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第70話




衝撃波が、余波として残っている。



カイルとエリーゼ。


体勢を崩していた2人はすでに立ち上がっていた。



「——《アイス・ピラー》!」



カイルが 素早く詠唱を紡ぐ。


ゴゴゴゴ……!


地面が揺れ、巨大な氷柱が鋭く伸び上がった。


それはまるで槍の森のように、湖の守護者を押し返す障壁となる。



「エリーゼ、援護を!」


「わかってる!」



エリーゼは即座に詠唱を開始しようとした。



しかし——



——ズルッ……!


「……っ!?」



湖の水面が蠢き、彼らの前に新たな影が生まれた。


ゼファーの援護に回ろうと展開していた2人の前に、“2つ“の波が出現する。




「分身……!?」


エリーゼが 驚愕の声を上げる。


それは湖の守護者と寸分違わぬ姿をしていた。


同じ黒曜石のような体躯、淡い星の輝きを纏い、黄金の瞳が静かに瞬く。


(……本体の魔力が、確かに宿っている。)


(ただの幻影じゃない……実体のある“もうひとりの敵”!)


「……っ! くるわよ!」


エリーゼが咄嗟に防御の詠唱へと切り替える。


しかし、分身は彼女が詠唱を終えるよりも速く動いた。


「カイル、避けて!!」


カイルが即座に氷の障壁を展開するが、分身は一瞬でそれを回り込む。


「……ッ!」


(まずい……! これじゃ、思うように立ち回れない……!)


エリーゼは焦る。


だが、その間にも——


オリカの前に、もうひとつの分身が現れた。



オリカの呼吸が詰まる。


(……戦う? どうやって?)


(私は、今まで治すことしかしてこなかった。)


(でも……“倒す” なんて。)


足が動かない。


まるで 全身が鉛のように重くなったかのようだった。


(……怖い。)


(この存在が、私に襲いかかろうとしている。)


目の前の分身が、一歩前へと踏み出す。


その動きにオリカの心臓が跳ね上がった。


「オリカ様!」


エリーゼが必死に駆け寄ろうとする。


だが、彼女の前にも分身が立ちはだかった。


「……どいて!」



——バシュッ!



エリーゼの杖を振るうより速く、鋭い水の刃が襲いかかる。


「くっ……!」


(まずい、オリカ様が……!)



オリカの目の前の分身が、滑るように距離を詰める。



「——あ。」



(動かないと。)


(でも、どうやって……?)



「オリカ、逃げ——!」


エリーゼの声が届くよりも、速く——



ズブッ……!



何かが、オリカの身体を貫いた。



「……っ。」



鈍い痛みが、胸の奥からじわじわと広がる。



ドクン、ドクン……。



心臓の鼓動が、妙に耳に響く。


視線を落とすと——


胸の中心に、水で形成された槍が突き刺さっていた。



「……あ……。」



オリカの唇が、震えながら開く。


——鮮血が、ゆっくりと霧の中に広がった。




「オリカァァァァァ!!!」


エリーゼの叫びが響いた。


ゼファーが反射的にオリカの方へ向かおうとする。


(クソッ……オリカ……!)


しかし——



「隙だ。」



湖の守護者が一瞬の迷いを逃さなかった。


——シュバッ!!


鋭い水の刃が、ゼファーのボディを切り裂いた。


「ぐっ……!!」


バシャァ!!


ゼファーの腹部から血が噴き出す。


それでも、彼は歯を食いしばりながら立っていた。


「……やりやがったな」


湖の守護者が無表情でゼファーを見つめる。


そして、その視線の奥には、微かな興味が宿っていた——。



「オリカ……!!」


エリーゼが悲鳴を上げる。


ゼファーの腹部から鮮血が滴り落ちる。


オリカの胸を貫いた水の槍が、冷たく揺れた。


風が吹き抜ける。




——ザァァ……。



湖の水面が波紋を広げ、淡い光を弾く。


オリカの指先が、かすかに震えた。


……意識が、沈む。


(……私、死ぬの?)


(……ここで?)



オリカの足元から力が抜ける。


「オリカ! しっかりして!!」


エリーゼが必死に駆け寄ろうとするが、分身がそれを阻む。


カイルも分身と対峙しながら叫ぶ。


「くそっ……この分身さえなければ……!!」


ゼファーが奥歯を噛みしめる。


「……クソが……!」


オリカの身体が、ゆっくりと後方へと傾いた。


守護者の瞳が微かに揺れる。


「……まずは1人」






——オリカ。


沈んでいく意識の中で、誰かの声が聞こえた。


「……誰……?」


——汝は、選ばれし者。


湖の水が波打つように、オリカの周囲で光を放つ。


身体の奥底に何かが触れる感覚。


(これは……?)


(まるで……世界樹の……?)


——目覚めよ。


その声と同時に——


オリカの胸から溢れていた血が、まるで“何か” に吸収されるかのように消えていった。







——…カ



オリカ——





どこかで声が聞こえた。


暗闇に沈みながら、その声は ふわりと、温かく響く。


「……誰?」





——思い出して。






——思い出す?



何を?



オリカの意識はさらに深く沈んでいく。


しかし、微かに残った理性が、何か大切なものを呼び起こそうとした。


次の瞬間——


光景が切り替わった。




病室の淡い蛍光灯の光が、目の奥に焼き付く。


消毒液の匂い。

機械の電子音。

規則的に響く、心拍モニターの音——



オリカはベッドの上に横たわっていた。


意識はある。


でも、身体が動かない。



(……私、どうして……?)


(ここは……どこ……?)



指一本すら動かせず、ただ天井を見上げていることしかできない。


病室の外から医師たちの声が聞こえる。



「……ご家族の方に説明を……」


「……もう、回復の見込みは……」



声は遠のいた。


代わりに——


誰かが 手を握る感触が伝わった。



「……オリカ……。」



震える声。


オリカの視界の端に、母親の姿があった。


疲れ切った表情。

かすかに浮腫んだ瞼。


それでも、彼女は 必死に笑おうとしていた。



「お母さん……?」



声に出したつもりだった。


でも、何も聞こえない。



(あれ……?)


(私……声、出せないの?)



母は静かに微笑んだ。


その瞳には涙が滲んでいた。



「オリカ……もう……頑張らなくてもいいのよ。」



(……え?)



「……お医者さんがね……もう、オリカは苦しいだけだって……。」



(……待って。)


(何の話……?)



「あと……どのくらい、あなたといられるのか……。」



(——やめて。)


(そんなの、嫌だ。)



でも——



オリカは何も言えなかった。



声を出すことも、身体を動かすことも、もうできなかったから。



——生と死の境目。


オリカは そこにいた。




医師の声が再び響く。



「……決断を、急ぐ必要はありません」


「でも、ご家族としては、残された時間をどう過ごすか……」



母の指が、そっとオリカの手を撫でた。



「オリカ……あなたは、きっと……」


「……誰よりも、優しい子だった」


「ずっと、お医者さんになりたかったのよね……?」



(……そうだ。)


(私は、医者になりたかった。)



小さい頃から憧れていた。


誰かを救える人になりたかった。


でも——



(私は……。)


(結局、何もできなかった。)



大学に進学し、医学生として努力した。


でも、現実は厳しく、苦しいばかりだった。


現場の過酷さ。

理想と現実の乖離。

自分の力不足。



(私は……ただの落ちこぼれだった。)


(何一つ……人を救えなかった。)


(それなのに……。)





——オリカ。



また、声がした。



「……!」



暗闇の中で、オリカは息を呑んだ。



(これは……誰の声?)


(私自身の……記憶?)



——お前の“命” は、まだ終わっていない。


——お前はまだ、“生きている”。



オリカの 胸が、じわりと温かくなる。



そうだ。



(私は……生きてる。)


(まだ、終わってない。)



「……私は……!」



その瞬間——


——オリカの意識が、一気に引き戻された。





——ザァァァァ……!


湖の水が波紋を広げた。


オリカの瞳がゆっくりと開く。



(……ここは……?)


(そうだ……私は……。)



目の前には仲間たちの驚いた顔。


そして——



「……なん…だと」



湖の守護者が黄金の瞳を細める。


オリカの傷が、ゆっくりと塞がっていく。




「……!?」


エリーゼが 目を見開く。


カイルも驚愕の表情を浮かべた。


オリカの胸の傷は完全に消えていた。


それを見て、守護者の表情が僅かに強張る。


「……ふむ」


ゼファーは鮮血に塗れながらも笑う。


「……やっぱり、お前はただの人間じゃねぇな」


湖の水面が揺れ、光がゆらめく。


オリカの意識が、ゆっくりと戻り始める。



「……私、まだ……死ねない。」



その言葉とともに——


オリカの手が、微かに輝き始めた。


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