第190話
——帝都ルーヴェンへ向かう魔導機関車内/ローデン視点
魔導機関車《ルクス・リニア105号》は、ロストンを出発してからすでに三つの駅を越えていた。車窓の外には、夕陽に染まる広大な草原と、遠く霞む都市の影が流れていく。
個室車両のソファに深く腰を沈めたガルハルト・ローデンは、煙草に火を点け、窓外に一瞥をくれる。
「リタ・ヴァイスハイト……やはり難攻不落か」
口元に苦笑を浮かべながらも、瞳にはまったく諦めの色はなかった。
対面の座席には、帝国商務庁・技術開発局第七分署の副官ハンス・エルマーが座り、分厚い書類バインダーを膝に乗せていた。
「閣下、ロストン港の再開発案、そして工業区再編計画については……?」
「進める。あの街が“変わらなければならない”という点は、もはや議論の余地がない」
ローデンの語気は穏やかだったが、内包された圧は重かった。
「我々が動かねば、ロストンは沈む。貴族派も、ギルド連中も、己の懐しか見ておらん。だが我々は違う。帝国の“次”を見ている」
ローデンは指先で煙草を揉み消し、新たな紙葉を手に取る。
「今回の出張は、シュナイダー工房だけが目的ではない。あの街の“心臓”がどこにあるかを見極めるためだ」
「つまり……」
「『鉄道延伸計画』と『新興工業区構想』、そして『帝都—ロストン間の物流システム構築』——この三つの柱が、次なる経済改革の鍵になる。そこに“魔導炉制御技術”と“蒸気機構の標準化”を乗せる。それを主導するのが、我ら帝国商務庁だ」
魔導機関車の車窓から流れる風景を眺めながら、ローデンは深く思索に耽っていた。
「シュナイダー工房の視察は有益だったが、これは我々の計画の一端に過ぎない」
ハンスは窓の外を見つめながら、手元の資料を開いた。
「ラント帝国が産業大国として台頭するためには、さらなる政策と都市開発が必要です。現在、帝国商務庁内では、産業の集積を促進するための特区設置が検討されています。特に鉄鋼や機械工業の分野で、企業を一箇所に集めることで効率的な生産と技術革新を図る狙いです」
ローデンは興味深げに眉を上げた。
「特区の設置か…。確かに、企業の集積は技術交流を促し、生産性を向上させるだろう。しかし、それに伴う都市の急速な拡大や人口流入への対策も必要だ。過密や衛生問題が発生すれば、社会不安を招きかねない」
ハンスは資料をめくりながら続けた。
「その点についても議論されています。例えば、都市計画法の整備です。近年商業地区や中央区に制定された建築線法のように、街路や公共広場の配置を計画的に定めることで、無秩序な都市拡大を防ぐ試みです。 さらに、公園や緑地の設置を義務付けることで、住民の生活環境を向上させる提案もあります」
ローデンは深く考え込むように顎に手を当てた。
「産業の発展と都市の健全な成長を両立させるためには、総合的な政策が不可欠だな。特区の設置、都市計画の整備、そして労働者の福祉向上…。これらを同時に進めることで、初めて真の産業大国への道が開ける」
ハンスは力強く頷いた。
「そうですね。また、今後は交通インフラの整備も重要でしょう。鉄道網やランドステーションの拡充により、地方と都市部の連携を強化し、物流の効率化を図ることで、経済全体の活性化が期待できます」
ローデンは窓の外に広がる風景を再び見つめた。
「我々の使命は重いが、帝国の未来のためには避けて通れない道だ。帰還次第、商務庁内でこれらの政策を具体化するための会議を招集しよう」
ハンスは敬礼し、「了解しました、閣下。」と力強く応じた。
その瞳は、すでにルーヴェンの高層行政塔の輪郭を見ていた。
「リタのような職人たちも、いずれは理解するだろう。“一点の名品”に魂を懸けることと、“万人のための基盤”を築くことは、決して対立する思想ではないと」
その言葉の裏には、確固たる自負があった。
——帝国は変革の只中にある。
古き伝統も、誇り高き職人の魂も、すべてを“新時代”へつなげる架け橋こそが、ローデンの使命だった。
「さて、次は……“帝都北部都市計画局”との連携か。魔導動力による上下水道の再整備、住宅区の再開発……やるべきことは山積みだな」
再び席につくと、ローデンは書類を広げ、鉄道の振動と共に、帝国の“未来地図”に目を通した。
——その中心に、ロストンの名があることを確認しながら。