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エヴァンがわたしの屋敷に転がり込んできて、早いもので二週間たった。
最初はどうなることかと思ったけれど、意外なほど日々は穏やかに静かに過ぎていく。
エヴァンの姿が見た目ただの黒豹なのも、わたしが心穏やかでいられる大きな要因だと思う。
っていうか、エヴァンの演技力はたいしたものだと思う。
人前では絶対にしゃべらない上に、仕種も本当の豹のようにしか見えない。
丸まって寝ているときなんて、豹そのものだ。
エヴァンの演技の賜物か、急に黒豹を連れ歩き出したわたしに、使用人達もびっくりしていたけれど。
今ではもう慣れたもので、『クロ』と名前までつけ可愛がっている(黒豹だからクロと名付けた使用人に「なるほど、センスのなさは主人譲りなんだね」とエヴァンに後で厭味を言われたわ)。
周りに誰もいなくなったタイミングでしかエヴァンが話さないからか、あれほど嫌だったエヴァンとの生活も思ったほど苦にならない。
本当にただの黒豹を連れ歩いているような錯覚に陥るくらいだ。
ただ一つ、わたしの心を悩ませることがあるとするならば。
「ミリアリアから手紙よ。 【エヴァン様がイルイザ大森林に到着なさったそうよ。 彼の無事を学友みんなで祈りましょう】、ですって」
はあとため息を吐きながら、わたしは読んでいた手紙の概要を部屋の隅で丸まって寝ていた黒豹に読み聞かせた。
手紙の送り主は、わたしの友人であるミリアリア伯爵令嬢だ。
つい先ほど届いたその手紙には、エヴァンがイルイザ大森林に到着したらしいこと。
すぐにでも前線に加わり、戦い始めることなどが書き綴られていた。
【アティ、元気を出して。 エヴァンさまならきっと大丈夫よ】、となぜかわたしを気遣う言葉まであった。
なぜわたしが、エヴァンの出陣で元気をなくさなければいけないのか。
その辺は全く解せないが、わざわざ友人が時間をとってまでわたしに手紙を送ってくれた事は素直にうれしい。
ただそれも、エヴァンの身を案じる内容、となれば気が重くなるのは当然だ。
わたしは一番の友人さえ騙している。
隠し事なんてしたくない。
黙っていることが苦しい。
エヴァンは戦場なんかに行ってないから安心して、と言ってあげたいのに、約束だからそれができない。
ミリアリアには、全てが終わった後、誠心誠意謝るしかないわよね。
それにしても。
今朝届いた新聞にも、『勇者エヴァン』が騎士団と合流したようなことがかかれていた。
王都にいるミリアリアからの手紙が、この領地に届くまでにも数日かかるだろうし、ここの新聞だって最新の情報ではないんだろうけど。
それにしたって皆が皆、『勇者が出撃した』っていう偽情報に躍らされているなんてどうなっているのかしら。
もしかしたらアルカイン公爵家が、エヴァンによく似た影武者でも用意した、とか?
ちらりと部屋の隅へと視線を向ける。
そこでは、使用人達が用意してくれた猫用ベット(大きめ)の上で黒豹が丸くなって眠っている。
今日は朝からずっとこんな感じだ。
「……………それにしても、あなた最近寝過ぎじゃない?」
手紙を聞こえるように読んだにも関わらず、黒豹はぴくりと耳を動かしただけで体を起こそうともしない。
最近、わたしが部屋にいるときはこうやって丸まって寝ていることが多い。
豹は猫科というけれど、やっぱり睡眠時間は多いのかしら?
けれどあれはエヴァンが豹に化けているのだし。
おかしいわね。
やっぱりお腹が空いてるのかしら?
必要ないってエヴァンが言うから、本当になにも用意しなかったけれど。
それとも毎晩寝るときに、束縛魔法をかけているのがいけなかった?
けれど、寝ているときにエヴァンに動き回られるのは絶対に嫌だし。
もしくはずっと豹の姿でいるのが負担がかかるとか?
理由は何にせよ、一日中ほとんど寝ているなんてどう考えてもおかしい。
「ねえ、エヴァン。 あなたどこか体の具合でも────」
悪いの?
そう思って伸ばした手が、眠る豹の丸い背中に触れる。
その直前。
黒豹がビクリとして体を起こした。
警戒するようにこちらに向けられる一対の瞳。
その瞳の色が。
「……え?」
紫色?
え?
確かこの豹の目は金色だったはず。
なのに。
「……………寝込みを襲うなんて、随分とひどいことをするね」
いつものあの憎ったらしい声が聞こえた。
あれ?
瞳の色が金に戻ってる……?
おかしいわね、見間違いだったのかしら?
ほんの一瞬だったから、絶対という自信がない。
でも、それでもなにかザワリと心を打った気がした。
「それで? なんだって? ………ああ、ミリアリアの手紙、だっけ?」
くわぁと大きな欠伸をしながら、エヴァンが面倒臭そうに話しはじめる。
いつもと同じ口調、いつもと同じ憎まれ口に、ほっと安堵の息が漏れた。
「そ、そう、ミリアリアがあなたがイルイザ大森林に着いた、って」
「……ああ。 アルカイン公爵家で偽の情報を流してるからね。 僕が前線に行かずに逃げて回っている、なんて世間にばれたら格好悪いからね」
「へえ、格好悪いっていう自覚はあったのね」
「まあ、確かに中身は残念かもしれないけど? でも外見はバッチリだからね」
「ほら、見てみてよ、僕のこの男前な顔を」ってどや顔で胸張っているけど。
男前もくそも、あなた今、ただの────。
「ただの黒豹だけどね」
「美しい黒豹具合でしょ? なんだったらブラッシングさせてあげてもいいんだよ、アティ?」
「いえ、結構よ」
いつもの馬鹿げた会話に安心した。
でも。
わたしは本当に愚かだった。
両親や友人に、思い込みが激しい、とちょくちょく指摘されることがあったけれど。
確かにその通りだったんだと思う。
本物の豹にしか見えない動き、仕種。
一瞬だけで違って見えた瞳の色。
徐々に眠る時間が多くなった黒豹。
そしてなにより、あのエヴァンが取る、余りに無責任な行動の数々。
確かに色々と違和感は感じていたのに、追求することなく過ごして来てしまった。
ねえ、エヴァン。
「助けてくれ」、なんて言ってわたしを頼ってきた癖に。
他の誰かじゃない、わたしを頼ってくれたのが、本当にちょっとだけ嬉しかったのに。
あなたは大嘘つきだわ。
やっぱりあなたなんて大嫌い。
言葉の限り、罵ってあげる。
力いっぱいその頬をひっぱたいてあげる。
だからねえお願いよ。
目を覚まして。
帰ってきて。




