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第174話



キャンディスは足を止めずに歩きながら、静かに口を開いた。


「魔獣とは……通常の動植物とは異なる進化過程を経た“異種生物”のことだ」


彼女の声は淡々としていたが、その内容はヴァンにとって衝撃的だった。


「生物でありながら、魔法的な存在でもある。魔獣の本質は“魔力の適応体”であり、環境や魔素の影響を受けながら進化していくんだ」


ヴァンは眉をひそめた。


「……ってことは、最初から魔獣として生まれるわけじゃないのか?」


「場合による。だが、多くの魔獣は“元々は普通の生物”だったものが、魔力の影響を受けて変異した結果、魔獣と呼ばれる存在になったんだ」


「変異……」


ヴァンは先ほどのアビサル・デバウアの異形を思い出し、背筋がぞくりとする。


「あれも……もとは普通の生き物だったのか?」


キャンディスは目を伏せ、少し考え込んだ後、淡々と続けた。


「魔獣が生まれる要因は、大きく分けて三つある」


彼女は指を一本立てる。


「まず一つは、“世界樹の魔力”による進化。これは環境適応の一種だ。例えば、マナを吸収して巨大化した鹿『エルク・マナハート』のように、魔力を取り込みながら生態系の中で進化を遂げるケースがある」


続けて、もう一本指を立てた。


「二つ目は、“カオスの闇”による異常進化。これは通常の進化とは異なり、歪んだ形で魔獣化する現象だ。例えば、『異形狼ヴァルグ』は、眼球の代わりに“闇のマナ核”を持つ魔狼だが、これはカオスの影響を受けて変異した結果だ」


「カオスの闇……っつーのは…?」


キャンディスは一瞬、言葉を選ぶように間を置いた。


やがて静かに口を開く。


「……“カオスの闇”とは、一種の魔力汚染のことだ」


ヴァンは眉をひそめる。


「魔力汚染?」


「そうだ。世界には、通常の魔力とは異なる、乱れた魔素の流れが存在する。それが通称、——“カオスエネルギー”と呼ばれるものだ」


そう言うと、じっと世界樹の根を見据えた。


「通常の魔力は、生き物や環境と調和しながら循環している。しかし、カオスのエネルギーは、魔力の均衡を崩し、異常な変異を引き起こすんだ」


「……ってことは、魔獣はその“カオスなんちゃら”の影響で生まれることがあるってことか?」


「そういうケースもある。ただし、すべての魔獣がそうじゃない。問題は、カオスの影響を受けた生き物は、単なる進化ではなく、本来ありえない形へと“歪められる”という点だ」


キャンディスは一本の枯れ枝を拾い、それをヴァンの前にかざした。


「例えば、普通の狼が魔力を取り込んで魔獣化する場合、より鋭い牙や強靭な体を得るかもしれない。だが、カオスの影響を受けた場合は、牙が異常に肥大化したり、不要なはずの腕が生えたり、体の構造自体が壊れるような変異をすることがある」


「まるで……呪いみたいだな」


「実際、その通りかもしれない」


キャンディスは再び歩き出しながら、言葉を続けた。


「カオスの闇に長く晒された生物は、やがて自我すら失うことがある。ただの獰猛な魔獣になる場合もあれば、意思を持つ“異形の存在”へと変わる場合もある」


「…つまり、“バケモン”に…?」


「そうだ。世界樹の魔力が“秩序的”な進化を促すのに対し、カオスの闇は“混沌的”な変異をもたらす。自然な生態系を逸脱し、狂暴化することが多い」


「……それがさっきの魔獣にも関係してるのか?」


キャンディスは一瞬だけ視線を遠くに向けた。


「あれは……おそらく、両方の影響を受けている。世界樹の魔力で強靭な肉体を持ち、カオスの闇で異形へと変貌した。だから、より危険なんだ」


ヴァンはゾクリと背筋が冷えるのを感じた。


「……で、三つ目の要因は?」


「“人工的な魔獣化”だ」


キャンディスの表情が、わずかに険しくなる。


「魔法技術や生体実験によって、意図的に生み出された魔獣も存在する。例えば、ラント帝国の生物科学機関では、魔獣を兵器として活用するための研究が行われている。『キメラ・ヴァスティア』のような、複数の魔獣の特性を併せ持つ人工生命体もその一例だ」


ヴァンは顔をしかめた。


「……そんなことまでしてるのかよ」


「魔獣は強力な戦力になる。制御さえできればな」


キャンディスはそう言って、淡々と前を向いた。


ヴァンはしばらく沈黙した後、ふと思い出したように口を開いた。


「じゃあさ……スレイヴォルグも、一種の魔獣ってことになるのか? でも、ここら辺にいる魔獣とは違うよな?」


キャンディスは軽く頷く。


「その通りだ。スレイヴォルグは魔獣の一種だが、分類としては特殊だ」


「特殊?」


「魔獣には、大きく分けて“益獣”と“害獣”がいる」


ヴァンは眉をひそめた。


「……益獣?」


「人間と共存できる、あるいは人間にとって有益な魔獣のことだ。例えば、スレイヴォルグは騎乗用や戦闘支援として訓練され、人間社会に組み込まれている。戦場では重騎兵の乗騎にもなるし、軍用に改良された個体もいる」


「なるほど……」


「逆に、さっきのアビサル・デバウアのような魔獣は“害獣”に分類される。人間にとって脅威であり、討伐対象となる存在だ」


「じゃあ、害獣ってのは全部、人間に敵対する魔獣ってことか?」


「一概には言えないが……基本的には、人間の生態圏に脅威を与えるものが害獣とみなされる。ただし、益獣だったものが害獣に変異することもあるし、逆に害獣を調教して益獣とするケースもある」


ヴァンは腕を組みながら考え込んだ。


「……魔獣って、一言で言ってもいろんな種類があるんだな」


「そうだ。そして、この世界は“魔獣”の存在なしには語れない」


キャンディスはそう言うと、ふと足を止めた。


「……ここから先は、少し気をつけろ」


ヴァンははっとして周囲を見回した。


先ほどまでよりも、空気がわずかに冷たくなった気がする。


魔素の光が弱まり、奥へ進むにつれて、洞窟の雰囲気が不穏なものに変わりつつあった。



洞窟を進むにつれ、足元の地面は徐々に滑らかになり、湿った空気が漂い始めた。


壁には青白く光る苔が点在し、ほのかな幻想的な輝きを放っている。


2人は慎重に歩を進めながら、暗闇の奥に広がる光景に目を凝らした。



そして——



「……嘘だろ」


彼らの前に広がっていたのは、想像を超えた神秘的な光景だった。


洞窟は突如として広大な空間へと開け、天井は遥か頭上、少なくとも百メートル以上はあるだろう。


無数の岩棚が壁面に張り付き、そこから細く垂れ下がる鍾乳石が、まるで無数の剣のように天井を覆っていた。


そして中央には——


まるで大地を突き破るように、一本の巨大な根がそびえている。



「……でかい」



ヴァンは思わず息をのんだ。


その根は、まるでビルのように巨大だった。


少なくとも五十メートル以上の直径があり、周囲には無数の細い根が絡みつくように地面へと広がっている。


表面は滑らかでありながら、所々に隆起した節のような部分があり、まるで脈動しているかのようにわずかに光を帯びていた。


「これが……世界樹の根?」


「そうだ。世界樹の本体は遥か遠くにあるが、その根は地の底深くまで広がっている。この洞窟も、元々はこの根が張り巡らされたことで生まれた地形のひとつだろう」


根の周囲には、信じられないほど多様な生物が息づいていた。


巨大なシダの葉が天井から垂れ下がり、根の周囲にはまるで珊瑚のように枝分かれした白い菌糸が広がっている。


地面には薄い霧が漂い、そこに咲く花々は微弱に発光していた。


そして、ヴァンが驚いたのは、そこに動物たちの姿があったことだ。


「……あれ、なんだ?」


低い草の間をゆっくりと移動する、甲殻に覆われた生き物。


まるで亀のような形をしているが、背中には光る結晶のようなものが生えていた。


さらに、遠くの水場では、トカゲに似た生物がしなやかに泳いでいるのが見えた。


翼を持つ昆虫のような生物が、ゆっくりと根の周囲を飛び交っている。


「これは……生態系が形成されてるのか?」


「世界樹の魔力がある場所には、こうした特異な生態系が生まれることがある。普通の生物が適応して変異したものもいれば、元々この環境で進化してきたものもいる。どちらにせよ、ここは“地上とは異なる世界”だな」


ヴァンはしばらくその壮大な景色を眺めていたが、ふと大事なことを思い出す。


「……で、深淵晶石はどこにある?」


キャンディスは周囲を見渡しながら答えた。


「希少な鉱石だ。そう簡単には見つからないだろう」


ヴァンも地面を見つめたが、目に入るのは湿った黒い土と、発光する苔、そして細かい石片ばかりだった。


「どんな見た目なんだ?」


「暗い場所では黒曜石のように黒く見えるが、魔力を帯びると深い青紫に輝く。高純度のものは、ダイヤモンドのように“透明”だ。大抵のものは特定の魔素の濃い場所で形成されることが多いみたいだが、洞窟の中でも特に根の近くに多く存在すると、資料には書いてある」


「じゃあ、この辺を探せば——」


「とはいえ、そう簡単に見つかるものじゃない。鉱石というのは、数百年かけて形成されるものもあるからな」


「……まあ、そうだよな」


ヴァンは小さくため息をつき、根の周辺を眺めた。


確かに、見たところ深淵晶石らしき鉱石は見当たらない。


辺りの岩は滑らかで、根の周囲には植物が生い茂っている。


彼はふと、ある疑問を口にした。


「なあ……キャンディスさん。”世界樹”って、実際に見たことは?」


キャンディスは歩きながら、短く答えた。


「ああ、ある」


「やっぱでかいのか?本とかではみたことがあるんだが、…俺はまだ、ロストンから出たことがなくてさ」


「“でかい”という表現が合っているかどうかは、解釈による」


ヴァンは彼女の横顔を見つめた。キャンディスは目を細め、静かに語り始める。


「世界樹は……ただの木ではない。この世界の“根幹”そのものだ」


彼女の言葉には、どこか特別な響きがあった。



キャンディスはしばらく目を細め、何かを思い出すように遠くを見つめた。


「……私が世界樹を見たのは、まだ幼い頃だった。あの姿を目にした瞬間、言葉を失ったよ」


彼女の声はいつもよりわずかに静かだった。


「世界樹は、単なる『木』なんかじゃない。その存在自体が、この星の根幹なんだ」


キャンディスが見た世界樹は——まさに神話の光景だった。


大地を貫くようにそびえ立つ、幹の巨柱。


太陽の光を浴びて、金色にも見える滑らかな樹皮。


その表面にはまるで血管のように魔力の流れが刻まれ、わずかに脈動しているのが見えた。


根元は地平線の彼方まで広がり、まるで大陸そのものが樹の一部になったかのようだった。



幹の直径は、山脈ほどもあった。都市がいくつも収まるほどの大きさで、見上げれば雲すらも遥か下に見えるほどの高さに達していた。


枝は大気圏を超え、葉は星空へと溶け込んでいた。


風に揺れる枝葉の間からは、まるで光の川のように魔力が流れ落ちる。


エーテルフロー——星の血液と呼ばれる魔素の流れが、青白く輝きながら天と地を循環していた。



「世界樹の根は、地上だけじゃなく、地の底深くまで張り巡らされている。この洞窟も、その一部だろう」


キャンディスは足元の巨大な根に視線を落とす。


「ここに来て初めて、ヴァン、お前も分かったんじゃないか? 世界樹が伝説じゃないってことを」


ヴァンは、目の前の巨大な根を見つめた。


「……信じられない、ってのが正直なところだ」


彼は、街で聞いていた世界樹の伝説を思い出す。


世界の中心にそびえ、すべての生命を育む大樹。


その根は大陸を包み込み、枝葉は空を超え、魔力の流れを司る。


その話は、子供の頃から何度も耳にしていた。文献や資料でも読んだし、学者たちの論争を見たこともある。


だが——


こんなにも大きな「根」を目の前にして初めて、それが現実だと実感した。


「……すげぇな」


ヴァンは小さく呟いた。


「本当に、こんなものが存在するんだな……」


彼の言葉に、キャンディスはわずかに笑った。


「そうだ。世界樹は——確かに、存在する」



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