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第79話




ルシアンは、 ゆっくりと湯船から上がった。


(……はぁ。)


久しぶりに全身の力が抜ける感覚。


今まで生きることに必死で、 風呂に浸かるなんて考えもしなかった。


身体にまとわりついた疲労が、湯とともに洗い流された気がする。


ルシアンは、 湯気の立ち込める脱衣所に向かい、置いておいたはずの服を探した。


(……ん?)


だが——


どこにもない。


脱いだはずの服は忽然と姿を消していた。


(……まさか捨てられたのか?)


その代わりに、見慣れない衣服がきれいに畳まれて置かれている。


手に取ると、上質な素材で編まれたシャツとズボン。


柔らかく、着心地の良さそうな生地 だった。


さらに——


長袖のデザインになっており、黒死病の痣を隠すのにちょうどいい。


(……用意してくれたのか?)


ルシアンは軽く舌打ちをしながら、その服に袖を通した。


(なんか、すげぇ違和感……)


今まで粗末な布の服しか着たことがなかったせいか、 妙にしっくりこない。


(まるで貴族みてぇだな。)


不本意ながら、悪くない着心地だった。



脱衣所の扉を開けると——


オリカが腕を組んで立っていた。


「……あんまりウロチョロしないでね」


「……なんだ、それ


「この屋敷、広いでしょ? 迷子になられても困るし」


ルシアンはため息をつく。


「そういう問題か?」


「そういう問題よ」


オリカはさっさと背を向け、廊下を歩き出す。


「ほら、夕飯食べに行くわよ」


ルシアンは少し不機嫌そうな顔で後をついて行く。



廊下を渡り、 大きな扉の前でオリカが立ち止まる。


「ここよ」


扉を開けると——


ルシアンは言葉を失った。


(……なんだ、ここ。)


広い。


まず、空間の広さに圧倒された。


壁は白い大理石で覆われ、 装飾が施された金色の柱が並んでいる。


天井には シャンデリアが輝き、豪奢なカーテンが風に揺れる。


そして——


長いテーブル。


10人以上が座れるほどの巨大なダイニングテーブルが、部屋の中心に鎮座していた。


さらに視線を向けると——


大きな窓。


そこからはロストンの街並みが一望できた。


(……夜景、か。)


夕暮れの名残が空を照らし、街の灯りが煌めく。


(……こんな景色、見たことねぇ。)


ルシアンは思わず息を呑んだ。


「さ、座って」


オリカが椅子を引いて、ルシアンを促す。


ルシアンは静かに腰を下ろした。


まるで貴族の晩餐のような雰囲気。


(……俺は、本当にここにいていいのか?)


そんな妙な居心地の悪さを感じながらも——


ルシアンの目の前に、温かい料理が運ばれてきた。



銀の蓋が持ち上げられた瞬間——


ルシアンは目の前の光景に絶句した。


(……これは、貴族の宴か?)


煌びやかな食器に盛られた料理の数々。


肉、魚、野菜—— どれも見たことのないほど新鮮で、豊かな香りを放っていた。


「……これ、全部食っていいのか?」


「当然でしょ」


オリカはナプキンを膝に広げながら、フォークを手に取る。


「ロストンの食材はどれも一級品よ」


彼女の言葉通り、この食卓には“ロストンの誇る味覚”が並んでいた。



「まずはこれね」


オリカが指をさしたのは、大皿に並んだ海鮮料理。


ロストンは貿易都市であると同時に、豊かな漁場を持つ港町。


港のすぐ沖合に広がるのは、《エルバレア海》——。


そこは大小さまざまな魚が泳ぎ、世界中の商人や漁師たちが求める“黄金の海”だった。


ルシアンは一匹の白身魚の切り身に目を向けた。


「……これは?」


「《ルーヴェンフィッシュ》よ。」


「ルーヴェン?」


「エルバレア海の深海に棲む魚で、身がふっくらしていて、脂が乗ってるの」


オリカは軽くナイフを入れると、柔らかくほぐれる白身をフォークで口に運ぶ。


「ん〜、やっぱり美味しい」


ルシアンも ナイフを入れ、ひとくち食べる。


(……なんだこれ。)


口の中でじんわりと広がる旨味。


脂の甘みと、 程よい塩気が絶妙なバランスで絡み合っている。


「この魚、高級品だろ」


「当然。ロストンの名産品のひとつよ


その他にも——

・《レグラシュリンプ》…… 大ぶりの海老で、弾力のある食感と濃厚な甘みが特徴。

・《メイルス貝》…… 淡い青色の貝殻を持つ貝。旨味が凝縮され、スープに最適。

・《ソルティシェル》…… 甲殻類の一種で、香ばしいバター焼きが絶品。


どれも驚くほど新鮮で、魚介の風味が豊かだった。



「こっちもオススメ」


オリカが手を伸ばしたのは、カラフルな野菜の盛り合わせ。


「ロストンは、海だけじゃなくて、農業も盛んなのよ」


ルシアンは目を細めた。


(……そうか、海の近くの都市なら、土地も肥えてるんだな。)


「これは、《ヴェルニカキャロット》」


オリカは紫色の人参を指さす。


「甘みが強くて、煮込み料理によく使われるの」


「……人参が紫色?」


「こっちの世界では普通よ


その他にも——

・《エルフィンリーフ》…… 葉が薄く透き通るハーブ。胃腸に優しい。

・《サルディアポテト》…… 黄金色のジャガイモ。ホクホクした食感とバターのような風味が特徴。

・《ミラベリアンアップル》…… 小ぶりなリンゴだが、爽やかな酸味と強い甘みを持つ。


「このジャガイモ、甘いな」


「でしょ? これは《モルグレン農場》で作られたものよ」


「モルグレン農場?」


「ロストン郊外にある大規模な農場よ。商人ギルドの取引先としても有名なの」


ルシアンは一口噛み締めるたびに、この街の食文化の奥深さを知る。



そして——


食卓の中央に鎮座する巨大な肉料理。


分厚くカットされたステーキ。

肉汁が きらめく照りを生み出している。


「これが……」


「ロストンの《カリアン・オックス》の肉よ」


「カリアン・オックス?」


「ロストン郊外にある《ガルフォード牧場》で育てられた牛の品種で、特別な飼料で育てられてるの」


オリカがフォークを突き刺し、ナイフを入れる。


すると、肉は 驚くほど柔らかく切れた。


「ほら、食べてみなさい」


ルシアンも一切れ口に運ぶ。


(……っ!)


噛んだ瞬間、肉の旨味が溢れた。


濃厚な肉汁が舌を包み、ほどよい脂身がとろけるように広がる。


(……こんな肉、食ったことねぇ。)


「ロストンに来て正解だったでしょ?」


オリカが得意げに笑う。


ルシアンは無言のまま、肉をもう一口噛み締めた。



ルシアンは、 自分が今どこにいるのか分からなくなりそうだった。


(……こんな食事、夢みたいだ。)


ヴァルキアでは一切口にできなかったものばかり。


戦争と迫害の中で、 腐ったパンと干し肉しか食べられなかった日々。


(……こんな世界があるなんて。)


彼は静かにナイフとフォークを握り直し、もう一度目の前の料理を見つめた。


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