第3話
少年の家を後にし、私はゆっくりと石畳の道を歩きながら、改めてこの世界の空気を感じていた。
——ここは、ロストン。
ラント帝国南部に位置する交易都市であり、「北の門」 とも呼ばれる大都市。
ロストンは 「三つの国の境界に位置する都市」 であり、さまざまな文化や人種が入り混じっていた。
帝国の影響下にあるものの、完全な直轄領ではなく、自治都市 に近い立場。
そのため、商人、職人、旅人、流れ者、そして裏稼業の人間まで、さまざまな人々が集まる場所 でもあった。
私は石畳の道を歩きながら、異世界の街並みをじっくり観察する。
「うわぁ……まさにファンタジーの世界……!」
木造の建物が立ち並び、窓にはカラフルな布が掛けられている。
活気のある市場には、新鮮な野菜や果物、見たこともない香辛料が並び、人々の威勢のいい声が飛び交っていた。
「はいはい、新鮮な羊肉だよ! 今ならおまけつけるよ!」
「魔法の灯りはいかがですか!? 夜でも使える不思議な光、たったの三銀貨!」
「旅人さん! 美味しい焼きパンはいかが? 焦がしバターの香りが最高よ!」
「……」
食べ物の匂いにつられてフラフラと足が向きそうになるが、私は何とか我慢した。
今は、お金がない。
「っていうか、お金の概念どうなってるんだろ……?」
私は適当に立ち止まり、店先に並ぶ商品を眺める。
パン一斤が 五銅貨、果物が 一銀貨、魔法の灯りが 三銀貨。
ざっと見た感じ、銅貨 → 銀貨 → 金貨の順で価値が高くなるっぽい。
「ふむふむ。経済感覚をつかむのも大事だな……」
賑やかな市場を抜けると、街の雰囲気は少しずつ変わっていった。
道端で物乞いをする老人、壁にもたれたまま動かない人々。
市場の活気とは裏腹に、街の隅には明らかに疲れ果てた人々がいた。
「……ロストンって、大都市なのに貧しい人も多いんだな……」
交易都市ということは、経済はそれなりに発展しているはず。
それなのに、これほどまでに格差がある のはどうしてだろう?
私はしばらく街の裏通りを歩きながら、会話に耳を傾けた。
「最近、疫病のせいで商売がうまくいかねぇ……」
「黒死の病が広がってるっていうし、あんまり旅人を受け入れたくないんだよな……」
「でもさ、帝国は何もしてくれねぇんだぜ?」
「そりゃそうさ。ロストンは帝国領だが、ルーヴェンに比べりゃ、まだまだ医療が行き届いてねえんだ。結局、街を守るのは街の人間ってこった」
「でも、こんな状態が続いたら、いずれロストンは……」
「……」
疫病が広がることで、経済が回らなくなり、貧しい人が増え、さらに衛生環境が悪化する——。
この街は、そんな悪循環の中にあるのかもしれない。
「……なるほどね」
私は静かに息を吐いた。
ロストンは 交易都市としての豊かさと、疫病による貧しさが共存している街 だった。
そのため、金持ちはより裕福に、貧しい者はどんどん困窮していく。
この状況なら、医療を受けられない人も大勢いるはずだ。
「……これは、闇医者として稼げるんじゃないか!?」
思わずニヤリとしてしまう。
疫病で困窮する人が多いなら、私の治癒魔法の需要はメチャクチャある。
けれど、普通の病院や治癒師たちが手を出せないのなら、「裏の医者」としてなら活躍できるのでは!?
「よし、決めた……!」
私は拳を握りしめた。
「ロストンで 闇医者 を始めよう!」
この街には、救われるべき命がある。
この街には、治せない病気がある。
この街には、金になる仕事がある!!(ここ大事)
「さて……まずは、拠点を探さないとな!」
ロストンの街を歩きながら、私はふと広場にある 巨大な石碑 に目を止めた。
「……これは?」
石碑には、こう書かれていた。
——「すべての命は、世界樹に還る」
「……世界樹?」
私は思わず、立ち止まる。
石碑には、 “世界神話” と書かれた文書が綴られていた。
この世界には、巨大な「世界樹」が存在する。
その根は冥界に繋がり、その幹は地上を支え、その枝葉は天界へと伸びている——。
街行く人に聞いてみた。
黒死の病っていうのは、どこから来て、いつから“始まっている”のか。
街の人が言うには、「黒死の病」は 冥界に封印されたカオスの影響 で生まれた病気。
世界樹が「命を育む存在」なら、その根から滲み出るカオスの力は「命を蝕む存在」だと——
世界神話を、この街の図書館で調べてみた。
広辞苑が二冊重なったかのようなどっしりとした書物。
その分厚い表紙を開くと、版画のような白黒の「木」が描かれた次のページに、「世界神話」と題された文章が書かれてあった。
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■ 世界神話:ユグドラシルの伝説 ■
かつて、世界は「形」を持たなかった。
時も空も存在せず、すべてはただひとつの混沌の中に溶け合い、永遠に続いていた。
それは完全なる静寂、無限なる調和。
しかし、そこには 命も、光も、愛もなかった。
その中で、ひとつの意志が目覚めた。
創造神ガイア。
彼女は知った。
「このままでは、世界は生まれない」
そして、彼女は決意した。
「ならば、私はこの世界を分かたねばならない」
彼女は 母なる神カオス を引き裂き、彼女の体を貫いて 世界樹 へと変えた。
その根は 冥界 に伸び、
その幹は 地上 を支え、
その枝葉は 天界 を抱いた。
——こうして、世界に「境界」が生まれた。
天と地、昼と夜、生と死——
全ては世界樹によって 分け隔てられ、世界は形を持つ ことができた。
しかし、カオスは 完全に滅びたわけではなかった。
その力は 世界樹の根の奥深くに封じられ、なおも世界へ囁き続けている。
「統べよう、すべてをひとつに戻そう」と——。
ガイアはその囁きを封じるため、
海の女神ティアマト、夜の女神ニュクス、闇の神エレボス、
そして、愛の神エロースと、奈落の神タルタロスを生み出した。
さらに、ガイアは天を産み、そこにティーターンたちを宿した。
彼らは世界を創り、人々を形作る使命を与えられた。
やがて、天は輝き、大地は命に満ちた。
だが——
世界樹の根から滲み出る「カオスの囁き」は、ゆっくりと世界を蝕んでいた。
それは、黒死の病として姿を変え、命あるものたちに忍び寄る。
「すべての命は、世界樹に還る」
そう語る古き言葉は、やがてこの世界に残された 最後の約束 となった。
終わりの時、世界樹はその枝を閉じ、根へと還るだろう。
その時、生命は消え去り、カオスが再びすべてを包む。
——あるいは、それを止める者が現れるのかもしれない。
命を巡る旅人が、今もなお 世界のどこかで目覚めている のだから。
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…ふむふむ
「……ってことは、黒死の病を治す鍵は、世界樹にある?」
私は新たな仮説を立てた。
もし本当に 世界樹が黒死の病の原因と関係しているなら、
ただの治癒魔法では治せない理由も説明がつく。
「……これは、面白くなってきたじゃん」
私はロストンの街を見渡しながら、小さく微笑んだ。
世界の真実に触れながら、この街で生き抜く。
そうと決まれば、まずは 自分の居場所を作る ところから始めなきゃね——!