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第87話



「……生きたかっただけだ」


ルシアンの声は低く、静かだった。


オリカは手元の紅茶のカップをそっと置き、目の前の男が何を話そうとしているのか、じっと待った。


エリーゼは無言でルシアンを見つめる。


この青年は、ずっと何かを隠している。


そう感じていたのは、彼女も同じだった。


ルシアンはクロワッサンを指で千切りながら、ゆっくりと口を開く。



「俺は……ヴァルキア帝国の都市で生まれた」


「……都市?」


「黒鉄山脈の近くにある、ベルグラードって都市だ」


その名前を聞いて、エリーゼがわずかに反応する。


「ベルグラードって……ヴァルキア帝国の中でも、最も厳格な“帝国直轄領”じゃない?」


「ああ」


ルシアンは淡々と続けた。


「ヴァルキアは、帝国市民と“それ以外”で分かれている」


「“それ以外”?」


「貴族じゃなく、市民としての権利も持たず、ただそこに“いるだけ”の人間」


ルシアンは言葉を選ぶようにして、静かに語った。


「……俺の家は、ベルグラードの下層地区にあった。

帝国の直轄領と言っても、そこには“ヴァルキア市民”と認められない連中がたくさん住んでる」


「なんで?」


オリカが素朴な疑問を投げかける。


「ヴァルキアは、生まれた時点で“帝国市民”かどうかが決まるんだ。

血筋が重要視される。だから、認められない者はどれだけ努力しても“市民”にはなれない」


「……そんなの、ただの差別じゃない」


「そうだよ」


ルシアンは、皮肉っぽく笑った。


「俺の家族は、代々“市民”とは認められなかった。

だから、まともな仕事には就けず、まともな暮らしもできなかった」


「……ひどい話ね」


「ヴァルキアじゃ、普通のことだよ」


ルシアンは乾いた声で言った。



「俺は……物心ついた時から、“ベルグラード第七区”にいた」


オリカが眉をひそめる。


「……第七区?」


「帝国の“隔離区域”だよ」


「…………。」


エリーゼは何かを悟ったように目を伏せる。


「帝国はな、都合の悪い人間を、ある“地区”にまとめるんだ


「……それって、まるで収容所みたいじゃない」


「収容所だよ


ルシアンは静かに言った。


「ベルグラード第七区——通称“影の街”って呼ばれてた。

そこには、帝国にとって“不要”な人間が集められていた」


「……不要?」


「例えば、貴族の家から生まれたけど“正当な血統じゃない子供”とか。

あるいは、戦争で連れてこられた捕虜の子孫とか……」


ルシアンは、そこで少し言葉を濁す。


(——そして、“俺みたいな奴”も。)


「帝国は、俺たちを管理しやすくするために、そこに閉じ込めてた」


「……逃げようとは思わなかったの?」


オリカがそう聞くと、ルシアンはわずかに笑う。


「どこに逃げる?」


「……それは……」


「帝国の外に出るのも難しいし、そもそも“市民証”がなければ、街の外にすら出られない。

逃げ出したところで、外の世界が俺たちを受け入れる保証はなかった」


「…………。」


オリカは言葉を失った。


(そんな世界が、あっていいの……?)



「……それで、どうして逃げることになったの?」


オリカの問いに、ルシアンは短く息を吐いた。


「……“選ばれた”からだよ」


「選ばれた?」


「第七区の中でも、時々帝国の役人が来て、

“優秀”な子供を集めることがあった」


「……どういうこと?」


「帝国にとって“利用価値”のある人間は、連れて行かれるんだ」


オリカの背筋に、 嫌な予感が走る。


「それって……」


「俺は、帝国の軍に“採用”される予定だった」


「!!」


「帝国の研究機関が、兵士としての適性を測るために、何人か“選抜”するんだよ」


「……断れなかったの?」


「断ったら、そのまま処分されるだけだ」


「……。」


「だから、俺は逃げた」


ルシアンは静かに言った。


「その時、たまたま“収容所の外”に出られるチャンスがあった。

俺は、何も持たずに走ったよ


「…………。」


「それから、ずっと逃げ続けて……気づいたら、ここにいた」


オリカとエリーゼは沈黙する。


(ルシアンは……ずっと、生きるために逃げてきたんだ。)


紅茶のカップに映るルシアンの瞳は、どこか虚ろで、冷たい光を宿していた。




「……話は、これで全部?」


オリカが問いかける。


「……まあな」


ルシアンは、そう言いながら内心で嘘を吐いた。


(——俺が“エゼル人”だということは、絶対に言えない。)


ヴァルキアにおいて、エゼル人は “異端” だ。


その事実を知られた瞬間、どんな目で見られるか分からない。


(……だから、俺は“ただの逃亡者”でいい。)


「そう」


オリカは、それ以上深く追及せず、紅茶を一口飲んだ。


「だったら……これからは、少しずつ自分の未来を考えたら?」


「……未来?」


「あなた、ずっと過去に縛られてるじゃない」


オリカは静かに笑った。


「私は、あなたを“治す”方法を見つけるつもり。だから、ルシアンはその先のことを考えなよ


ルシアンは微かに目を見開く。


(俺の未来……?)


ずっと、考えたことのない言葉だった。


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