第74話
霧の森を抜け、長い道のりを経て、一行はようやく ロストンの街門へと辿り着いた。
——夕暮れの街。
赤く染まる空が瓦屋根の上で輝き、石畳の道には長い影が落ちる。
街の通りには活気が戻り、人々が行き交っていた。
「やっと帰ってきたな」
ゼファーが肩を回しながら息をつく。
「……久々に、まともなベッドで寝れる」
エリーゼも微笑みながら頷いた。
「ロストンの街って、こんなに活気があったかしら?」
「まぁ、戦闘続きだったからな。久々に落ち着いた時間って感じだろ」
カイルが伸びをしながら言う。
オリカは街の風景を眺めながら、静かに息を吐いた。
(……ただいま。)
街の広場に着くと、ゼファーが 振り向いてオリカを見た。
「じゃあな、嬢ちゃん」
「俺は酒場でしばらく羽を伸ばすつもりだ」
「また面白い仕事があったら呼べよ」
オリカはゼファーの顔を見上げた。
「うん。ありがとう、ゼファー」
「おかげで、無事に薬草を持ち帰れた」
ゼファーはニヤリと笑い、片手をあげた。
「礼はいいさ。それより、あんまり無茶すんなよ?」
「この数日でよくわかったが、自分の身を顧みずに突っ走るタイプだからな。お前は」
「……わかってる」
エリーゼが微笑みながらゼファーを睨んだ。
「あなたがそれを言うの?」
「へぇへぇ。そうカリカリすんなって」
ゼファーは 肩をすくめ、軽く手を振りながら去っていった。
次に、エリーゼがオリカの方を向く。
「私も、一旦屋敷に帰ります。オリカはどうしますか?」
「ちょっと診療所に寄っていくね。整理するものがあるから」
オリカは小さく微笑んだ。
「またあとでね」
「ええ」
エリーゼは振り返り、優雅な足取りで去っていった。
カイルもオリカの肩を軽く叩く。
「俺はちょっと港に行ってくる。頼まれてた仕事があるんだ」
「わかった」
カイルが街の人混みの中に消え、オリカはようやく一人になった。
診療所に戻ると、オリカは机に向かい、カルテを整理し始めた。
(診療記録をまとめなきゃ……。)
木製のデスクには、 束になったカルテ、フィオナの薬草、湖で汲んできた水の瓶。
「……これが、フィオナの聖草」
指先で葉をなぞる。
ほのかに冷たい感触。
乾燥させたものと違い、 新鮮な状態では特有の清涼感がある。
湖の水は静かに光を宿し、揺らいでいた。
(守護者の言葉……。)
(この水には、“世界の記憶” が宿っている?)
オリカはそっと瓶を持ち上げ、目を細める。
カルテを開くと、オリカは深いため息をついた。
(電子機器がないから、データの管理が本当に大変。)
本来ならパソコンでデータベース化すれば、一瞬で整理できる。
でも、この世界にはそんなものはない。
(治療経過の記録を全部手書きで管理しなきゃいけない……。)
(統計データを取るのも、すごく手間がかかる。)
「……魔法で、どうにかならないかな。」
オリカはペンを走らせながら呟いた。
この世界には魔法がある。
もし、情報を保存するための “記憶魔法” のようなものがあれば——
(……いや、そんな魔法があるなら、すでに使われているはず。)
考え込んでも仕方がない。
今は手作業でやるしかなかった。
カルテを書きながら、 オリカの脳裏に“別の記憶” が蘇る。
(……湖でのこと。)
(守護者の言葉。)
(そして——“転生前の記憶”。)
——白い病室。
カーテンが風に揺れ、 窓の外には夕焼けが滲んでいる。
病室のベッドに横たわる自分。
そして、私の手を握る母。
(……お母さん?)
——涙ぐむ母の表情。
「ごめんね……ごめんね……。」
「こんなことになって……。」
「……もう、いいの。」
私は笑っていた。
どこか、諦めたような、そんな微笑みだった。
(……これ、私の記憶?)
(でも……。)
(私は、事故に遭ったんじゃなかった?)
オリカは深く息を吸い込んだ。
(……事故に遭ったことは覚えてる。)
——光が弾ける。
——急ブレーキの音。
——強い衝撃。
——遠のく意識。
「……っ。」
思い出せるのは、そこまで。
病院に運ばれたのか、助かったのか。
それとも、本当に死んだのか——
(それ以降の記憶が、曖昧すぎる。)
(私は……どうなったの?)
オリカは震える指でペンを置いた。
「……考えても、答えは出ないか」
湖での対話。
守護者の言葉。
「“明日世界が滅ぶとしても、お前はリンゴの木を植えることができるか?”」
——私は、何を選ぶべき?
オリカは夜の静寂に包まれながら、再びペンを取った。
(今、私にできることをする。)
カルテに静かに文字が記されていく。