第167話
■ ロストン造船所
その日の午後、ヴァンは工房の店主であるグスタフ・ヴァイスハルトに呼ばれ、シュナイダー工房の熟練職人の一人であるカール・ハイゼンと共に、ロストンの造船所へと向かっていた。
カールは40代半ば、がっしりとした体格に、無造作な白髪混じりの髪。
普段は無口だが、一度仕事の話になるとどこまでも細かくこだわる職人気質だった。
「まったく、俺みたいな年寄りを、わざわざこんな遠出に付き合わせるとはな」
カールはそう言いながらも、どこか楽しげな表情を浮かべていた。
「いいじゃないですか、こういうのもたまには。カールさん、造船所に行くの初めてです?」
「昔、一度だけな。まだ若い頃だ。鉄の補強材を納めに来たが、船の骨組みがどうやって組み上げられていくのかを見て、圧倒されたよ。あの時の光景は忘れられん」
ヴァンはカールの言葉に耳を傾けながら、目の前に広がるロストン港の風景に目を向けた。
ロストンは国内屈指の貿易都市であり、帝国内外の交易船が行き交う重要な港だ。
港湾地区には大小さまざまな造船所が軒を連ねており、その中でもロストン大造船所は最大の規模を誇っている。
この造船所では、大型の貨物船や軍用艦の建造・修理が行われており、数多くの船大工や職人たちが働いていた。
【ロストン造船所の特徴】
・ドックは三か所に分かれており、それぞれが異なる規模の船を建造・修理できるようになっている。
・鉄と木の融合技術が発展しており、金属加工の技術者が必要とされる。
・国内外からの注文が絶えず、特に帝国海軍との関係も深い。
ヴァンが向かったのは、造船所の中でも金属加工を専門とする工場だった。
ここでは錨や舵の部品、船体を補強するための鉄骨などが作られており、シュナイダー工房にも定期的に仕事の依頼が来る。
今回の依頼は、「新型貨物船」の建造に関するものだった。
港の空は広く、どこまでも青かった。
潮風が吹き抜け、帆船の帆を揺らす。
巨大な貨物船や小型の漁船、そして帝国の軍艦までもが停泊している。
港には多くの人々が行き交い、商人たちが大声で取引をし、水夫たちが網を修理し、荷運びの労働者たちが忙しなく動き回っていた。
「こりゃ、賑やかだな」
カールが感嘆の声を漏らす。
「海の匂いがする……」
ヴァンもまた、この活気に満ちた風景に目を奪われていた。
ここは、物資と人が交差する場所。
そして、彼らが向かう造船所は、その心臓部とも言える場所だった。
工場の中に足を踏み入れると、熱気と鉄の匂いが立ち込めていた。
巨大な鉄製のフレームが並び、その間を職人たちが忙しなく行き来している。
蒸気駆動の大型ハンマーがゴォン、ゴォンと低い音を響かせながら鉄を打ち、火花が飛び散っていた。
ヴァンはこの場所の雰囲気に圧倒されながらも、呼ばれている作業場へと向かう。
そこでは、船大工のヘルマン・ウルフが待っていた。
「シュナイダー工房の職人さんたちか。来てくれて助かる」
ヘルマンはそう言うと、ヴァンとカールを中へ案内した。
「今回の仕事は、新型貨物船の建造に関わる細かい金属加工だ。特に、この関節部分のボルトや、滑車に使う軸受け。木製じゃ強度が足りないし、鉄製でも精度が低ければすぐに摩耗する」
「この新型貨物船は、従来のものより耐久性を上げるために、強化された鉄製の部品が必要なんだ」
カールは設計図をじっと見つめ、しばらく黙り込んだ。
その後、彼は腕を組みながら、静かに言った。
「……なるほどな。これを作れる職人は、そう多くないだろう」
ヴァンもまた、設計図を見ながら慎重に言った。
「シュナイダー工房なら、精密な加工ができます。ただ、合金の調達はどうなってます?」
「そこは心配しないでくれ。もう用意してある。ただし、加工ができる技術者があまりいないんだ。シュナイダー工房なら、きっとやれると思って相談させてもらった」
ヴァンは設計図を覗き込みながら、慎重に質問した。
「どの程度の精度が必要なんです?」
「寸分の狂いもなく加工できることが前提だ。関節部分は可動域が命だからな」
ヴァンは腕を組んで考え込んだ。
(これは……シュナイダー工房の技術が試される仕事だな)
ヘルマンとの打ち合わせを終えた後、ヴァンとカールは造船所の中を歩きながら、ゆっくりと施設を見て回っていた。
港は今日も変わらず、様々な人々が行き交い、物資と情報が流れ続けている。
巨大な木製の足場の上では、船大工たちが手際よく木材を組み上げていた。
遠くでは鉄の板を叩くハンマーの音が響き、工員たちが鍛造された鉄材を運んでいた。
鉄と油の匂いが漂い、そこかしこで鋼材を削る音や、木材を打ち付ける音が響いている。
職人たちが忙しなく行き交い、巨大なクレーンが船体の一部を吊り上げる。
造船所の中央には、まだ骨組みだけの船があった。
無数の梁と鉄板が張り巡らされ、船大工たちが足場の上で作業していた。
ヴァンはその光景を眺めながら、ふと口を開いた。
「……シュナイダー工房も、もっと大きくなったら、こんなふうになるんすかね」
カールは腕を組み、造船所全体を見渡す。
「どうだろうな。ただ、こういう場所じゃ、ひとつの部品でも欠ければ動かない」
ヴァンはカールの言葉の意味を考える。
「なんつーか、いい雰囲気ですよね。こことか、港の賑わいとか」
「まぁな」
カールはそう言いながら、木製の桟橋を歩き、遠くの貨物船を見つめる。
そこでは船乗りたちが積み荷の確認をし、商人たちが取引の帳簿を広げていた。
「こういうのを見てると、時代が変わっていくのを感じるよな」
カールはぼんやりと呟いた。
ヴァンは足を止め、空を見上げた。
潮風が吹き、港特有の塩気が肌にまとわりつく。
ヴァンは少し考えてから、今朝のことを切り出した。
「カールさん、今朝の話……ローデンの件、どう思いました?」
カールは短く鼻を鳴らし、肩をすくめる。
「ローデンの話……やっぱり、悪くないと思うんすよ。俺たちの技術がもっと広まるし、環境もよくなる。金の心配もしなくて済む」
カールは静かに頷いた。
「俺たちにとっちゃ、願ってもない話だよ」
ヴァンは少し驚いた。
「……ですよね。あんな大規模な仕事で、技術者への待遇もいい。シュナイダー工房がもっと大きくなれば、仕事の安定にもつながるし」
カールは港に停泊する船を眺めながら、ゆっくりと答えた。
「けどな、リタの気持ちもわからんではない」
ヴァンはカールの言葉を聞いて、思わず眉をひそめる。
2人は造船所の敷地を歩き続けていた。
「……カールさんは、武器とかバッシュとかは作ってませんよね?」
「ああ、俺は船や機械の部品ばっかり作ってきた。だが、俺たちは皆、職人だ。作るものが違えど、根っこは同じさ」
カールはそう言って、ヴァンの方に向き直る。
「リタの仕事は、人が命をかける道具を作ることだ。だからこそ、“それ”をただの商売にしたくないんだろう」
ヴァンは無言で、カールの言葉を噛み締める。
「リタにとっちゃ、バッシュはただの“商品”じゃない。俺たちの作る部品が、ただの“パーツ”じゃないのと同じだ」
カールは大きく息を吸い込み、潮の香りを感じながら続ける。
「ヴァン、お前はどう思ってる?」
「俺は……」
ヴァンは即答できなかった。
だが、考えるより先に、ある光景が思い浮かんだ。
リタが鍛冶場で火を見つめ、鋼を叩く姿。
バッシュが鍛え上げられ、命を吹き込まれる瞬間。
「……俺は、いいバッシュを作りたい。いい道具を作りたい。誰かの役に立つものを、手に取ってもらいたい」
「なるほどな」
カールはにやりと笑った。
「それなら、お前はもう答えを持ってるじゃねぇか」
「え?」
「大事なのは、“どう作るか”だ。ローデンの話が“いい話”かどうか、それを決めるのは俺たちだろ?」
ヴァンは目を見開く。
「お前も知ってるだろ? リタはよく言ってたじゃねぇか。『バッシュはただの道具じゃない』ってな」
その言葉のそばにある、リタの冷ややかな目を思い出していた。
そして、彼女の鍛え上げるバッシュの鋼の輝きを。
「……俺には、まだわかんねぇな」
ヴァンがそう言うと、カールは笑って肩を叩いた。
「まぁ、わからなくて当然さ。俺も若い頃は、仕事があるだけでありがたいと思ってた。だがな、作り続けるうちに、仕事そのものが自分の一部になっていくもんだ」
「…」
「工房の未来をどうするかは、俺たち自身で決められる。
金を取るか、誇りを取るか……なんて単純な話じゃない」
カールはそう言いながら、造船所の中央に立つ巨大な船の骨組みを指さした。
「この船もそうだ。船を作るのに必要なのは、木と鉄だけじゃねぇ。
“どんな船にするか”を決める人間がいて、初めて形になる」
ヴァンはその言葉を噛み締めながら、ゆっくりと港を見渡す。
果てしなく続く水平線、潮風に乗って流れる商人たちの声、貨物を運ぶ船乗りの姿。
「……考えてみるっす」
ヴァンはそう答えた。
カールは満足そうに頷き、港に視線を向けた。
「いい答えが見つかるといいな」
そして二人は、再びシュナイダー工房へと歩き出した。
その胸の内に、それぞれの答えを探しながら。




