第219話
「また手ェ出してんのかよ……」
その声は、乾いたため息とともに、通りの向こうから聞こえてきた。
声の主は短めのマントを翻しながら、くすんだ石畳を足早にやってくる。陽の光を受けて、明るい銀の髪が揺れていた。
「ルシアン……!」
カリナの横にしゃがんでいたオリカが、ようやく立ち上がった。
「オリカ、ほっつき歩くなって言ったのはお前だろ?こんなとこで何してんだよ……」
ルシアンの口調は呆れていたが、その目には諦めと、ほんの少しの心配がにじんでいる。
“誰彼構わず治療を施す”
それが赤の他人であってもお構いなし。
彼女のそういうところを、これまで何度も見てきたからだ。
「しょうがないじゃん。すぐに処置しないと手遅れになりそうだったし……」
「そりゃそうだけどさ……あー、まったく……」
続いて現れたのは、静かな足音とともに近づいてきた長身の女性——淡い金糸の髪を後ろで編み上げた、エルフの女性だった。
「オリカ、…またですか?気持ちはわかるけど、せめてもう少し頻度を落としたほうが…」
「エリーゼ……ごめん。でも……」
「……いいのよ、わかってる。ただ、体力の温存は医師の義務でもあるから。ね?」
エリーゼの声は柔らかく、それでいてしっかりと芯を通していた。
オリカは軽く頭を下げながら、少しだけ肩をすぼめる。
そのやり取りを少し離れて眺めていたカリナは、ふと微笑んだ。
「なるほど、あなたたちは旅の仲間ね?」
「……あんたは?」
ルシアンが目を細めて訊いた。カリナは胸に手を置いて、軽く頭を下げる。
「カリナ・ルッツ。獣人族の配送屋。この街には、たまたま納品と買い付けで来てたんだ」
「知り合いか?」
オリカは首をブンブンと振る。「さっき出会ったばかり」と伝え、視線をカリナに移す。
「私から声をかけたの。たまたますれ違っただけなんだけど、ちょっと気になってさ?」
カリナの視線の先には路地で倒れている病人がいた。
オリカの治療によって少し顔色が良くなっていたが、それでもまだ意識は朦朧としたままだった。
ルシアンもエリーゼも、カリナが配った視線にいる病人を見て、合点がいく。
“気になった”というのは、つまりそういうことなんだろうと。
「医者なんだよ。俺たちはその助手でさ」
「聞いたよ」
「あ、そうなの?」
ギクッとした表情を見せたのはオリカだった。
3人は旅の中で、ある“決め事”をしていた。
ギルバートを救う長い旅路には危険がつきまとう。
いつ貴族派が攻撃くるやもわからない。
安全な旅にならないことは3人にとって共通認識だった。
だからこそ素性を隠し、少しでも安全に旅の目的を達成しようと考えていた。
「…オリカ、この街はまだ安全だけど、基本的には“素性”は隠すって約束でしょ?」
「…うう、ごめん」
「医者だと何か都合が悪いことでもあるの?」
「…いや、そういうわけじゃないんだけどね。最近は違法な魔導薬が出回ってるって言うじゃない?私たちは修道院の人間じゃないから、下手に病人に手を出すと疑われるっていうか…」
「…ああ、ね」
エリーゼのその言葉には隠しきれていない“濁り”があった。
カリナはそのことに気づいていたが、下手に追求しようとはしない。
何か隠し事があるとしても、特別そこに“危険”な匂いは感じられなかったからだ。
オリカが悪い人間ではないことはわかっていた。
仮にそうだとしても、何か特別な事情があるんだろう。
そう思えるほど、彼女は自身の“勘”に絶対の自信を持っていた。




