第5話
「ねえねえ、そろそろここから出してくれません?」
牢屋の鉄格子にへばりつきながら、私は向かいの看守に訴えかけた。
重厚な鎧を身にまとった中年の男が、めんどくさそうにこちらを見下ろしている。
「身分証は?」
「へ?」
「身分証だ。お前、持ってねぇのか?」
「……あの、すみません。“身分証”とは?」
「……はぁ?」
看守の男は、ものすごく呆れた顔をした。
「お前、ロストンの住人じゃねぇのか?」
「まあ、来たばっかりというか……」
「じゃあ当然、身分証は持ってねぇんだな」
「え、持ってないとどうなるんです?」
「無法者扱いだ」
「えぇぇぇぇぇぇ!?!?」
まさか、身分証がないだけで無法者にされるとは思わなかった。
だが、看守の男はそれを当然のように言ってくる。
「この国では、帝国が発行する正式な身分証を持っていない者は、流れ者か犯罪者と見なされる んだよ」
「そんな……じゃあ、私、もう立派な犯罪者!?」
「はっ、今のところはまだ“不審者”って扱いだがな」
やばいやばいやばい。
このままじゃ、本当に 犯罪者として処刑 される未来が見えてきた……!
「とにかく、身分証がないならお前の素性は証明できねぇ」
看守は腕を組んで、じろりと私を見下ろした。
「どこの生まれで、どこの領民かもわからねぇ奴を、勝手に街で魔法をぶっ放す“危険人物”として野放しにするわけにはいかねぇんだよ」
「……う、うぅぅ……」
異世界、意外と法律厳しい!?
「ど、どうにかならないですか?」
「誰かお前の身元を保証する奴でもいれば別だがな」
「……保証人……」
まさか異世界で 連帯保証人が必要になるとは。
「はぁ……どうすりゃいいのよ……」
私は鉄格子に頭を預けて、ため息をついた。
その時だった。
「ふふ、また困っているみたいだね?」
ふわり、と空間に光が揺らぎ、例の 言霊の精霊・ルミエル が現れた。
「やぁやぁ、また会ったね!」
「うわッ、消えたと思ったらまた出てきたのか!?」
「まぁまぁ。君がこの世界を知る必要がありそうだからね」
ルミエルはクルクルと宙を舞いながら、楽しげに笑う。
「さて、“身分証”の意味 について説明しておこうか」
「うん、それめっちゃ知りたい」
「この世界には 三つの大陸 があって、それぞれが強大な帝国によって統治されている」
「三つの大陸……?」
「そう、このロストンがあるのは ラント帝国 の領地のひとつ。
ただし、ロストン自体は 自治都市 に近い扱いを受けている」
「ふむふむ……」
ルミエルは光の軌跡を描きながら、説明を続ける。
「そして、ラント帝国以外にも 二つの帝国が存在している」
「他の帝国?」
「西に広がる『ヴァルキア神聖帝国』。
そして 東の砂漠を支配する『カルマーン皇国』 だよ」
「ふむ……つまり、世界には三大国があるってことね?」
「その通り」
「でもさ、それと身分証ってどう関係あるの?」
「簡単に言えば——
各帝国は、自国民を管理するために“身分証”を発行している んだよ」
「……ってことは?」
「身分証がない人間は、“どこの国の人間でもない”ってことになる」
「……それって、やばい?」
「やばいね!」
ルミエルは軽く肩をすくめる(羽だけど)。
「つまり、君は どこの国にも属していない、正体不明の危険人物 って扱いになってるわけさ」
「……うわぁ……」
なるほど、それで私は牢屋にぶち込まれたのか。
「で、ここからが重要な話なんだけど——」
ルミエルは小さくため息をつくと、語り始めた。
「今、三つの帝国は 戦争寸前の緊張状態 にあるんだ」
「……えっ?」
「ラント帝国、ヴァルキア神聖帝国、カルマーン皇国……
この三つの帝国は、互いに大陸の覇権を巡って火花を散らしている んだよ」
「そんなに仲悪いの?」
「うん。特に ラント帝国とヴァルキア神聖帝国 は、何百年も前から因縁がある」
「なんで?」
「大昔、ラント帝国が 『世界樹』を独占しようとしたからさ」
私は思わず息をのんだ。
世界樹——それは、この世界を支える巨大な存在。
その根は冥界に繋がり、その枝葉は天界に届くという、神話の中の聖なる樹。
「ヴァルキア神聖帝国は 『世界樹は神のものだ』 と主張していた。
でも、ラント帝国は 『世界樹の力を支配すれば、世界を統べられる』 と考えた」
「なるほど……」
ラント帝国 vs ヴァルキア神聖帝国の争いは、世界樹の所有権を巡る戦争 だったのか。
「そして、第三の帝国 カルマーン皇国 は、中立の立場を取っていた……。
けれど、最近になって 黒死の病が大陸全土に広がり始めた ことで、情勢が変わりつつある」
「……黒死の病が?」
「そう。黒死の病は、カオスの影響を受けた“穢れ”でもある。
それが大陸全土に広がることで、『世界樹の力が弱まっているのでは?』 という疑惑が出てきた」
「……」
「もし世界樹が枯れたら、この世界は終わる。
だから、各国は 『世界樹を支配することこそが、世界を救う鍵だ』 って考え始めているんだ」
「……つまり?」
「このままだと、三つの帝国は本当に戦争を始めるかもしれない」
「……」
私は、牢屋の冷たい石壁を見つめながら、小さく息をのんだ。
「……私、めちゃくちゃヤバい時期に転生してきちゃったのでは?」
牢屋に閉じ込められたまま、私はこの世界の壮大な戦争の火種を知ることになった——。