第204話
「——左後脚、甘い」
走りながら、エイダが斧を振り抜く。
一歩と二歩。
その中間に明滅する確かな間合いが、敵とエイダの距離の中に接近していく。
青焔獣の皮膚は装甲のように硬い。
かといって、甲羅のような高反発な“硬さ”を伴っているわけではない。
筋繊維が幾重にもおり重なった重厚さ。
質量の濃度が濃い肉厚が「壁」となりながら、斧の刃を受け止める。
ガッ
鈍い音。
エイダは二撃目を続け様に放つ。
狙いは四肢だ。
相手の機動力を削ぐための斬撃。
接近戦は常に危険がつきまとうが、この好機を逃すつもりはなかった。
敵の前脚の動きに気を配りつつ、上腕筋を引き絞る。
「シッ——!」
左右の動き。
エイダは横薙ぎの一閃を動きの繋ぎ目に“結んで”いた。
敵に迂回するように近づいたのは、角度をつけるためだ。
ただ単純に真っ直ぐ近づくだけでは、敵の迎撃に対して柔軟に対応できない。
流れるような線を引き、斜め前方からすれ違うように後脚を狙った。
自らの動きが敵の攻撃範囲の外側へと流れるような動きだった。
進行方向とは逆の向きへと回転する重心移動も含ませながら、二撃目は上半身の力をフルに使った。
「グアアアアアアッ」
青焔獣が咆哮した。熱風が爆ぜるように森を突き抜け、空気が震える。前脚を使ってその場で回転し、エイダの進入方向へと視線を傾ける。
エイダは横薙ぎの動きから、その反動を利用するようにすでに前傾姿勢を保っていた。
開いていた距離は僅かだが、互いの距離を維持できるだけの隙間はあった。
左足を起点として地面を掴み、握り締めた斧の柄をクルっと逆手に持ち替える。
攻撃を当てること。
その最たる目的の延長線上に、視線が交錯する。
だが、これには“先”があった。
エイダの進入経路は空間的にもゆとりがある。
そのゆとりを有効活用するだけの機動力は、彼女の足元に連続していた。
敵の攻撃範囲と、位置。
“意識をこちらに向ける”ことは、この時点で最も重要なベクトルだった。
自らが「攻撃」の脅威となることが、次の動作へと繋ぐための布石となった。
敵にとって、次に取るべき行動の優先順位。
エイダがその意識の流れを組み替えるだけの「牙」を見せた。
カリナが、回転した青焔獣の死角に回り込むように矢を構える。
視界を奪うための囮であり、攻撃の起点。
斧による斬撃は、敵の皮膚の表面を傷つけるだけの威力を伴っていた。
願わくば皮膚の表面ではなく、筋繊維の深くにダメージを与えたかった。
が、接触させたのはあくまで“移動しながらの攻撃”だ。
それ故、威力は半減し、かすり傷程度のダメージしか与えることはできなかった。
ただし、それ以上に有効だったのは、斧の接触範囲と流域だった。
視線を伝うように流れる緊張の糸。
敵は自らの意識をカリナからエイダに向けた。
度重なる背後からの接近は、敵にとっても無視できない懸念材料になりつつあった。
エイダは一歩踏み込む。
それは自らの攻撃が当てられる距離に踏み込むという一手だけでなく、敵の攻撃が届く位置に「入る」、という“誘い”だった。
視線が交わる交点は、僅かに“滞留”した。
互いの思考が「考える」という時間を持った距離の“ゆとり”が、空気を震わせる。
時間にして僅かな“秒”。
——だが、十分な厚みを持っていた。
どちらにとっても優位な距離は、それぞれに抱くべき行動の選択に、確かな奥行きを運んでいた。
だからこそ、敵はエイダに向けた視線をその場に留めるように、意識を向ける方向を、“より鋭利に研ぎ澄ませていく時間“があった。




