第61話
霧が深まる森の中、一行は足元に気をつけながら慎重に進んでいた。
ゼファーはふと歩みを止め、隣を歩くオリカをじっと見つめた。
「なぁ、お嬢ちゃん」
「……何?」
オリカが眉をひそめると、ゼファーはまるで何気ない雑談のように尋ねた。
「なんでお前は、そこまでして薬草を取りに来る?」
オリカは一瞬、言葉に詰まった。
(……どう答えるべき?)
ゼファーはただの傭兵とは思えないほど勘が鋭い。
下手に誤魔化せば、余計に突っ込まれる。
オリカは小さく息を吸い、静かに言葉を紡いだ。
「……フィオナの聖草は、貴重な薬剤の原料なの」
「ふぅん。魔法薬に使うってことか?」
ゼファーが軽く首を傾げる。
オリカは首を横に振った。
「いいえ。魔法薬とは違う」
「フィオナの聖草には、特殊な抗炎症作用がある。
現代医学で言うなら……そうね、ステロイド剤に近い」
「ステロイド?」
エリーゼが不思議そうに眉をひそめる。
「簡単に言えば、炎症を抑える薬」
オリカは続けた。
「この世界では、魔法治癒が主流だから、
“炎症” という概念そのものがあまり理解されていない」
「でも、魔法で回復するのと、自然治癒とは違うわ」
「例えば、深い傷を負った時、
魔法治癒で皮膚を塞ぐことはできるけれど、
その下に炎症が残ったままだと……?」
ゼファーはすぐに答えた。
「……内部から腐る、か?」
「そう」
オリカは静かに言った。
「炎症がひどくなると、体の中で膿が溜まり、
最悪の場合、体全体に悪いもの(細菌や毒素)が広がって死ぬこともあるの」
「……!」
エリーゼの表情がわずかに強張った。
この世界では、「感染症」や「菌」の概念がまだ根付いていない。
魔法があるがゆえに、医療技術の発展が遅れているのだ。
だが、オリカには知っている知識がある。
(この世界の医学は、現代医学から見れば、まだ“発展途上” 。)
(でも、だからこそ、私がやるべきことがある。)
「フィオナの聖草には、
この“炎症” を抑える成分が含まれてる」
「つまり……」
ゼファーは口元に笑みを浮かべた。
「お前は “魔法だけに頼らない医療” をやろうとしてるわけか」
オリカは 真剣な眼差しで答えた。
「そうよ」
「珍しいな。このご時世、そんな奴がいるとは」
「魔法でなんでも治せると思ってるんでしょ?」
「さぁな。修道院に世話になったことはあるが、治癒魔法には限界がある。中にはすげぇ奴らもいるがな」
「…すげぇ奴ら?」
「ヒーラーだよ。修道院の奴らは大抵大した魔力も持ってねぇが、戦場に駆り出されるエリートの中には、千切れた腕をくっつける奴だっている」
「すご…」
「お前はそういう類じゃねぇのか?」
「…えっと」
「…私は、ただの“医者”っていうか」
「ふーん。そんなに魔力があるのにか?」
「魔力があるかどうかは知らない。私はただ、“自分が知っていること”を信じたいだけ」
「つーのは?」
「すごい魔力を持っている人がいても、そういう人たちばかりじゃないでしょ?もっと「知識」を広めたいのよ。“医学”っていうか、誰もが、ちゃんと治療ができるような世界をさ?」
「……ほう。でも、それって結構、敵を作るんじゃねぇの?」
オリカは静かに俯きながら、苦笑した。
「……もう作ってる…かも」
「ってかさ」
ゼファーが ふと、オリカを見た。
「さっきから“現代医学”がどーちゃらって言ってるけどよ……」
「それ、なんだ?」
オリカは一瞬、言葉に詰まった。
「……この世界の医学より、
もっと進んだ医療のこと」
「進んだ……ねぇ」
ゼファーは 顎を撫でながら、少し考えるような素振りを見せた。
「たとえば?」
オリカはゆっくりと口を開く。
「……この世界では、病気の原因は“呪い”や“魔の瘴気”って考えられているよね?」
「でも、私はそうは思わない。」
「病気は、体の中で起きる “異変” なの」
「異変?」
エリーゼが興味深そうに聞く。
「そう。目に見えないほど小さな存在が、
体の中に入り込んで、病気を引き起こすこともある」
ゼファーは目を細めた。
「……見えねぇもんが、病気を作る?」
「ええ」
「だとしたら、それをどうやって治すんだ?」
オリカは 微笑んだ。
「方法はいくつもある」
「たとえば “薬” 。」
「たとえば “手術” 。」
「たとえば “清潔な環境” を作ること。」
「それが“現代医学”」
ゼファーはしばらく沈黙し、やがてニヤリと笑った。
「……ふーん」
「……まぁ、オリカ様が頑張っていることは、あなたにはわからないでしょう」
エリーゼが冷たく言い放った。
ゼファーが目を向けると、エリーゼは優雅な微笑を浮かべていた。
「傭兵は、ただ雇い主の命令通りに動けばいいのです
「報酬をもらって、仕事をする」
「それ以上の詮索など、必要ありません
ゼファーは目を細めた。
「つれねぇなぁ、おい」
エリーゼは微笑んだまま、オリカを見つめた。
「オリカ様、この世界では、魔法がすべての治療と考えられています。
魔法が治せないものは、“治らないもの” とさえ思われています」
「それが、この世界の“医学” です
「……そう…だよね」
オリカは複雑な表情をした。
「でも、私は魔法が万能とは思ってない」
「現代医学があるのなら、魔法と組み合わせて、もっと多くの命を救う方法があるはず」
エリーゼはふっと目を細めた。
「……オリカ様は、本当に変わっていますね」
「でもよ。」
ゼファーが腕を組みながら言う。
「薬草ってのは、どこまで行っても “対症療法” だろ?」
オリカは彼の方を見た。
「……それは、間違いじゃない」
「魔法も万能じゃねぇし、
薬草も結局、症状を抑えるだけのもんだ」
ゼファーは霧の奥を睨む。
「お前は、“根本的に治す方法” を探してるんじゃねぇのか?」
オリカの心臓が強く跳ねた。
「……そうだけど」
ゼファーは皮肉めいた笑みを浮かべる。
「だったら、薬草なんて探してる場合か?」
オリカはゼファーを見据え、強く言った。
「必要なものは、すべて使う」
「それが、私の医療」
その時——
霧がざわりと揺れた。
「……!」
ゼファーが足を止めた。
「何かがいる
オリカの背筋に、ぞわりと悪寒が走った。
(……ここからが、本当の戦いかもしれない。)
——そして、一行はさらに霧の奥へと進んでいく。