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第217話




路地に差し込む木漏れ日が、裏の通りを抜ける仄暗い静けさをいっそう際立たせていた。

カリナはゆっくりと息を吐き、もう一度、陽の射す通りへと戻ろうとした。その足取りはわずかに重い。だが、彼女は知っていた。いつまでもここに立ち止まることはできないと。


そんな時だった——。


すれ違った人影があった。


柔らかな布地が翻り、踏みしめる足音が確かに響いた。

影と光の交差点。

その、——内側。


カリナは足を止め、わずかに振り返る。

そこにいたのは、街の喧騒に背を向けながらも迷いなく歩む一人の少女だった。


少女は少しも躊躇することなく、病に臥せる男の傍に膝をついた。

荷を解き、手袋をはめ、脈を確かめる指先に迷いはなかった。


「……誰?」


カリナはそう呟いた。

日差しの中から現れ、迷わずに影へと入り込む。

人と人の境を越えるような、まっすぐな足取り。


くすんだ布にくるまれた男の腕が震えている。肌には紫がかった斑点。目の焦点は定まっていない。


少女はその手を取り、優しく額に手をあてていた。

何かを唱えている。医術か、魔法か、その両方か。

手のひらから微かに立ちのぼる青白い光が、患部の熱を和らげようとしていた。


「……この薬草は少し苦いけど、水と一緒なら飲めるはず。炎症を抑える効果があるの」


声は穏やかで、芯があった。


修道院の関係者か、それとも薬屋の…?


カリナは直感でそう感じていた。

その声音だけで、少女から漂う言い表しようのない“気配”を感じ取っていた。

彼女が「誰」であれ、ただの通りすがりの人間でないことは明らかだった。

黒死病の病人と向き合うのもこれが初めてではないだろう。

その佇まいや、手ほどき。

一つ一つの挙動の断片から、カリナは彼女の見えぬ過去を想像した。


気づけば、カリナはそっと近づいていた。近づこうと思ったわけではない。自然とそこに足が向いていて、何が起こっているのかを確かめるような愚直な視線があった。獣人の足取りは音もなく、影のように近づいたはずだったが、少女はカリナの気配に気づいたように顔を上げた。


視線が合う。


「……あんた、医者かい?」


言葉が先にこぼれた。

声の端に、驚きと感嘆と、少しの警戒心が滲んでいた。


「うん。正確には、診療所の者……かな。今は旅の途中で、立ち寄っただけなんだけど」


少女——オリカはそう言って、小さく微笑んだ。

だがその目は、患者から決して離れなかった。


「その人、かなり進行してるよ。……もう手遅れじゃないかな」


カリナの声には、無意識のうちに溢れる本音があった。

その人はもう助からない。

獣人族の鼻や目が、もう先が長くことを察知していた。

人よりもはるかに優れた感覚器官を持つ彼女にとって、溢れた言葉の鋒には“淀み”がなかった。


オリカは軽く頷き、薬草を手にしたまま言葉を返す。


「見過ごせなかったんだ。ただそれだけ。……あなたは?」


「私は——食材の調達屋。狩猟者だよ」


「調達屋?」


カリナは少し考えたように頭を掻く。


普段こういうふうに通りすがりの人と会話はしない。


その慣れのなさもあってか、すぐに口から出て行かない言葉があった。


目の前の人が誰であれ、赤の他人であることに違いはない。


彼女なりの気遣いがあったのだ。


獣人族が持つ言葉の一つ一つは、時として些細な警戒と疑心を生むこともある。


とくにこのマルヴァレッタではそうだった。


多様な人が入り乱れるこの街では、考え方や価値観も多彩で懐が広い。


広い分、どうしても種族や人種の間で“近づきすぎない距離感”がある。


多くの種族が受け入れられる街ではあるが、同時に尖った思想を持つものも多くいる。


カリナなりに言葉を選んだのには理由があった。


声をかけたのは自分だったのだから。



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