8
「『瘴気』が消えた!? 救護班、ぼさっとするな! 大至急、全員で回復魔法を重ねがけ! A班は救護班に強化魔法、B班は引き続き止血処置! C班は物資を運べ!」
『瘴気』が消えたことにいち早く気がついて的確に指示を出したラカン卿が、くるりと振り返ってわたしを見た。
「ご令嬢、ご協力に感謝致します。 ですがどうか、もうお下がりください。 ……ルナ、ご令嬢をお連れしろ」
「はい」、とすぐ近くで答える声がして。
音もなく近づいてきた女性騎士さんが、とても丁寧で優しい手つきで、わたしの背中をさすってくれる。
「さあ、ご令嬢」
そっと手を差し出された。
ここから移動するように優しく促されている。
わかっている、けれど。
「…………っ! でも!」
さっき使った『聖なる炎』でわたしの魔力は底が尽きている。
処置をするのに、わたしがエヴァンの側にいれば邪魔になる。
わかってる。
でも、なんとか頑張れば、わたしだってまだ回復魔法を使える。
エヴァンを助けるためにまだ────!
「お辛い気持ちは十分お察ししますが、どうかご理解頂きたい。 貴女にこれ以上の無理をさせれば、それこそ我々はエヴァン様に顔向けが出来ません」
強面の顔をくしゃくしゃに歪めて。
ラカン卿はわたしに深く深く頭を下げた。
最大限の敬意を示してくれている。
ちらりと後ろにいたエヴァンの召喚獣の様子を確認する。
先ほどクロを包んでいた光が消えている。
それを見て、エヴァンの容態がなんとか持ち直したのがわかった。
「エヴァン…」
わたしに無理をさせないために、エヴァンは戦場に来た。
なのにそのわたしが、ここでエヴァンを助けるために命を削ってしまえば、それはエヴァンの行い全てを無駄にすることになるのだろうか。
わからない。
ただエヴァンの側にいたい。
でも。
ここで我儘を言って、騎士団の邪魔をするのが最善とは思えなかった。
「騎士団には優秀な治癒師が大勢おります。 どうか後のことはお任せください。
………最善を尽くします事をお約束します」
ラカン卿は、「必ず助けます」とは言ってくれない。
こういう場合、その言葉を言ってはいけないんだと聞いたことがある。
でもそれでも最善を尽くすと約束してくれた。
「エヴァンをお願いします」
差し出された手を取って立ち上がり、邪魔にならないように、一歩、二歩と距離をとった。
「………あの……ご令嬢はもしかして、リコリスの花がお好きなのではありませんか?」
邪魔にならない場所でエヴァンの無事を必死で祈っていると。
ふいに何かに気がついたのか、隣に立っていた女性騎士さんに声をかけられた。
「え?」
突然の質問に、頭がついていかない。
リコリスの花?
嫌いではないけれど、特に強い思い入れがあるわけじゃない。
強いて言うなら、リコリスの花というより、赤い花全般が好き、だけれど。
なぜ今そんな話をされるのかわからず、返事に困っていると。
ハッとしたように女性騎士さんが顔色を変えた。
「不躾にごめんなさい。 第三騎士団隊員のルナ=ファリスと申します」
恐縮したように頭を下げるルナさんに、同じように名前を名乗って。
「あの、先ほどのリコリスの花が好き、というのは?」
わたしの気を紛らわせるために話しかけてくれただけで、特に深い意味はないのかもしれない。
けれど気になった。
だってよくよく思い返してみれば、エヴァンは右手にリコリスの花を握っていた。
意識もなく傷だらけで、なのにそれでも離すことなく、大事そうに花を握っていた。
あれは────。
「エヴァンさまが、リコリスの花に必死で手を伸ばしておられましたので」
噛み締めるようにゆっくりと告げられた言葉に、ドクリと心臓が高鳴ったのを自覚する。
「自身もボロボロで、意識も朦朧とされていたはずなのに。
それでも必死で手を伸ばして、花を摘もうとされていました…。
わたしが手折って花をお渡しした瞬間、安心したように微笑まれて。
きっととても大事な人に……贈りたかったのではないか、とそう思いまして」
「……………っ」
「うわ言のように、何度も誰かのお名前を呼んでいらっしゃいましたが。 ご令嬢のお名前をお聞きしてわかりました。 エヴァン様は『アティ』と、そう呼んでいらしたんですね」
ルナさんの言葉一つ一つに、その時の状況が思い浮かんできて。
気がつけばまた涙が流れ落ちていた。
「エヴァン、の、馬鹿っ」
花なんて、今まで一度も贈ってくれたことないのに。
『赤い花が好き』だなんて誰にも言ったことなかったのに。
こんな状態なのにそれでも、わたしに花を贈ろうとしてくれた。
わたしが大好きな赤い花を。
「きっとエヴァン様は大丈夫ですよ。 こんなにかわいい恋人が待っているんですもの」
「…っ! いえ、あの、わたしはエヴァンの恋人なんかじゃな……」
「恋人なんかじゃない」
そう否定しようとしたわたしの手を、ルナさんが優しく握ってくれる。
「あら、恋人ではないのですか? まあ、ふふ。 エヴァン様は随分奥手なのですね。 こんなにかわいらしいご令嬢を放っておくだなんて」
ふふっとまた微笑んだルナさんが、とても優しい手つきでわたしの両腕を手当してくれる。
先ほどエヴァンを抱き起こしたときに爛れた両腕。
痛みなんて今までこれぽっちも感じていなかったけれど、認識した途端ずきずきと痛みだした。
「ごめんなさい。 わたしはどうにも回復魔法が苦手で。 治療師の手が空き次第、回復を依頼しますね」
「いえ、あの。 大丈夫です」
少し時間をおけば、自分で回復魔法をかけられる。
だから大丈夫だとそう告げれば、ルナさんは「まあ、すごいのですね」「騎士団に入りませんか?」と穏やかに笑う。
わたしの気を紛らわせるために、そうしてくれているのだとわかる。
とても優しい人だ。
「あら? ……自分が、絶望するほどの不器用者だということを、忘れていましたわ」
申し訳なさそうに笑うルナさんに巻いてもらった包帯は、とてもゆるゆるで。
到底『綺麗に巻かれた』とは言えないものだったけれど。
確かにわたしの心を落ち着かせてくれた。
「誰か他のものにまき直しを……」
「いえ、大丈夫です。 このままで……」
「平気です」と。
そう続けようとした言葉が、遮られる。
悲鳴のような「エヴァン様!!」という声によって。
今までもずっと、ラカン卿の声や、騎士達がたてる雑多な音は聞こえていたけれど。
それとは明らかに違う、緊迫した声。
無意識に声の方を振り返る。
どうして同じ時間なのにこんなにゆっくりと感じるのか。
振り返って、状況を確認する。
そんな一秒にも満たない時間がもどかしいほどゆっくりと感じられた。
「……エヴァン……?」
状況がわからず呆然とするわたしの視線の先で。
エヴァンの手当に当たってくれていた騎士の人たちが、口々にエヴァンの名前を呼んでいる。
そしてその輪の真ん中。
倒れたエヴァンに覆いかぶさるようにして、誰かがエヴァンの胸を両腕で必死に押しているのが見えた。
心臓マッサージ。
つまり今、エヴァンの心臓が……。
「うそっ!」
一気に血の気が引いたことを自覚しつつ、周りを確認する。
どこにもエヴァンの召喚獣がいない。
さっきまで確かにわたしの側にいたのに。
「嘘よ…。 嘘! エヴァン!!」
反乱狂になりながら飛び出していこうとするわたしを、ルナさんが、そして他の騎士達が止める。
まだ処置は終わっていない。
わたしが行ってもできることなんてない。
わかってる、けど……。
「エヴァン! エヴァン!!」
無力なわたしでは、名前を呼ぶことしか出来なくて。
暗い森の中で、心臓マッサージの音だけが響く。
そして。
どれくらい時間が過ぎたのか。
とても静かな、けれど絶望感に満ちたラカン卿の声が聞こえた。
「…………ご令嬢を、こちらに通して差し上げなさい」、と。
ラカン卿の声に従い、わたしとエヴァンの間に立ち塞がっていた騎士達が左右に割れる。
割れた道のその真ん中で、ラカン卿が右手を胸に添え腰をくの字に折っている。
最大級の礼、だ。
でもなぜラカン卿がそんな風に礼を尽くしているのかがわからない。
「申し訳ない…。 ルナマリン公爵令嬢。 ……国を救ってくれた英雄を、どうしてもっ! 救えなかったっ。 力不足で申し訳ない」
『救えなかった? ……なに? ラカン卿はなにを言っているの?』
騎士の誰もが静かに腰から剣を引き抜き、それを地面に突き立て、頭を下げ始める。
それが『国を救うために命を落とした者を、見送るための儀式』だと知っている。
知っているのに、理解が出来ない。
「エ…ヴァン?」
左右に別れた騎士達の間を、重い体を引きずるようにして進む。
その先に、エヴァンがいた。
わたしの顔を見るといつも憎たらしい笑みを浮かべていたエヴァンが。
わたしがずっと追いかけ続けた、大っ嫌いで……そして誰よりも大好きなエヴァンが。
どこもかしこも血だらけで、ボロボロで。
そしてもう動かないエヴァンが。
そこに、いた。
「───────っ!!」
エヴァンが、死………っ?
うそよ、そんなわけない。
きっと。
きっと、そう。
「ねえ、またわたしのこと騙すつもり? そう何度も騙されてなんかやらないんだから。 さっさと目を開けなさいよ」
わたしが動揺した瞬間に、起き上がって。
そしてあの憎ったらしい笑みを口元に浮かべるんでしょう?
「ほら、大きな傷はもうふさがってる。 そんな演技には騙されないわよ。 だから起きて……っ」
「いつもみたいに笑ってよ」
そう続くはずの言葉が、途中で途切れる。
だってエヴァンはぴくりとも動かない。
呼吸が、確かに止まっている。
止まっていた涙がまた溢れ出した。
「ふざけないでっ!! そんなの絶対に……絶対に許さないわ!!」
気付けばわたしは、泣きながら怒鳴っていた。
「許さない! このまま死ぬなんて絶対に許さない!」
腰が抜けたようにその場に座り込み。
ドン、と倒れたまま動かないエヴァンの胸を叩く。
「好き放題言うだけ言って、その後いなくなる? ふざけないでよ。 どこまで勝手なのよ」
ドン、ドン、と。
力任せにその胸をいくら叩いても、エヴァンの体は動かない。
「エヴァン!」
「エヴァン!」
「帰ってきて!」
「目を開けてよ!」
「このまま死ぬなんて絶対に許さない」
何度も何度も名前を呼んで、何度も何度も呼びかけた。
けれどエヴァンは目を開けてくれない。
「…………嘘よ。 ……酷いわ。 いつもいつも意地が悪くて。 憎ったらしくて。 あなたなんて…大っ嫌い」
でも。
「本当はわたしだって……ずっとずっとあなたの事が好きだった……」




