第208話
青焔獣は、ぐらついた体勢を無理に立て直そうとはしなかった。
むしろ、それを利用するように、低く、重たく身を屈める。
重心が沈み、地を這うような気配が、わずかに地面を伝った。
たったそれだけの動きで、カリナの胸に、警鐘が鳴る。
——来るか。
矢を番えた手に、わずかな緊張が走る。
視線は、カリナを貫いていた。
焔をたたえた、深い青色の瞳。
知性ではない。
獣の本能から生まれた、狩りの衝動だけがそこにあった。
筋肉が密やかに収縮する。
地を蹴るための力を溜める、獣特有の動き。
カリナは見逃さなかった。
しかし。
わかっていても、体は一瞬、固まる。
どのタイミングで飛びかかってくるのか、
どこを狙ってくるのか、
それともフェイントか——
様々な可能性が、一瞬で脳裏をよぎった。
矢を放つべきか。
それとも、動きを見極めるべきか。
迷いではない。
思考だった。
矢を放てば、次の一撃を打つまでに時間がかかる。
放つべきタイミング。
動くべき位置。
だが、その思考は確かに、わずかな「間」を生んだ。
そのときだった。
ふっ——と、空気が変わった。
呼吸の隙間に、異様な熱気が紛れ込む。
冷たく湿った森の空気に、高温の何かが微かに溶け込みはじめる。
青焔獣は、
その全身から、青く揺らめく焔を、静かに、しかし確実に噴き上げ始めていた。
皮膚の裂け目から、血ではなく、青い火が滲む。
傷口すらも、燃え盛る焔によって塗り替えられていく。
じわり、じわり。
森の地面に垂れた焔が、濡れた苔を焦がし、
焦げた匂いが、淡い霧とともに立ち上る。
その焔は、単なる熱や光ではない。
まるで獣そのものの怒り、本能、防衛本能が形を成したかのようだった。
それは、敵意の純粋な結晶。
森の影が、次第に深くなる。
木々の間を縫うように広がる靄が、
青焔獣の焔を内側から照らし、あやしい光輪を作り出す。
——視界が、歪む。
ただでさえ複雑な森の奥行きが、さらに曖昧になっていく。
何が手前にあり、何が奥にあるのか、一瞬でわからなくなるほどだった。
カリナの耳には、
小枝が焼ける「パチパチ」という微かな音と、
焔が空気を舐める「ゴォォ……」という低い音が混じりあって響いた。
それは静かな、けれど確かな脅威だった。
——青焔獣は、姿を隠すつもりだ。
そう悟った瞬間、カリナは矢を引く手を止める。
目の前の獣は、
その巨体をふたたび屈め、
深く、深く、森の影へと身を沈めはじめた。
青焔獣の全身が、まるで青い炎そのものになったかのように燃え上がる。
——蜃気楼のように、歪み、揺れ、溶けていく。
焔を纏ったまま、音もなく、霧と樹々とを一つに縫い合わせるように。
青い光は細く、揺れながら、まるで幻のように森の奥へと溶け込んでいった。
それはまるで、
巨大な、青い獣の魂が、森そのものに回帰するかのような光景だった。