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第182話



——帰り道、ヴァンの足取りはいつになく静かだった。


魔力霧の門を再び通り抜け、グラビティピットの縁を慎重に歩き、崩落地帯を抜けるまでの間、彼は何度も振り返るように晶核空洞の方を見やった。


あの場所にあったのは、ただの鉱石じゃない。


…ただ、それ以上に——


「なあ、キャンディス」


ぽつりと声をかけた。


「そのムラサメってさ……あんたにとって、どんな“剣”なんだ?」


キャンディスは歩を止めず、そのまましばらく黙っていた。


その問いが、ただの好奇心から出たものではないと悟っていたからだ。


「……そうだな」


やがて、小さく息を吐いて言った。


「“ムラサメ”は、リタが私のために鍛えた“バッシュ”だ。私の癖も、性格も、戦い方も、全部知ってる。だから——」


キャンディスはちらりとムラサメを見やった。


「こいつは、ただの“武器”じゃない。“私そのもの”だ」


その言葉に、ヴァンは目を見開いた。


「剣が、自分……?」


「そう。お前の目には、“剣”ってのは鉄と刃でできてるように見えるかもしれない。でもな——本当に強い剣ってのは、鍛えたやつの魂と、振るう者の生き様でできてるんだ」


ヴァンは無意識に、彼女の腰の刃に目を落とす。


ムラサメの刃先は、どこまでも澄んでいて、それでいてどこか“温かみ”を帯びていた。


「……そうなんだ。“生き様”か。リタ姉にもよく言われてたよ。バッシュは戦士の「魂」であり、“相棒”のようなものだって。実際に使うわけじゃないから、ハッキリとはわかんねーけど…」


「わからなくて当然だ。お前は“バッシュ”を作る側だ。しかし——」


キャンディスはふっと笑みを浮かべた。


「いずれわかる時が来るだろう。剣は“使われてこそ”、完成する。どんなに美しい刃も、戦場を知らなければ“ただの飾り”だ」


その言葉が、ヴァンの胸に深く刺さる。


ムラサメのあの閃きが、ただの光ではなかった理由。


それは彼女が“強い”っていうだけじゃない。


剣を振るうってこと。


命を懸けるということ。


戦う者の覚悟がこもっていたから——


「……俺、もっと“見る”必要があるかも。剣がどう使われて、どんなふうに関わっていくのか」


ヴァンの声には、どこか決意めいた響きがあった。


キャンディスは何も言わず、それでもわずかに顎を引いて歩き出す。


静かな足音が、再び洞窟に響いた。


帰還の道は遠いが、ヴァンの中では、新たな旅がすでに始まっていた。






アグニの元を目指し、二人は歩く。


洞窟を出た頃には、外は真っ暗になっていた。


往復で約10時間以上。


ちょうど午後に差し掛かろうかという時間帯に洞窟へと入ったのにも関わらず、出てきた時には空はもう夜だった。


それでも、キャンディスがヴァンにかけていた魔導アーマーがなければ、洞窟の探検には何週間もかかっていただろう。


彼女の目と感知能力、そして、アーマーによる加護があってこそ、二人は順調に探索することができた。


魔導アーマーは外部からの影響を遮断するだけでなく、内側の身体能力の向上にも役立たせることができる。


血液の流れ、筋肉の疲労軽減、神経伝達の促進など、効能はさまざまだが、ヴァンはその恩恵をしっかりと受けていた。


だが、それでも疲れたのだろう。


洞窟を出た瞬間、大きく背伸びしながら、膝から崩れるように地面に寝転がった。


大の字になり、すっかりヘトヘトの様子だった。


しかし、そんな疲労困憊の彼とは違って、キャンディスの足取りは終始軽やかだった。



「早く帰るぞ」


「疲れないんだな…」


ヴァンは驚きの声と共に、一時も休もうとしない彼女の後ろ姿を不思議そうに見つめる。


あんな戦いがあったっていうのに、それが大した仕事じゃないとでも言うかのように、涼しい顔を見せる。


「…さて、と」


長いようで、なんだかあっという間だった。


聳え立つ崖の側面に張り巡らされた、太い樹の根。


自然物とは思えないほどに巨大な絶壁は、ある意味この世のものとは思えないほどに壮大だった。


翼を休めているアグニが、キャンディスの姿を見つけてピクリと動く。


心なしか嬉しそうでもあった。


相変わらずその巨大な体躯にヴァンは慣れない視線を泳がしながら、差し出された手を握る。


硬い皮膚に足をかけ、やっとの思いで背中に登った。


手に入れた深淵晶石をリュックに入れ、ロストンへと帰る。


アグニは一度背中を丸めたようにゆっくりと足を動かし、翼をふわりと持ち上げる。


目指すは、シュナイダー工房。


リタの元へと、二人は向かった。




シュナイダー工房の扉が開かれたとき、リタはちょうど作業台の上で何かの鋳型を整えていた。


金髪を後ろでまとめ、革のエプロンを着たその姿には、無駄な動きが一切なかった。


手元には鍛造用の魔導炉と、特殊合金のインゴット、そして魔力測定用の結晶チューブ。


無骨な道具に囲まれているにもかかわらず、リタの動作はしなやかで、どこか芸術的な美しささえあった。


「戻ったぞ」


キャンディスの声に、リタは顔を上げる。


「お、帰ってきたか!どうだった?」


ヴァンが胸を張って、深淵晶石の入ったリュックごとゴトッと差し出した。


「しっかり持ち帰ってきたよ、リタ姉。例のやつ、バッチリ!」


リタはリュックを開き、無造作に石を取り出して……一瞬、目を見張った。


「……こりゃまた……ずいぶんと上玉じゃないの」


石をひっくり返し、角度を変えながら、内部の魔力流を見極める。


結晶の中に、脈動するような紫の輝き——それはまさに、最高純度の“魔導石“だった。


「この密度、導通性……まるで生きてるみたいだな。いい仕事してきたじゃないか、あんたら」


リタは満足げにニッと笑うと、手早く準備を整えた。


「よし、任せな! 一番いいとこ、使ってやるよ!」


彼女が選んだのは、魔導炉の中央部。


周囲には、精密加工用の魔導カッター、共振式ルーター、触媒安定剤が並べられた専用台座。


ムラサメの破損箇所を確認し、既存のエネルギー伝導路と結晶構造の整合性を即座に判断する。


「まずは結晶の形を整える。こいつをそのままじゃ使えねぇ。綺麗に研磨して、エネルギー干渉を最小限に抑えないとな」




■ ムラサメ修復工程:魔導核の再錬成


シュナイダー工房の地下、魔導火炉の灯が妖しく燃えるその場所で、リタ・ヴァイスハイトは加工台の前に立っていた。手元には、キャンディスが採取してきた深淵晶石——闇と光を閉じ込めたかのような宝石が、青く透き通った静寂の中に脈動を宿していた。


リタは黒革の手袋をはめ、作業台の上に精密な計測器とエーテル振動測定機を展開した。



1. 【結晶加工フェーズ】:深淵晶石の形状最適化


リタはまず、深淵晶石を宝石のように研磨・カットする工程に入った。


「目指すのは八面体構造。波長干渉を最小化しつつ、魔力導通性を最大に保つ。角度は 109.5 度、エーテル共振周波数は旧コアの 1.05 倍に調整するわ」


彼女は回転式の宝石研磨盤に結晶を固定すると、ルーペ越しにミクロン単位で角度を調整しながら刃を走らせた。研磨中、振動検出子が記録する数値は数式に基づいて調整され、リタは魔力の位相ズレをリアルタイムで計算しながら、加工の誤差を最小限に抑えていく。


 加工精度目標値:±0.0004 mm

 共振調整式:f_res = (1 / 2π) * √(k / m)

 ※ここで、k は結晶硬度係数、m は魔力密度分布質量



2. 【魔素鋼の精錬】:核を受け入れる鋼の再構築


結晶が完成すると、次は武器本体の鍛造炉で魔素鋼の再精錬が行われる。


リタは古いムラサメの心臓部を慎重に解体し、摩耗した魔導核を取り外した。時間と共に劣化したコアは、内部エーテル配列が乱れ、共鳴周波数が不安定になっていた。


「使用者の魔力との同期がズレ始めてたわけだ。こっちの新しい結晶で、再び完全な共振状態に戻す」


彼女は高純度の魔素鋼インゴットを魔導火炉にくべ、1000度近い魔導プラズマ炎で加熱。炉内では、浮遊する魔力粒子の流れが、金属内部に幾何学的な秩序を作り始める。


「鋼の結晶構造は立方体に保つ。結晶格子間隔 0.27 ナノメートル。これが核と鋼をつなぐ媒体になるんだ」



3. 【魔導核の埋め込み】:深淵晶石の封入と同期


火炉から取り出したばかりの高温の魔素鋼を特製の鋳型に注ぎ込み、リタはその中心部に用意しておいた深淵晶石を慎重に埋め込んだ。


この瞬間が最も危険で、最も神聖だ。


魔導核が金属と接触した刹那、炉室全体が一瞬、低い重低音のような共鳴音を発した。リタは魔導回路制御盤に向かい、エネルギーフィードバックを計算しながら、圧力と温度の制御を調整した。


「Δψ=0 に近づける。魔力波動が乱れたら即座に冷却に移行」


頭の中で、イメージと数式が重なっていく。それは職人ならではの研ぎ澄まされた「直感」でもあった。


 ψ(x, t) = ψ₀ * e^{i(kx - ωt)}

 Δψ < 0.003 — 共鳴安定域到達


リタは冷却液に浸した銀の棒で鋳型を叩き、内部エネルギーの暴走を鎮める。これにより、核と鋼は「融合」する。



4. 【魔導回路の再刻印】:刃と魔核を繋ぐ霊路の再生


コアの封入が終わると、最終工程として刃全体に魔導回路を刻み直す必要がある。リタは自ら設計した《雷刃式エングレイブ》の構造式を元に、刃の内側に流れる魔力の通り道を精密に刻んでいく。


「この回路が、深淵晶石の魔力を正しく使用者に伝える“血管”になるんだ。一本でもズレたら、共鳴は破綻する」


回路の刻印は、ナノ単位の精度で行われた。細い銀製の魔力導線で仮接続し、魔力電気信号の通電実験を行いながら、通過位相とエネルギー損失率を算出:


 魔導損失率 λ = 0.012 → 合格




5. 【霊装の再封入】:魂と刃を繋ぐ霊路の刻印


工房には再び静寂が満ちていた。


高温の火炉も沈黙し、鋼は冷え、結晶も定位置に収まっている。だが、この刃はまだ“ただの鋼”だ。魂が宿っていない。そこに命を吹き込むために、リタは最後の工程に取りかかった。


それは、霊装の再封入——魔導師に代わって行う、“魂と魔導回路の直結”だった。


「ここまでは想定通り。でもそれだけじゃ足りない」


リタが頼るのは、自ら考案した《雷刃式エングレイブ》と、さらにその改良型としての「霊路共振構造」。

この構造は、魔力を“情報波”として刃の内部に伝導させることで、使用者の魂の波長を深淵晶石へと導くための「霊導路」となる。


リタは、魔力を熱源とした微振刻導針を手に取った。それは高純度の魔導銀で作られ、魔力の波長によって刃の表面を分子レベルで蒸着・変形させる職人専用の道具である。


「この刻みが、ムラサメと彼女を再び繋ぐ血管になる。一本でも乱れれば、霊装は暴走する」


彼女は魔導触媒板の上に、キャンディスの霊波素性を模写した“魔導転写フィルム”を配置した。これは、かつて彼女が使用していた時の魔力波形を記録した高純度の霊素紙であり、まさに使用者本人の“霊的な指紋”と呼べるものだった。


刻印が進むにつれ、刃の内部に複雑な螺旋が形作られていく。それは単なる装飾ではなく、深淵晶石へ魔力波を導く“渦導経路”。螺旋の起点と終点は、使用者の掌と、刃の奥にある魔導核へと繋がっている。


 共鳴調整値:Δψ = 0.0001

 霊導損失率:λ = 0.013 → 許容範囲内


「これで回路は完成。あとは——魂を通すだけ」


刃の中心部に向かって、複雑な螺旋状のラインが刻まれていく。これは魔力を吸収・伝導するための“霊導面”となる特殊構造であり、使用者の魔力が触れた瞬間、魂の波動を刃の奥底へと送り込む仕組みになっている。


そして、最終段階。


「キャンディス、始めてくれ」


リタの言葉に応え、背後で静かに頷いたのは、ムラサメのかつての使い手・キャンディスだった。彼女は自身の手のひらを刃に当て、そっと魔力を流し込む。


その瞬間、刻まれた回路が淡く光を放ち始めた。光は回路を走り、やがて深淵晶石へと到達。そこからは逆流するように、かつての“波形”が刃全体に還流する。


“魂の波動”が、霊導回路を通ってゆっくりと深淵晶石へと流れていく。


刃全体が淡く脈動し始めた。魔力回路が光を宿し、空気が震える。


——コン。



 ψ(x, t) = ψ₀ * sin(kx - ωt + φ)

 Δψ = 0.00009 —— 同期完了



「来た……!」


リタは目を見張った。刃の奥から聞こえてくる、彼女にしか捉えることのできない低く澄んだ共鳴音。そこに宿るのは、ただの魔力ではない。記憶と、意思と、そして“帰還”した霊装の声。


ムラサメが、目覚めたのだ。


霊装はもはや“与えられるもの”ではない。刻まれた霊路を通じて、使用者の魂と結ばれることで、自ら目覚める存在となった。


これは、魔導師に頼らない新たな“封入方式”の完成であり、職人リタの執念が生んだ技術の結晶だった。




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【リタ式:代替霊装封入法】


――《構造誘導型アストラ再構成》方式(仮称:SIA-R法)




■ 背景と課題


従来の霊装封入は、「魔導師が媒介となり、使用者の霊的資質を元に“霊装”を顕現・封入する」工程であり、人為的に魂との回路を開く必要があった。


リタは魔導師でないため、それを直接行う術はない。

→ よって、リタは“魂に相当する情報”を魔導構造として物理的に再構築し、魂が自然に定着する“場”を形成する方法を考案した。



■ アプローチの原理

1. 霊装とは「使用者との相互作用によって生じる共鳴パターン」である

・使用者の魔力波形・精神波長・エーテル傾向が重なることで生まれる「記憶化・意志化した魔導波」

・→ これは高次元の波動干渉現象と見なせる


2. 霊装封入とは「その波動状態を核に定着させる」操作である

・魔導師はそれを“霊的操作”で行うが、リタはこれを「再現性ある魔導構造体によって代替できる」と考えた



■ 技術的手段


1. 【アストラ因子の構造模倣】

・ムラサメの過去使用時の戦闘時エネルギーパターン(エーテル残留波)を、刃や核に残る微細な波動から解析

・→ FFT(高速フーリエ変換)で主要波長を抽出し、逆変換して「霊装の記憶波形モデル」を再構成


2. 【再構成魔導回路の挿入】

・刃身内部に、使用者の“魔力共鳴パターン”を記録した模倣型魔導回路を組み込む

・→ これにより、武器自体が「使用者と霊装波形の“干渉場”」を内部に形成


3. 【自己誘導型封入環境の構築】

・霊装波形に近い状態を常時維持するため、核部分に「擬似アストラ場」を生成する封入構造を内蔵

・→ これは、常に使用者の魔力波長をトリガーとする形で再活性化される「共鳴誘導場」として働く



■ 儀式的工程の意味付け


最終的にリタが行った封入儀式アストラ・リユニオンは、科学技術的には以下の3段階で成立している:


1. 過去波形の再統合(記憶の復号)

2. 模倣構造の励起(擬似霊装場の立ち上げ)

3. 共鳴閾値の通過(自律覚醒条件の成立)


→ このとき、ムラサメ自体が**魂の“形を記憶した構造体”**として完成される。そこに、使用者キャンディスの魔力が触れることで、自発的に霊装が再起動する。



■ リタの言葉でまとめるなら:


「霊装は“魂の模様”だ。だったらその模様を物理的に彫り込めば、魂のほうから戻ってくる。そうだろ?」



この方式は魔導師のような“霊的媒介者”なしでも、武器自体が“霊装封入のための環境”を自立的に持つという革新的な手法だった。


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