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第86話




ロストンの診療所での生活。


毎日訪れる色んな患者。



毎朝、日の光と共に目を覚まし、

オリカの助手として簡単な医療補助をし、

夕方には 読書をしたり、街を眺めたりする時間がある。


(……まるで、普通の生活みたいだな。)


かつてヴァルキアにいた頃は、常に逃げ場のない環境で生きていた。


明日を考える余裕なんてなく、その日をどう生き延びるかしかなかった。


だが、この街ではそれとは違う時間が流れている。


——この穏やかな生活は、いつまで続くんだろうか?



そんなある日、オリカが買い物に行くと騒ぎ出した。


「ルシアンも一緒に行こうよ!」


「え、俺も?」


「街をちゃんと歩いたことないでしょ? いい機会じゃない」


エリーゼも 「荷物持ちとして連れていきましょう」 と言い出し、気づけばルシアンは、2人と一緒にロストンの市場へと向かっていた。




ロストンの市場は朝から活気に満ちていた。



通りには色とりどりの屋台が並び、魚や肉、野菜、香辛料の香りが入り混じる。


行き交う人々は笑い、交渉し、時に声を荒げながらも、そこには どこか温かみのある喧騒があった。


果物を並べる店の前では、赤く輝くリンゴを手に取る女性の姿がある。


路上では楽団が演奏し、子供たちが歌い踊る。



「……すごいな」


ルシアンは市場の賑わいに圧倒されながらも、どこか懐かしさを覚えた。


(こういう街の風景……昔、ヴァルキアにもあった気がする。)



買い物を終えた3人は、市場の一角にある小さなパン屋に入った。


店の外には、焼きたてのパンの香ばしい匂いが漂い、木製の看板には 「ムーラン・ドール(黄金の風車)」 と刻まれている。


店内に入ると、暖かい空気と小麦の香りが優しく包み込んだ。


棚にはさまざまなパンが並ぶ。



・ふわふわの白パン

・カリッと焼かれたバゲット

・蜂蜜を練り込んだ甘いブリオッシュ

・ドライフルーツがたっぷり詰まった黒パン



店の奥では、パン職人の女性が粉まみれになりながら生地をこね、薪の窯にパンを並べて焼いている。


「好きなの頼んでいいよ!」


オリカの言葉に、ルシアンは少し戸惑いながらも、店員が運んできた アツアツのクロワッサンを手に取った。


(……こんな贅沢なものを、朝から頂くなんてな…)


バターがたっぷりと染み込んだ生地が、口の中でほろりと崩れ、香りが広がる。


「……うま」


ぽつりと漏らした言葉に、オリカが 「でしょ?」 と笑う。



パンと温かい紅茶を口にしながら、ルシアンは ふと、思ったことを口にした。


「なあ……俺は、いつまでここにいられるんだ?」


オリカが 「え?」 と顔を上げる。


「……いや、黒死病の治療って、どこまで続くんだ?」


ルシアンは言葉を選びながら、慎重に問いかけた。


「今は表に症状は出てない。でも、完治したわけじゃないんだろ?」


オリカはしばらく考え込み、それから真剣な顔で答えた。


「……そうね」


「私の魔法と、現代の医学の知識で、ある程度の進行は抑えられる」


「でも、完全に消し去る方法は、まだ見つかってない」


ルシアンは静かに紅茶のカップを見つめた。


(つまり……俺はずっと、この病を抱えたまま生きていくのか?)


「でもね」


オリカは少し微笑んで、ルシアンの目を見た。


「私は、見つけるつもりよ。あなたを、ちゃんと“治せる”方法を」


ルシアンは一瞬、息を呑んだ。


(……なんで、そこまで?)


(こいつは、なんでそんなに迷いなく言い切れるんだ?)


答えの出ない疑問が、ルシアンの胸の奥に静かに広がっていった。



ロストンに来てから、どれくらいの時間が経っただろうか。


ルシアンは気づけば、何の疑問も持たずにこの生活を受け入れていた。


朝起きて、食事をして、診療所で軽い手伝いをする。


症状が表に出ることはほとんどなく、オリカの魔法によって “普通”の生活ができている。


だが——


“完治する保証のない病” を抱えたまま、ただ流されるように生きていて、本当にいいのか——?


「ほら、クロワッサン美味しいでしょ?」


オリカがサクサクと音を立てながら、楽しそうに食べている。


エリーゼは紅茶を口にしながら、無言で味わっていた。


一方、ルシアンは——

手元のパンをじっと見つめたままだった。


「どうしたの?」


「……なあ」


ルシアンは、何気なく口を開いた。


「俺は、治療費も払ってないんだぞ?」


「ん?」


オリカがきょとんとした顔で、ルシアンを見た。


「もし、治らなかったら?」


その言葉に、オリカはしばらく考え込む。


そして——


「……そこまで考えてなかった」


さらっとそう言って、クロワッサンを口に運んだ。


「…………は?」


ルシアンは、思わず固まった。


「お前……マジで言ってんのか?」


「だって、ルシアンが治る前提で考えてたし」


「いやいや、完治しないかもしれないんだろ!?」


「そしたら、他の方法を考える」


「…………。」


ルシアンは、言葉を失った。


(こいつ、正気かよ……。)


(……その時に考えるって……。)



「……まあ、それは置いといて」


オリカは紅茶のカップを手にしながら、静かにルシアンを見た。


「そろそろ、教えてくれてもいいんじゃない?」


「……何を?」


「ルシアンの過去」


「…………。」


ルシアンの指が、テーブルの上でピクリと動く。


「あなた、ヴァルキアから逃げてきたんでしょ?」


「そう…だけど」


「でも、それだけしか言ってない


オリカはじっとルシアンの瞳を覗き込む。


「ヴァルキア帝国の何から逃げたの?」


「……。」


「ただの市民なら、逃げる理由はないはず。

ましてや、ここまで遠くまで来るなんて、相当な事情があるんじゃない?」


ルシアンは小さく息を吐く。


(……さすがに誤魔化せないか。)


「俺は……ただ、生きたかっただけだ」


「生きたかった?」


「……この話をすると、めんどくさいことになるかもしれないぞ」


「いいよ」


オリカは微笑みながら、ひと口大のチョコチップパンをパクっと頬張る。


「ルシアンのこと、もっと知りたいし」


その言葉に、ルシアンはわずかに瞳を揺らす。


そして、ゆっくりと口を開いた——。

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