第56話
エリーゼは冷たい目で、酔い潰れていた赤髪の男を睨みつけた。
「……オリカ様、この男はやめておきましょう」
オリカは絶句した。
「えっ……いや、でも……」
(他にいい男はいなさそうだし……)
それは、彼女の心の叫び。
男の名前はゼファー・クロウ。
傭兵ギルド《黒狼の爪》のメンバーで、“死神” の異名を持つ凄腕の傭兵。
彼は片目に黒い眼帯をしながら、無造作に流れた赤髪をくしゃくしゃと掻いていた。
長身で整った顔立ち、皮肉めいた笑み——
(この顔面、完璧すぎる!!!!!)
オリカの脳内で鐘が鳴り響く。
「オリカ様、どうせまた容姿だけで選ぼうとしているのでしょう?」
エリーゼは呆れ顔で溜息をつく。
「そ、そんなこと……」
(いや、ちょっとはある。)
すると、ゼファーは半開きの目を向けながら、酒を片手にニヤリと笑った。
「へぇ、お嬢ちゃん、俺のこと気に入ってくれたのか?」
「っ!! ち、違うわよ!!」
オリカの耳が真っ赤になる。
顔だけで選ぶつもりはなかったが、その「顔面」は下手なアイドルよりも遥かに“整っていた”。
おまけに色気もあり、オリカの「好み」にモロに食い込んでいる。
エリーゼはそんなオリカの手を引き、目を覚まさせようとしていた。
目の前の男が顔だけじゃなく“優れた傭兵”なのであれば、エリーゼも少しは考える気になっただろう
が、生憎エリーゼにとって、目の前の男は、“ただの酒癖の悪い男”にしか見えなかった。
その瞬間——
ゼファーの 手が一瞬ブレた。
そして——
——むにゅっ。
「…………」
エリーゼの 胸が掴まれていた。
「…………」
「おっと、つい出来心でな?」
ゼファーはさらりと手を引き、酒をひと口。
——ドゴォッ!!!!
エリーゼの正拳突きが炸裂する——が、空を切った。
(速い!?)
ゼファーは酔っているはずなのに、ふわりと避ける。
「ま、落ち着けよ、お嬢さん」
「落ち着けると思いますか?」
エリーゼの微笑みが怖い。
しかし、ゼファーはまったく動じない。
「で、要件はなんだ?」
彼は再び酒をあおった。
オリカはゴホンと咳払いし、
《フィオナの聖草》を採取するための護衛依頼を説明した。
「聞いたことねぇな、そんな薬草」
「希少な薬草らしいの。そこらへんの生えてるような植物じゃなくて」
「じゃあ、どこに生えてるんだ?」
「…レイヴァン山脈の麓に広がる“魔の森”…って、聞いてる」
「……つまり、霧の森に行きたいってわけか?」
ゼファーはふむ、と考え込む。
そして——
「高ぇぞ?」
「え?」
「霧の森は“魔獣の巣” だ。護衛となると、それ相応の対価が必要だな」
彼は 指を一本立てた。
「最低でも 金貨10枚」
「金貨…10!?!?!?」
オリカは目をむいた。
「そんなに取るの!? ぼったくりじゃないの!?」
「これは適正価格だぜ?」
ゼファーは涼しい顔。
「俺を雇うなら、それくらいは覚悟しろ」
オリカは頭を抱えた。
(…金貨10枚って、この世界の価値で言うと相当だよね!?)
(金銭感覚がまだよくわかってないけど、もしかして騙されてる…?)
(でも……顔は最高なんだよなぁぁぁぁ!!!)
「やめておきましょう、お嬢様。他の人を探します。」
「ええぇぇぇ……」
オリカは未練たらたらの表情でゼファーをチラ見する。
(でも、確かにやめておいた方がいいかも…。それに、酒臭いし)
「さあ、行きますよ。」
「ううぅぅぅ……。」
オリカはしぶしぶ、他の傭兵を探そうとした——その時。
「……おい、お嬢ちゃん。」
ゼファーの低い声が響いた。
オリカは思わず足を止めた。
ゼファーはグラスを揺らしながら、まるで興味深そうに、彼女をじっと見つめている。
「な、何よ……?」
「お前、なんでそんなに魔力が高いんだ?」
……
………………
………………………………
「……は?」
オリカは 目を瞬いた。
「ちょっと待って、どういうこと?」
ゼファーは木樽ジョッキを片手に、軽く首を傾げる。
「俺のこの“魔眼”はな、生物が持ってる潜在能力(魔力総量)を解析することができる」
「で、お嬢ちゃん」
ゼファーは目を細め、ニヤリと笑った。
「お前、普通の人間とは桁違いに魔力があるぞ?」
「……っ!!」
オリカの背筋にゾクリと冷たいものが走った。
「な、何言ってんの?? 私なんてただの……」
「いや、誤魔化すなよ。」
ゼファーは 無造作に足を組み、オリカを真っ直ぐ見つめた。
「俺はウソを見抜くのが得意なんだ」
「お前の魔力総量……普通の人間の数百倍はある」
「……」
「こりゃあ、単なる“魔法使い” なんかじゃねぇな?」
オリカは息を呑んだ。
(どうして……そんなことが分かるの?)
「俺は別に、てめえの素性なんざ興味ねぇ」
ゼファーは再び酒を飲みながら、ぼそりと呟く。
「ただな、気になることがあるんだ」
「“そんな力を持ってる奴” が、なんでわざわざ傭兵を雇って、薬草採取なんかに行こうとしてるんだ?」
オリカはぐっと口を噤んだ。
(……言えない。)
(私が“転生者” だなんて。)
だが、ゼファーはすでにオリカに興味を持ってしまっていた。
「面白ぇな」
ゼファーはニヤリと笑う。
「霧の森ってのは、単なる薬草採取にしちゃあ危険すぎる場所だ」
「それでも行こうっていうなら、もうちょっと聞いてみたくなったな。その「仕事」とやらを」
オリカはゼファーの瞳をじっと見つめた。
(この男……。)
(ただの酔っ払いじゃない。)
(それどころか、何かを見抜く目を持っている……!!)
彼女はゆっくりと息を吐いた。
「……分かった」
「それじゃあ、ちゃんと契約の話をしない?ただ、報酬についてはもう一度話し合う必要があると思うんだけど?!」
ゼファーはニヤリと笑い、グラスを置いた。
「へぇ……いいねぇ。じゃ、一旦仕切り直しといこうか?」
「“交渉の場“ってのは、酒と同じで楽しいもんだ」