第31話
「はぁぁぁぁ……生き返るぅぅぅ……」
オリカは、湯船にどっぷりと浸かりながら、今日の疲れを全身で癒していた。
診療所は、異種族たちの来訪で大混乱。
エルフの50年もの骨折、ドワーフの鉄粉摂取、
獣人族の換毛期を病気と勘違いなど……。
(異種族の治療って、こんなに大変なのね……)
お湯がじんわりと体を包み込み、緊張でこわばっていた肩がようやく解けていく。
「失礼します、先生。」
オリカが目を閉じていると、静かな声が風呂場に響いた。
「お、エリーじゃん!!」
入ってきたのは、アレクシス家の使用人であるエルフの女性、エリーゼだった。
彼女は長い銀髪をゆるく結い、整った顔立ちを持つ、見るからに上品な雰囲気の女性だった。
「オリカ様が今日もお疲れのようでしたので、湯上がりの飲み物を用意しておきました」
「うぅ……気が利くじゃぁぁん。ありがとう……」
エリーゼは、オリカの横の桶にそっとタオルを置き、自身も湯船の端に腰掛ける。
「ねぇねぇ、エリー」
「はい?」
「……今日、診療所にエルフの患者が来たんだよ」
「あら、それは珍しいですね」
「骨折した腕を50年も放置してたんだけど、あれ、どういうこと!?」
「……ええ、それはよくあることです」
「……マジ?」
オリカは、お湯に肩まで沈みながら、エリーゼの顔をじっと見つめた。
「エルフは長命の種族ですから、50年というのは私たちにとっては“少し前の出来事” に過ぎません」
「時間感覚バグってる……」
「オリカ様のような“人間” とは、生きる時間の尺度が違うのです」
オリカは、少し考えてから、ふと尋ねた。
「ねぇ……エリー、そもそもなんでこの世界では人間が覇権を握ってるの?
エルフや竜人族とかのほうが、身体能力も魔法の力も強いんじゃない?」
エリーゼは、一瞬だけ静かに目を閉じ、ゆっくりと語り始めた。
【人間が覇権を握るまでの歴史】
▼ 太古の時代——“神々の時代”
・世界樹がすべての種族を生み出した
・最初に誕生したのは、竜人族、エルフ、ドワーフ などの長命種
・しかし、彼らは人口が増えにくく、社会発展が遅れた
▼ 中世の時代——“人間の台頭”
・人間は寿命が短い分、繁殖力が高く、技術発展が早かった
・ 「魔法よりも武器と戦略」 を重視し、戦争での勝利を重ねた
・エルフは「戦いを好まない種族」だったため、覇権争いに加わらなかった
▼ 近代の時代——“人間帝国の成立”
・最終的に、人間の帝国が世界を統一
・他種族は人間の支配下に組み込まれる形となった
▼ 現在の社会構造
・人間が政治・経済の中心(貴族・商人・軍が権力を握る)
・エルフは「学者」や「賢者」として一部社会に受け入れられている
・ドワーフは「職人」として地位を確立している
・獣人族や竜人族は、未だに差別的扱いを受けることが多い
「私たちエルフは、何百年も生きることができますが、その分、一つの時代に執着しません」
エリーゼは、お湯に手を浸しながら、静かに言った。
「人間の時代がいつか終わるのなら、それを待てばいい。
そう考える者が、エルフの中には多いのです」
「……なるほど」
確かに、50年を「少し前のこと」と言える種族なら、100年、200年先の未来を考えるのは普通なのかもしれない。
「でも、オリカ様のように“未来を変えよう” と行動する人間は、私たちには真似できないことです」
「……それって、褒めてる?」
「ええ、もちろん」
エリーゼは、微笑んだ。
「ところで、オリカ様」
「ん?」
「せっかく異種族の患者が増えてきたのですし、“異種族が多く暮らす街” を訪ねてみてはどうでしょうか?」
「異種族の街……?」
「ロストンから東にある“グラン=ファルム” という街は、人間、エルフ、ドワーフ、獣人が共存する街です。
そこなら、異種族の医学について詳しい人がいるかもしれません」
「なるほどね……」
オリカは、顎に手を当てた。
(この世界に来てから、私はまだ“人間の社会” しか見ていない。)
(異種族たちの文化、彼らの医学……もっと知るべきことがたくさんあるかも。)
「……よし、それじゃあ行ってみようかな!」
オリカはお風呂の中で決意を固めた。
「いいですね。では、私がヴィクトール様に提案しておきます」
エリーゼは、優雅に微笑んだ。