下げた後、馬に跨がり颯爽と屋敷の方に戻っていく。
わたしはその後ろ姿を呆然と見つめていた。
ドクドクと心臓が早撃ちをやめない。
どうしよう。
きっとイルイザ大森林にいるエヴァンは、アルカイン公爵家が用意した影武者なのだわ。
実力の程はわからないけれど、勇者と讃えられるエヴァンよりも強者とは思えない。
顔から血の気が引いて行くのを自覚する。
イルイザ大森林の魔物がアンデットなんて知らなかった。
他の魔物なら、時間をかければ王国騎士だけで解決できる。
けれど、アンデットは無理だ。
光属性しかダメージが入らない。
それも魔物大発生となれば、『聖なる炎』が絶対に必要になって来る。
なのに、王国唯一の使い手であるエヴァンもわたしもここにいる。
わたしが『勇者』をここに匿ったりしたから。
「わたしが前線に行かないと!」
そう判断するのに、自分でも驚くほど時間はかからなかった。
苦戦している王国騎士を助けたい。
魔物大量発生を終息させたい。
沸き上がったのは、そんな善良な気持ちじゃない。
『わたしがエヴァンの代わりに行かないと!』
じゃないと、エヴァンが強制召集されてしまう。
なぜそんなことを思ったのか、なんてわからない。
大嫌いな男のために、戦場に迷いなく行こうとするなんてどうかしてると思う。
けれど。
戦場に行けばエヴァンが死んでしまうかもしれない。
それはいや。
そんなことになるくらいなら、わたしが!
わたしの頭の中にはその思いしかなかった。
突き動かされるように踏み出した足が、ニ歩、三歩と踏み出したところで止まる。
「────その必要はないよ」
わたしの進路をふさぐように、金色の目をした美しい黒豹が立ち塞がった。




