微睡
タタン、タタン。電車は田圃やトンネル、海沿いを走り、食肉加工場の近くにあるアパートまで運んでくれる。
首を折り曲げ、固いシートに足を組んで、新書を読んでいた。鳥インフルエンザに関するものだ。アパート近くの食肉加工場には、トラックに満載されたニワトリが運ばれてくる。トラックが通った後の、むせ返るような鶏ガラスープのような臭い。狭く暗い場所で、何万羽という同胞と育ったニワトリたち。そんな場所でインフルエンザウイルスが発生すれば、瞬く間に広がり、より強力に変異するのは当然というものだ。
電車に乗る前ラーメンを食べた。満腹だ。ラーメンのスープを作るのに一体どれほどのニワトリが犠牲になったか。お陰で今の幸福がある。いただきます。
駅前の大型書店で見かけた新書、「鳥インフルエンザ」の文字が興味を惹いた。それを今電車の中で広げているわけだ。最初のページを開くと、前にも読んだ気がしてきた。事実、帰宅して本棚に全く同じ新書がある事を発見するわけだが。現段階ではそれに気づいていない。フムフム、非常に面白い、と思って読んでいる。タタン、タタン。滑稽としか言いようがない。が、面白いと思って読んでいるのならそれでいいのではないだろうか。
現に、満腹にも関わらず夢中で読んでいる。周りを見たまえ。大体の乗客が眠っている。この昼過ぎの、電車で揺られる中で本を読んでいるのは私くらいなものだ。というか起きている乗客は全てスマートフォンを手にしている。スマートフォンならマンガも小説も読める。マンガも小説も買っていくうちに置き場に困る事になる。省スペース化には非常にいい。ぜひ検討すべきだろう。
新書を開いていると、先日の新幹線で文庫本を開いていたことを思い出す。新幹線ホームの売店に並んでいたそれは、官能小説だった。
新幹線に乗る前、売店で飲み物を買った。そこに並んでいた文庫本の表紙の、美麗な夫人のイラストに、思わず目が釘付けになった。妖艶なエロスを漂わせた夫人が、愁いを帯びた表情で流し目でこちらに振り向く。一目惚れだ。何の臆面もなく官能小説を手にした。新幹線で訪れた見知らぬ土地でなら、官能小説を手に入れるのにためらいなど必要ない、という事だ。
新幹線が到着した。ドアが開くのを待つ間、文庫本を手にして、早くシートに座りたい、と気が急いた。一刻も早く彼女の事が知りたい。ドアが開いた。一目散に駆け付け、シートを倒し、息をひそめ夫人の表紙をめくる。隣の席に同年代の男がやって来た。プシュッ。男は座るや否や、結婚指輪をはめた指で缶ビールを開け、ゴルフ雑誌を広げた。この男に真の愛など分かるまい。私のどの指にも結婚指輪はないし、あったことも無いが。
文庫本には、貞淑だった夫人が好奇心から不貞を犯し、以降次々と不義密通を働く様が描かれていた。何とも陳腐だ。早々に読むのを辞めた。しかし見よ、文章は陳腐でも、美麗な夫人の美しさは少しも損なわれてはいない。それだけでもこの文庫本を手にした価値はある。現に今も、二冊の鳥インフルエンザの新書の隣に、婦人は並んでいる。変わらぬ美しさで。
新書から目を上げ、車窓に目を移す。田圃にハクチョウの群れを認めた。ハクチョウは食肉になりうるだろうか。水鳥は肉より羽毛の方が利用されるかもしれない。不意に、ハクチョウの群れが飛び立った。何十という群れが空を埋め尽くす。ハクチョウ達は物騒な私の考えを察知したのだろう。
田圃の向こうに隣町の山がみえる。山頂付近に木がない。あの辺りはゴルフ場だ。ゴルフ場の隣には養鶏場がある。入り口には石灰が撒かれており、雨が降ると泥と混じり出入りする車を汚す。白と土の泥はヒトの欲望そのもののようだ。養鶏場からニワトリが運ばれ、食肉加工場で屠られ、料理され、食卓に並び、ヒトの腹を満たす。何と凄惨な事か。その上に我が幸福は成り立っている。ごちそうさま。
鳥インフルエンザは養鶏場で、人インフルエンザは学校で流行する。毎年、学校では卒業と入学があり、インフルエンザも新しいものが登場する。もう学校というものに縁のない私は、手にしている新書が前に読んだものかどうかの判別がつかない。面白いと思って読んでいるのならそれでいいと思う。同じ本を何度も読むのはとても良い事だ。いま目に映っているのは、禿げあがった山頂のゴルフ場だが。
いつの間にか眠ってしまった。ドサッ。手にしていた新書が手から零れ、床に落ちた。目が覚める。何食わぬ顔で拾い、新書をカバンにしまった。読書終了。
タタン、タタン。終着駅まであと少し。終着駅で降り、一〇分ほど歩くとアパートに着く。その近くに食肉加工場がある。うららかな3月の午後である。ハクチョウたちはそろそろ北へ帰る頃だろう。