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『王国の希望の星、勇者さまついに前線に合流か』
今朝届いたばかりの新聞の見だしをみて、わたし、アティ=ルナマリンはたまらず大きなため息をついた。
そのわたしの横で、真っ黒な豹が大きなあくびをしている。
……自分のことなのに、全く興味がなさそうね。
『国王陛下ならびに、全国民を騙している』っていう罪悪感はないのかしら?
わたしなんてあの日からずっと胃がキリキリしているっていうのに。
あまりに腹が立つので、わざと大声で新聞を読み上げてやる。
こうすればこの憎たらしい黒豹も、流石に反応をみせるだろう。
「『エヴァン=アルカイン公爵令息は、つい三ヶ月ほど前に国王陛下自らが『勇者』の称号を授けた傑物。 艶やかな黒髪に太陽のごとき黄金の瞳をした、この世で最も美しき貴公子』 ……はん? この世で最も美しい貴公子? どこのどなたの話よ、それは」
読みはじめる場所を間違えたわ。
これじゃあ、わたしがあの男を褒めちぎってるみたいじゃない。
余りに腹の立つ内容に、届いたばかりの新聞を破り捨てたくなる。
「この新聞記者はなかなかに見る目があるね」
隣から聞こえてきたしれっとした厭味な声に、臓が煮え繰り返る。
じろりとそちらを睨みつければ、先程まで全く興味なさそうにしていた黒豹が、黄金の瞳を細め、口元に笑みを浮かべてこちらを見ている。
……豹なのに。
どこからどう見ても黒豹なのに、いつものあのにくったらしい笑い方だわ。
ほんっとうに毎度毎度憎たらしい。
思わず持っていた新聞をぐしゃりと握りしめれば。
「………アティ、(君が勝手にライバル認定した)この僕だけ持て囃されて悔しいんだよね? (僕は全くライバルだなんて思ってないけど)ごめんね? でも(僕がカッコイイのは事実だから)仕方がないよね? アティの悔しい気持ちはよくわかるんだけど、(大人気なく)新聞にあたるなんて良くないよ?」
またしても厭味な言葉が隣の黒豹から沸いて来る。
ってちょっと!
ちょくちょく小声で言ってるけど、聞こえてるわよ!
誰がライバルよ!
あなたなんか好敵手じゃなくて、ただの敵よ、敵!
それもわざと聞こえるように言ってるわよね?
ほんっとうにいちいちと腹が立つ奴ね。
「よく言うわよ、この偽勇者の臆病者が!」
新聞にはこう続いている。
『一度剣を握れば、千の魔物を薙ぎ倒し。
その麗しい声で魔法を唱えれば、千の味方を救う。
我等が勇者エヴァンさまが、イルイザ大森林で発生した魔物大量発生鎮圧に向かった』
その後にも、長々と噂の勇者さまの情報が掲載され、最後に勇者の無事と活躍を願う言葉でしめられている。
「ふん。 名前も知らない国民のために命をはれって? 冗談じゃないよ。 僕はまだ成人にも達してないっていうのに? そもそも『勇者』の称号だって、僕は『欲しい』何て一言も言った覚えはないよ」
「それを叔父上が勝手にくれただけだ」、と黒豹はぶつぶつと文句を言っている。
アルカイン公爵夫人は、現国王陛下の実妹にあたる。
噂の勇者さまは、国王の甥ということになるわけだけど。
この国は魔王を倒した勇者が起こした国とされているため、『勇者』の称号は非常に特別で、大きな意味を持つ。
コネだけで、『勇者』の称号を授けられない……はずなんだけど。
今回は確かに(恐れ多くも)国王陛下の判断ミスかもしれないわね。
だって、陛下自ら称号を授けた男が。
「だからって、自分の召喚獸に化けてまで、魔物から逃げ回るなんて。 あまりに腰抜けだと思うけど?」
そうこの黒豹こそが、魔物と戦うのが恐ろしくてここに逃げてきた『エヴァン=アルカイン』なのだ。
最も勇敢な男とされる『勇者』が、まさかの戦いが怖くて逃げ回っているだなんて、この国の誰が想像できただろう。
「なんとでも言ってよ。 僕は騎士でも何でもない。 それにまだやりたいことが山ほどある。 知らない人間のために、自分の命を捨てるなんてできないよ」
確かにこの国では、満十八歳で成人とみなされる。
成人に達していない人間は、基本魔物との戦闘参加は認められていない。
未成年でも騎士の資格を持っていたり、出現した魔物に対して特に有効な攻撃手段を持っている人間は、例外となり強制召集される場合もあるが。
エヴァンは、彼が今言った通りまだ未成年であり(ちなみにわたしは、二ヶ月前に成人を迎えたわ。 四ヶ月もわたしが年上なんだから、もっと敬いなさい)、騎士でもない。
加えて、アルカイン公爵家の優秀な嫡男であるため、本来なら戦闘とは一番遠いところにいるはずなんだけれど。
それでもこんな新聞がでたということは、前線はそれだけ苦しいのではないだろうか?
国内最強といわれる『勇者』の力を欲するほど。
「とにかく! 後一ヶ月……ああ、もう三週間とちょっとかな? ……は僕の隠れ蓑になってもらうよ。 そういう約束だからね? ……まさかルナマリン公爵令嬢ともあろう人が、約束一つ守れないなんて……あるわけないよね?」
黄金の瞳がわたしをみつめたまま、すーっと細くなる。
偽勇者で臆病者のくせに、威圧感だけはすごい。
やめなさいよ、可憐な乙女相手に……。
「可憐な乙女相手に、凄むんじゃないわよ」
「え? 可憐な乙女? それはぜひお会いしたいね? ………それで、その『可憐な乙女』というのは一体どこにいるのかな? ここには見当たらないみたいだけど」
心底不思議そうな顔して、部屋の中見渡すんじゃないわよ。
ケモノ顔の癖に、なんでそんなに表情が豊かなのよ。
ほんっとうにいちいちと腹の立つ男ね。
わたしよ、わたし。
ここにいるじゃないの、可憐な乙女が。
これでも、この白銀色の髪とスカイブルーの瞳もあいまって、『妖精のように儚くて可憐だ』って良く褒められるんだからね。
「ははは、本当に、見た目詐欺もいいところだよね、ね、アティ?」
「……………」
あらまあ、随分と楽しそうね。
わたしは全然楽しくないのだけどね。
口を開けば厭味ばかり。
わたしの神経を逆なでしまくるこの男、エヴァン=アルカインと、それでもわたしは後一ヶ月(正確にはあと23日)も一緒に生活しなければいけない。
なぜならわたしはこの男に大きな恩があり、それを返さなければいけないから。
そもそもの話、わたしとエヴァンの仲は良くない……というより最悪だと思う。
同じ公爵家で、同い年、しかも親同士も同学年ということもあり、わたしは物心ついた時からちょくちょく『エヴァン=アルカイン』の名前を耳にしていた。
両親がわたしとエヴァンの成長を比べたことは一度もなかったけれど、わたしは違った。
ちょくちょく話題にのぼるその男に、幼いわたしが抱いた感情。
それは、『あいつには絶対負けない』という強い敵対心だ。
そうして謎の負けず嫌いが発動し、わたしは一度もあったことのないエヴァン=アルカインを打ち負かすべく、毎日毎日ひたすら努力を続けた。
エヴァンが難しい数式を解いたと聞けば、わたしはもっと難しい数式を三つ解いた。
エヴァンが初級魔術書をマスターしたと聞けば、わたしは中級魔術書をマスターした。
エヴァンがピアノを習い始めれば、ピアノとヴァイオリンそして声楽を、剣術の稽古を始めた時は、渋るお父様を説き伏せてわたしも剣術を始めた。
全てはエヴァン=アルカイン(会ったことないけど)に勝つために。
そうして迎えた王立学園の入学式。
余程の事情がない限り、国内の貴族は十二歳から五年間ここで学ぶことが義務づけられている。
わたしはここで初めて、長年対抗心を燃やしつづけた『エヴァン=アルカイン』に会ったわけだけれど。
────計画は完璧……のはずだった。
長年(勝手に)競い合った相手を、わたしが打ち負かす。
参りました、と悔しがるエヴァン=アルカイン。
その未来を信じて疑わなかった。
だってわたしの実力はどの分野でも、噂に聞く『エヴァン=アルカイン』を遥かに超えていたんだから。
でも結局、『噂』は『噂』でしかないのよね。
『噂』が誇張して広がる場合もあるけれど、エヴァンの場合は逆だった。
つまりわたしが『噂に聞いていたエヴァン』よりも『本物エヴァン』の方が数倍
実力が上だった。
そうして噂に躍らされ、『噂のエヴァン』と競い合い、勝った気でいたわたしは。
最初の定期テストで、五点も差をつけられてエヴァンに首位の座を奪われた。
「え? 僕と五点差? 君ってとっても頭がいいんだね。 名前は……ええっと、ルナマリン嬢? …………ああ、もしかしてルナマリン公爵家のご令嬢かな?」
これが『テストが二位だった』と悔しがるわたしに、エヴァン=アルカインが言い放った言葉。
張り出されたテスト結果をちらりと見て、初めてわたしの存在を認識したのだろう。
とても穏やかで綺麗な笑顔に見え隠れする、心底興味がなさそうな無機質な表情。
わたしが長年ライバル視してきたにも関わらず、向こうはわたしの存在を知りもしなかった。
そして今、認識してなお、エヴァン=アルカインはわたしに興味すら示さない。
その事実と、あの厭味な言葉でわたしの対抗心がまた燃え上がった。
『今度こそ絶対に、あの笑顔を崩して見せる』
そうして挑む続けること五年。
結果として、わたしはエヴァンに負け続けた。
わたしが負けて悔しがる度に、エヴァンはそれはそれはいい笑顔をする。
そして気遣かっているのかと思えるような言葉の中に、絶妙な厭味を利かせる、という上級テクニックを使っては、わたしを煽ってきた。
「あれ、今回は調子が悪かったから、やっと君に勝ちを譲れるかと思ってたのに。 ……おかしいな……今回も僕の勝ちか。 ……もしかして君も調子が悪かったのかな? ………ああ、そういえば前日体調を崩していたっけ?」
いいえ、全く?
テスト直前まで流行り病にかかっていたあなたと違って、わたしは万全の状態でテストに挑みましたけど?
「ああ、乗馬でも僕の勝ちか。 …………う~ん……あ、君の馬はもしかしたら機嫌が悪かったのかもしれないね。 それで君の的確な指示が通らなかった、とか?」
……いいえ? あの馬は、わたしの指示通りに動いてくれましたけど?
「………………あ~……これは、火を吐くドラゴンだね。 独創的で迫力もあってとても上手に描けていると思うよ」
いいえ! 描いたのはうちで飼ってる犬ですけど!
あなた分かってて言ってるわよね?
ほんっとうに、あいつは自尊心を煽る天才だと思う。
それだけじゃない。
廊下や教室で顔を合わせると。
「やあ、アティ? これは僕が使っている参考書なんだけど、よかった君も使うかい? ………何だったら今から一緒に───」
いいえ、結構よ。
「やあ、アティ? 実は最近料理に凝っていてね。 僕が作ったんだけど君も一緒にどうだい? 魔力が上がると言われているモギリ草をふんだんに使っているから、次回のテストで役にたつかもしれないよ?」
誰があんたの手作りお弁当なんて食べるもんですか。
「やあ、アティ? 君はセンスだけはイマイチのようだから、今度僕と一緒に買い物にでも──」
余計なお世話よ!
顔を合わせる度に、喧嘩になった。
そりゃあ、毎回わたしから突っ掛かって行ったのは認めるけれど。
あいつは、わたしの顔を見る度に、ニヤリと笑って厭味を言う。
そんなの、わたしじゃなくても腹が立つと思う。
卒業が残り一ヶ月に迫った頃。
やっと憎っくきエヴァンを討ち果たす機会がやってきた。
魔法の最難関課題、光と火の合成魔法、『聖なる炎』。
この魔法は、アンデット系の魔物を焼き尽くす、習得が非常に難しい魔法で、同じ学年でその魔法を扱えるようになったのは、わたしとエヴァンの二人だけ。
……というより、王国でこの魔法を習得できたのは今のところわたしとエヴァンだけらしい。
つまりわたしとエヴァンの一騎打ち。
エヴァンに勝利するということは、実質王国一の『ホーリーフレア』の使い手になれるということ。
ここでも負けてしまえば、わたしは一生エヴァンに負けたまま。
何か一つでもあいつを負かしたという実績が欲しい。
脇目も降らずに精進しつづけて。
結果は僅差でわたしの勝ち。
わたしより遥かに魔力が多いエヴァンの魔法は有効範囲が断然広かったけれど、浄化力という点ではわたしの方が勝っていた。
挑みつづけて五年。
わたしはようやく、にっくき男を打ち負かしたのだけれど。
「おめでとう、さすがだね、アティ。 僕の負けだよ」
ものすごくいい笑顔で祝福された。
エヴァンは悔しがるそぶりを少しも見せず、爽やかに笑ってあっさり負けを認めたのだ。
…………そんな屈辱ってある?
あんなにあっさり負けを認めて、あまつさえわたしを褒めたたえるだなんて。
これじゃあ毎回負けて本気で悔しがっていたわたしが馬鹿みたいじゃない。
わたしはエヴァンにとってそれほど意味のない存在なの?
いつもの、あの笑顔がどうしようもないほど腹がたって。
エヴァンなんて。
「エヴァンなんて、大っ嫌い!」
長年積もりに積もった恨み。
その呪詛のような言葉が、卒業前にエヴァンと交わした最後の言葉になった。
学園を卒業してすぐ、わたしは一人、王都からこのルナマリン公爵領に戻ってきた。
エヴァンがどうしたのかなんて知らないけど、多分爵位を継ぐために領地に戻ったんじゃないだろうか。
アルカイン公爵領は、王国の北にある我がルナマリン公爵領から一番離れている。
わたしはあまり社交を積極的にするつもりはないから、きっともう会うこともないだろう。
そう思っていたのに。
ほんの数日前だ。
エヴァンの召喚獣である、『黒豹』がわたしの前に現れたのは。
「やあ、アティ? 久しぶりだね。 相変わらず、少しだけ残念なドレスを着ているね? ところで悪いんだけど、一ヶ月ほど僕を匿ってくれないかな?」
体を覆い尽くす真っ黒な体毛。 しなやかな筋肉をもつ四足歩行の獣。
見たことがある。
あれは、エヴァンの召喚獣の。
そう思った瞬間、黒豹が言葉を発した。
その憎たらしい声は、忘れたくても忘れられないエヴァン=アルカインの声。
召喚獣は、主と魂が繋がっているとは言われている(わたしは残念ながら召喚術はどう頑張っても使えなかったから、その感覚はわからない)けれど、それでも人の言葉は喋らない。
『人が獣に変身する』という魔法も開発されていない。
けれど。
……心底認めたくないけれど、エヴァン=アルカインはあらゆる分野で突出した才能を見せた。
天才といってもいい。
世にまだ知られていない魔法を、自分で作り出したとしても、不思議はない。
それらの(認めたくない)事実と、目の前の黄金色の瞳をした黒豹を照合した結果。
「エヴァン=アルカイン!?」
わたしがそう結論を出すまでたっぷり五秒もかかった。




