表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
91/309

第81話



食事が終わり、オリカはナプキンを畳みながら、何気ない調子で言った。


「しばらく診療所で寝泊まりしてもらうことになるけど、いい?」


「……は?」


ルシアンは思わず聞き返した。


「診療所?」


「そう。屋敷じゃなくて、診療所ね」


「……なんで?」


「…いや、っていうか」


ルシアンは疑うような目を向けた。


「てっきり、追い出されるかと思ってたんだけど」


オリカは淡々とした表情で言った。


「一度手を出したからには、ある程度、予後治療もしないと」


「……。」


ルシアンは口を閉じる。


その言葉があまりにも自然で、あまりにも淡々としていたから。


(——何の見返りも求めずに、ただ“治す”ってことなのか?)


そんなこと、 今まで生きてきた中で、一度もなかった。


ルシアンは彼女の顔をじっと見た。


しかし、オリカは特に深い意味もなさそうな顔で、食後の紅茶を飲んでいた。


(……なんなんだ、この女。)


純粋な善意なんて信じられない。


それでも——


(……断る理由もねぇか。)


ルシアンは 軽く肩をすくめた。


「……好きにしろ」



屋敷を出ると、夜のロストンの街は静寂に包まれていた。


石畳を踏みしめる音が響く。


診療所までの道のりを歩きながら、ルシアンは時折、オリカを横目で見た。


(……こいつ、本当に変な奴だな。)


ヴァルキアでは考えられない。

誰かを助けることに対して、 こんなにも“あっさり”としている人間がいるなんて。


やがて診療所に到着し、ルシアンは用意された部屋へと案内された。


部屋はすでに清掃が行き届いていて、ベッドのシーツも新しいものだった。


ルシアンは驚いたように部屋を見回す。


「……これ、俺のために?」


「当然でしょ」


オリカは肩をすくめた。


「感染症患者を診るための部屋だったけど、今は空いてるしね」


ルシアンはベッドに腰を下ろす。


(……なんか、夢みてぇだな。)


こんな清潔な場所で寝るのは、一体いつぶりだろうか。



ふと、ルシアンは窓の外を見た。


(……。)


言葉を失った。


——信じられないほどに、綺麗な星空が広がっていた。


ロストンの街灯の光が届かない空。


まるで漆黒の絹に、無数の宝石が散りばめられたような夜空。


風が静かに揺れ、星が瞬く。


(……綺麗だな。)


こんな景色、 いつぶりに見ただろう。


ヴァルキアの収容所では、 鉄格子の向こうにある空しか見えなかった。


荒廃した都市を歩き続けた旅の中では、 いつも寒さと飢えしか感じなかった。


だけど、今は——


(……ああ、俺は、まだ生きてるんだ。)


それを実感するような空だった。


ルシアンは深く息をつく。


静寂の中、 彼の瞳に、星の光が滲んでいた。







どこか遠くで、小鳥のさえずりが聞こえる。


冷えた空気が 頬をかすめ、静かな朝の訪れを告げていた。


ルシアンはゆっくりと目を開ける。


——白い天井。


(……ここは。)


身体を起こすと、昨夜見上げた 星空の余韻 がまだ胸の奥に残っていた。


久しぶりにぐっすりと眠れた気がする。


(……夢も見なかったな。)


それがいいことなのか、悪いことなのか。


ルシアンはわずかに眉を寄せ、ベッドから足を下ろした。



窓を開けると、ロストンの街が朝日に包まれていた。


市場に向かう商人、

小さな荷車を引く少年、

石畳の道を掃除する女性——


静かで、穏やかな朝の光景。


(……平和な街だな。)


ヴァルキアではこんな光景は見られなかった。


“人々がただ生きるために、当たり前に暮らしている”——


それがどれほど貴重なものなのか。


ルシアンはぼんやりと外を眺める。


そのとき——


コンコン。


扉が軽くノックされた。


「起きてる?」


オリカの声。


ルシアンは 少し肩をすくめて、扉を開けた。



「おはよう」


オリカはいつもの白衣姿で、腕を組んでいた。


「……ん」


「どう? ちゃんと眠れた?」


「まぁな」


「ふぅん」


オリカはルシアンの顔をじっと見つめる。


「顔色は悪くないわね。熱もなさそう。今日は検査するから、朝食の後、診療室に来て」


「……検査?」


「黒死病の経過観察よ」


オリカは 手帳を取り出しながら、淡々と言う。


「魔法だけで治癒した場合、再発のリスクもあるし、体力の回復具合も見ておきたいの」


「……面倒だな」


ルシアンは 少し眉をひそめる。


「はいはい、文句言わないの」


オリカは手をひらひらと振ると、部屋を出て行った。


ルシアンは軽くため息をつく。


(……まだ、しばらくここにいることになりそうだな。)


そう思いながら、彼は静かに部屋を後にした。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ