第165話
リタは腕を組み、鋭い視線をローデンに向けた。
「……なんでその話をウチに?」
静かな声だったが、その奥には強い疑念が滲んでいた。
「帝国内には他にも優れた工房があるはずだ。わざわざロストンなんかに来なくたって、よそでやりゃいいじゃねぇか」
ヴァンも一瞬、リタの言葉にうなずきかけた。確かに、この話が単なる技術協力の提案なら、もっと大きな工房に持ちかけたほうが効率的だ。
だがローデンは、まるでそれを見越していたかのように、落ち着いた笑みを浮かべた。
「確かに、帝国にはいくつもの工房があります。しかし——」
彼は手元の書類を軽く叩き、続ける。
「バッシュを本当に理解し、製造できる職人はそう多くはない」
ローデンの声には、わずかに熱がこもっていた。
「単に製造するだけなら、どこでも可能でしょう。しかし、私たちが求めているのは高効率かつ高品質なバッシュを生み出す技術です」
彼はヴァンとリタを交互に見つめながら、慎重に言葉を選ぶ。
「バッシュの特性を熟知し、改良を加えられる鍛冶師……それができるのは、シュナイダー工房のような職人集団しかいない」
「ふぅん……」
ヴァンは腕を組んだまま、ローデンの言葉を噛みしめるように考え込んだ。
たしかにバッシュの製造はただの鍛造技術だけではなく、魔導技術や素材の特性を深く理解する必要がある。それができる工房は、帝国内でも限られている。
だが、リタは依然として険しい表情を崩さなかった。
「……バッシュは、ただの道具じゃねぇよ」
彼女は低く、静かな声で言った。
ローデンの表情が、わずかに変わる。
「……?」
「バッシュは、持ち主の“魂”みたいなもんだ」
リタはまっすぐローデンを見据えながら、言葉を続ける。
「ウチで作ったバッシュは、ただの人殺しの道具じゃない」
冷ややかで、どこか張り詰めたトーンだった。
「持ち主の覚悟が宿り、戦う理由が刻まれる。だからこそ、ただの鉄の塊とは違うんだ」
ヴァンは、思わずリタの横顔を見つめた。
いつもの飄々とした態度とは違う。そこには、鍛冶師としての信念がにじみ出ていた。
ローデンはしばらく沈黙した後、ゆっくりと息を吐いた。
「……なるほど」
彼は表情を崩さず、静かにうなずく。
「ですが、それを言うならば、より多くの兵士に魂を宿した武器を持たせることもまた、重要なのでは?」
ローデンはそう言いながら、再び机上の金貨に視線を落とした。
「そのためには、シュナイダー工房の力が必要なのです」
ヴァンは、無言のまま二人のやり取りを聞いていた。
リタの言葉が妙に引っかかる。
——「バッシュは、持ち主の魂みたいなものだ」
彼は鍛冶師として、ずっと「鉄をどう扱うか」にばかり意識を向けていた。
だがリタは、「鉄のその先」を見ている。
彼女の真剣な眼差しを見つめながら、ヴァンはふと、自分の考えが浅かったのではないかと感じた。
ローデンはリタの反応をじっと見つめたまま、少し口元を緩めた。
「すぐに決めてくれとは言いません」
彼はそう言って、ゆっくりと立ち上がる。
「私たちは数週間ほどこの街に滞在する予定です。その間に、一度じっくり考えてみてください」
リタは腕を組み、無言でローデンを見上げていた。
「商談が成立した暁には、シュナイダー工房の発展に向けた支援を惜しみません」
ローデンは懐から新たな書類を取り出し、机の上にそっと置いた。
「たとえば——帝国の首都・ルーヴェンへの支店の設立。ルーヴェンは“王都”という歴史ある伝統的な場所であるだけでなく、職人たちと技術者が集う巨大な市場であり、貴工房のブランドを広めるには最適な場所です」
ルーヴェン。帝国内でも屈指の産業都市であり、名の知れた職人たちが一堂に会する場でもある。
ローデンは続ける。
「もちろん、それだけではありません。商業流通の確保、素材調達の優遇、さらには工房の拡張費用の全額負担……シュナイダー工房が“より大きな存在”になるための支援を、帝都政府が全面的に保証します」
ヴァンの目が、思わず大きく見開かれた。
「……マジかよ」
驚かずにはいられなかった。
ローデンは、さらに畳みかけるように言う。
「そして何より——貴工房の職人は、帝都政府の専属技師としての地位と名誉を手にすることができます」
その言葉に、ヴァンの心臓が大きく跳ねた。
専属技師——すなわち、帝都公認の職人として名を連ねることになる。
そうなれば、工房の格も一気に上がる。腕の立つ職人たちが集まり、資金も潤沢になり、より高度な技術を追求できる環境が整う。
「……すごい話だな」
ヴァンが思わずそう呟くと、ローデンは満足げに微笑んだ。
「よくご理解いただけましたね」
そして最後に、リタのほうを向いて静かに言った。
「どうか、ご検討ください」
そう言い残し、ローデンは深々と一礼すると、ゆっくりと工房の扉へ向かって歩き出す。
工房の外へ出ると、彼を迎えに来ていた部下らしき男が馬車の前で待機していた。
ローデンは振り返ることなく、馬車へと乗り込む。
ヴァンは、その様子を黙って見送った。
工房内には、まだローデンが置いていった書類と、机の上の金貨の束が残されていた。
ヴァンはそれを見て、改めて喉を鳴らす。
「……すげぇ話じゃねぇか」
振り向きざまに目を輝かせ、昂る感情を抑えられずにいた。
ただ、リタは何も言わず、そのまま無言で工房の奥へと歩いていった。
ヴァンは彼女の背中を見送りながら、一瞬躊躇したが、すぐに後を追った。
「おい、リタ!」
彼女は立ち止まらない。
「……なあ、めちゃくちゃいい話じゃね!?」
ヴァンは思わず声を張り上げた。
「工房をでっかくできるし、ルーヴェンに支店も持てる!帝国の専属技師になれば、腕のいい職人も集まってくるし、素材の仕入れだって楽になる!」
彼は興奮気味に言いながら、リタの肩を掴もうとした。
だが——
リタはゆっくりと振り向いた。
その表情は、驚くほど冷たかった。
ヴァンの言葉を聞いたはずなのに、まるで何も響いていないかのような、無感情な目をしていた。
「……そうかよ」
短く、それだけを言うと、彼女はヴァンの手を振り払った。
そして、何も言わずに工房の奥へと消えていった。
ヴァンは、その背中を呆然と見つめるしかなかった。
ヴァンがそう問いかけても、リタはまるで聞こえなかったかのように黙々と作業に戻った。
炉の前に立ち、手際よく薪をくべると、火口に風を送る。
ごうっ、と音を立てて炎が勢いを増した。
リタは目の前の火だけを見つめていた。
金貨の束にも、机の上の書類にも、一切目をくれようとしない。
まるで何もなかったかのように、ただいつも通りに仕事を続ける。
ヴァンは、その光景に戸惑わずにはいられなかった。
「……なあ、リタ」
彼は腕を組みながら、少し考えた末に言葉を選んだ。
「何か気に食わないことでもあるのか?」
ようやく、リタの手が止まった。
鍛造台に片手をつき、ゆっくりと顔を上げる。
「……あんたは何のためにこの仕事をやってる?」
リタの声は静かだったが、その問いは妙に鋭くヴァンの胸を刺した。
「……何のために?」
思わず繰り返す。
すぐには答えが出なかった。
いや、考えたことがなかったわけではない。
ただ、あまりにも当たり前すぎて、改めて言葉にする機会がなかっただけだ。
しばしの沈黙のあと、ヴァンはゆっくりと答えた。
「人の役に立つ道具を作るためだ」
それを聞いたリタは、ふっと鼻で笑うように息を吐いた。
「……人のために、ねぇ」
その言い方には、どこか引っかかるものがあった。
ヴァンが何か言おうとした瞬間、リタは続けた。
「じゃあさ、あんたは——今の仕事場に満足してないのか?」
ヴァンは言葉に詰まった。
「……は?」
質問の意図が分からなかった。
「満足って……どういう意味だ?」
ヴァンがそう聞き返すと、リタはじっと彼を見つめた。
その視線は、まるでヴァンの本心を見透かそうとしているかのようだった。




