第59話
「——ここが、《常夜の霧海》か……」
ゼファーが 手綱を引き、馬車を止めた。
ロストンの北、太陽の光が届かない原生林——。
そこに広がるのは、白い霧が永遠に漂う“異界” だった。
「“常夜”ってことは……昼でも暗いってこと?」
オリカが呟く。
「そういうことだ」
ゼファーは霧の向こうを睨みながら、淡々と答えた。
「この森の霧は “魔力を帯びた瘴気” そのもの。
昼でも夜のように暗く、陽の光はほとんど届かねぇ」
「……まるで異世界ですね」
エリーゼは 霧の中に指を伸ばした。
「この霧……冷たい」
「それだけじゃねぇぞ」
ゼファーは木々の奥へ視線を送る。
「この霧は “音を吸う” んだ。
だから森に入った瞬間、外界の音は一切聞こえなくなる」
「……気味が悪いわね」
オリカは背筋に寒気を感じた。
「……それだけじゃない」
カイルが低い声で言う。
「この森は、何かが“潜んでいる”気配がする
《常夜の霧海》 の特徴
◇ 霧の性質
森の中に満ちる霧は、ゆっくりと流動し、生きているかのように動く。
霧の濃度は場所によって異なり、奥へ進むほど視界が狭まる。
瘴気が含まれており、長時間吸い込むと身体が重くなる。
◇ 木々と環境
森の木々は、細長くねじれ、根が隆起している。
幹の表面は苔むしており、まるで呼吸しているように湿っている。
葉は青白く光り、時折、枝の隙間から“何か”が覗いているような錯覚を覚える。
◇ 音の消失
足音は、霧に吸い込まれるように響かない。
風は吹いているのに、木々は不自然に揺れない。
どこからともなく、“低いうなり声” が聞こえてくるが、その主は見えない。
「……やっぱり、気味が悪いな」
オリカは腕を抱いた。
「森の中なのに、鳥の声もしないし……虫の音すら聞こえない」
「音がしないってことは……」
エリーゼが鋭い視線を巡らせる。
「この森には、普通じゃない環境、——生態系が広がっているということかもしれないですね」
「……つまり、“何か” がいるってこと?」
オリカがゴクリと唾を飲み込んだ。
ゼファーは軽く笑いながら、前を指差した。
「“何か” どころか、“たくさん” いるぜ。」
オリカはその指の先を見た。
——霧の中、微かに光る無数の目。
何かが、こちらを見ていた。
「ッ……!!?」
その瞬間——
馬が激しく嘶いた。
「落ち着いて!」
オリカは慌てて馬の首を撫でる。
だが、馬の目は 完全に恐怖に染まっていた。
——ブルブルと震え、前に進もうとしない。
「……魔獣の気配に怯えているんですね」
エリーゼは冷静に分析した。
「このまま進めば、馬はパニックを起こすでしょう」
ゼファーは舌打ちする。
「チッ、ここからは歩きか」
「仕方ありません。」
エリーゼが馬車から降り、裾を整えた。
「この霧の中では、馬の視界が効きませんし、何より、魔獣に気づかれやすくなります」
「……まぁ、歩いた方が“音” を消せるしな」
ゼファーは馬車から飛び降りる。
「お嬢ちゃん、覚悟はできてるか?」
オリカは深く息を吐いた。
(……怖い。)
(でも、引き返すわけにはいかない。)
「……もちろんよ」
オリカは自分を奮い立たせるように、しっかりと足を踏みしめた。
「なら、行くぞ」
ゼファーが 先頭に立ち、霧の森の奥へと足を踏み入れる——。