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第177話



洞窟の空気がわずかに震えた。


低く、耳には聞こえないほどの振動。


しかし、キャンディスはそれを感じ取っていた。


鋼獣たちが、狩りの“統制”に入った。



天井、地面、岩陰——



残った個体たちが、ただの獣ではないことを証明するように、慎重かつ合理的な動きを見せ始める。


単なる獣の群れではない。


鋼獣たちは仲間同士の振動波で意思を伝え合い、網の目のように立体的な陣形を作る。


囲むだけではない。


彼らの間合いは「個」ではなく「集団」として成立する。


連携することで、自らの動きを補完し、それぞれがそれぞれの役割に徹する柔軟さと計画性を持っていた。


線にもなり、点にもなる。


それが、彼らの最大の強み——


「……面白い」


キャンディスは微かに目を細めた。


獣たちの陣形は、まるで精密な戦術図のように動的に変化する。


それぞれの距離を最適化しながら、次の攻撃のために流れるように布陣を敷いていく。


足元が震えた。


否——


「……横から、来る!」


直感が先に動いた。


キャンディスは即座にその場から跳ぶ。


ただ、重心の移動は最小限に留めていた。


敵がどこから来るか。


その角度と、タイミング。


視線を動かすこともなく、精密な距離の中を移動する。



ゴッ——!



鋭く浮き上がる輪郭。


彼女の立っていた地面が、鋭利な爪に抉られた。


「ッ……!」


跳躍しながら、体全体を低く保つ。


視界の端に映るのは、真横から飛び出してきた一体の影。


“単なる個体”ではない——


これは、ギリギリまで息を潜めていた一体だ。


本能的に攻撃を展開するのではなく、動きそのものに緩急を混ぜ込ませている。


無闇に突っ込むのは得策ではない。


だからこそ、ギリギリまで“溜め”を作り、他の鋼獣の動きを共有しながら、じわじわと近づいていた「距離」があった。


死角をつくように歩み寄りつつ、直線的に届く距離へと——進む。


その跳躍は野生的な獰猛さを含みつつ、理知的な間合いの計算も含んでいた。


タイミングを見計らったかのような足取り。



——ただ、この場面。



鋼獣の取った行動には、特質すべき点がもう一つあった。


それは攻撃に出る間際の踏み込みであり、実直な“果敢さ”であった。


キャンディスの攻撃や動きは鋼獣からしてみれば未知数であり、“獲物”として対処すべきかどうかも定かではない。


不確定的な要素をいくつか孕んでいる側面、様子を見るべき“時間”が存在しているのもまた事実だった。


先に仕掛けた仲間が良い例だ。


相手の攻撃に沈んだ仲間たちの状況を察するに、無闇に近づくのは得策ではない。


しかし「集団」で動く鋼獣にとって、それはあくまで選択の一部に過ぎなかった。


たとえ相手の情報が乏しくても、前に出るという一つの戦術に対し、選択としての「遅れ」はなかった。


鋼獣の取る“狩り”の連携や統制において、攻撃に転じる役目を持たされたものは、死をも厭わない行動に出る。


仲間の動きに合わせるためなら、たとえ傷を負っても前に進む。


危険を排除できるならば、戦局を有利に進めるための「捨て駒」になる。


鋼獣たちの間では、それが常識だった。



キャンディスの瞳が、鋭く細められる。


交差するように別の個体が襲いかかってきていた。


彼女が動いた方向への最短距離。


躍動する脚力が柔らかい関節部を弾ませる。


横方向の移動では十分な回避ができないとキャンディスは判断し、ステップを踏んだ軸足を使い、宙に飛ぶ。


空中で、身体を捻る。


眼下では、跳び出した鋼獣がそのまま地面に着地し、仲間たちがその動きを補完するかのように次の陣形を組み直していた。


「……なるほど」


息を整え、剣の柄を握り直す。


彼女は微かに笑みを浮かべた。



この空間を掌握しているものたちの動きは、一つ一つがそつなく、洗練されている。


一つの選択を掬い取るわずかなタイミングの隙間でさえも、水の流れのように柔らかく、無駄がない。


位置と位置。


距離と距離。


空気が、再び揺れた。


周囲に散らばる鋼獣たちが、まとまった息遣いの中に動く。


そして、キャンディスもまた、その動きに合わせるように地面に着地し、深く腰を落とした。



獣たちの布陣が変わる。


ただの囲い込みではない。


仲間同士の距離を絶妙に調整しながら、空間のすべてを活用する——それが鋼獣たちの戦術だった。


キャンディスはそれを見極めていた。


「さて、どう出る?」


相手は待っている。


彼女がどこに動くのか、その一歩の「意図」を読み取り、そこへの網をかぶせるつもりだ。


——ならば



剣を構えたまま、わずかに膝の角度を変える。


動かない——いや、動いているのに動いていない。


その場に留まりながら、重心を微妙に切り替え、どこへでも即座に対応できる姿勢を取る。


獣たちの振動波が、一瞬、乱れた。


キャンディスの「間合い」には、鋼獣の戦術すらも引き込まれる。


彼らは網を張る。


だが、それは「獲物が動く前提」で張られた網。


——もし、動かなかったら?


当然、それは想定し得る可能性の一つだ。


だが、相手が一筋縄ではいかないことは、この場にいる誰もが理解していた。


空間の広いこの場所では、いかに相手の領域を掌握できるかが、戦局を有利に進めるための足掛かりとなる。


キャンディスはその場にいながら、自らの「領域」を外に“発信”するための動作態勢に入っていた。


一見すると“その場から動いていない”だけのようにも見えたが、鋼獣ほどの洗練された獣であれば、わずかな動作や息遣いを見るだけで、直感的に相手の技量や潜在性を推し量ることができる。


生物としての勘。


最善の選択。


敵の連携がいかに優れたものであったとしても、流れる時間の中では、連続的に状況が変異し得る。


闇雲に動くことが、戦いの場を有利に進めるわけではない。


「動き」にはプロセスがあり、そこに至るまでのポイントがある。


キャンディスが発信していたのは、そういった「間」だった。


鋼獣は、全方向へと動ける彼女の位置と“気配”を観て、直感的に動きが鈍っていた。


次の指令をすぐに出せなくなっていた。


その一瞬の“遅れ”が、破綻を生む。



「……シッ」



小さく息を吐き、溜める。


喉に通るか通らないかの一呼吸。


キャンディスの身体が、疾風となる。


一歩踏み込み——否、その場から滑るように疾走する。


《ムラサメ》が弧を描いた。


「——!」


獣たちが一斉に振動を発した。


空間が揺れる。


だが



——遅い。



キャンディスの間合いは、すでに完璧に定まっていた。


《ムラサメ》がひとつの軌跡を描きながら、下半身へと繋がる筋肉が揺れる。


それは直線ではなく、鋭く、かつ流麗な円環の一閃。


空気が震え、魔力が解放される。


そして——



——シュッ



キャンディスの目の前にいた獣たちの身体が、いくつもの断面を残したまま崩れ落ちた。


血飛沫すら、ほとんどない。


すべては、一瞬の出来事だった。


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