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第21話




「ヴィクトール! すぐに“手術道具”を持ってきて!!」


私は叫んだ。


少女が盲腸炎から急性腹膜炎を起こしかけている。

通常、ここまで進行すると即座に手術 しなければ助からない。


——でも、この世界に「外科手術」の概念はほぼ存在しない。


魔法が発展しているこの世界では、重傷や病気は治癒魔法で治すのが一般的だ。

しかし、治癒魔法には限界がある。


病気そのものを治すのではなく、身体の回復を促すだけだから、破裂した虫垂や膿を取り除くことはできない。


だけど——私は違う。


私は、医学生として「外科」の知識を持っている。

だからこそ、この子を救うために執刀するしかない!!



「くそっ、よりによって“手術が必要なケース”が最初の大仕事になるなんて……!」


私は頭の中で手術の流れを整理する。



【手術の環境チェック】

 ☑︎ 消毒 → あるが不十分(アルコール70%が限界)

 ☑︎ 麻酔 → なし(麻酔薬が存在しない!)

 ☑︎ 手術器具 → 最低限のナイフ(銀製のメスあり)

 ☑︎ 縫合糸 → ある(絹糸を煮沸消毒)

 ☑︎ 止血手段 → 圧迫止血&魔法で補助

 ☑︎ 照明 → 窓からの光だけ(夜ならアウト)



(……問題点が多すぎる!!!)


特に 「麻酔がない」 というのが最も危険だ。

現代医療なら、麻酔を打って痛みを抑えながら手術できるけど、この世界には全身麻酔なんて存在しない。


「先生……! 娘を助けてください……!!」


少女の父親が必死に私の手を握る。


(やるしかない……!)


「ヴィクトール! すぐに麻酔の代わりになる薬草を用意して!」


「了解だ!」


私は 応急処置の麻酔を作ること にした。



「確か、この間の魔法薬店で買った“ドリームヘイズ”が……!」


ドリームヘイズは、強い鎮静作用を持つ薬草だ。

蒸留したエキスを薄めて飲ませると、意識がぼんやりする。


「これを麻酔代わりに使うしかない!」


私は素早く薬を調合し、スプーンに一滴垂らす。


「これを飲んで。少しだけ楽になるから……」


少女は、小さく頷いて口を開けた。

数秒後——彼女の瞳が少しずつ霞んでいく。


「……ふぁ……」


「これで少しはマシなはず……!」


完全に痛みが消えるわけじゃないけど、意識がぼんやりすれば手術の苦痛を和らげられる。


「準備完了。すぐに執刀するわ!」


私は 銀製のメスを手に取った。



(……落ち着け、オリカ)


目の前にいるのは、一人の患者。

医学生だったころ、何度もシミュレーションしてきた手順を思い出す。


【手術の手順】

① 消毒(傷口周囲を徹底的に拭く)

② 皮膚を切開(できるだけ小さく)

③ 虫垂を特定(腸の右下にある)

④ 壊死した部分を切除

⑤ 腸を縫合(漏れがないように慎重に!)

⑥ 傷口を閉じる(外科的な縫合)



(大丈夫……私は医学生だった……やれるはず……!)


しかし——


手が震える。


メスを持つ手が、思うように動かない。


(怖い……私、本当にできるの……!?)


患者は生きている人間 だ。

私の小さなミスが、この子の命を奪うかもしれない。


「……」



——私は、かつて外科医になることを夢見た医学生 だった。


医学部での授業には、外科手技の講義もあった。

手術の教科書 を何度も読み返し、

「ここをメスで切開し、ここで血管を結紮けっさつし……」

と、頭の中で何度もシミュレーションした。


けれど——


(……そんなの、机上の空論に過ぎなかった。)


手術の勉強は、教科書だけでは身につかない。

手術とは、生身の人間を相手にする技術だ。


楽譜を見ただけで美しい音楽が演奏できないように、手術の手順を覚えただけでは、執刀などできるはずがない。


私は、まだ「執刀医」ではなかった。

手術室に入り、何度も何度も先輩外科医の手を見つめ、助手として器具を渡し、血を拭い、切開された体の中を覗いていた。


——「いずれ、お前も執刀する時が来る」


そう言われながら、私は 何度も手術の光景を見続けた。

でも、その時の私は メスを握ることはなかった。


助手として補佐することしか、許されなかった。


——だから、今、私はこの手に初めて執刀医としてのメスを握る。


(……できるのか、私に……?)


手が震えた。


(今まで見てきたのは、熟練した外科医の動き。

私は……まだ“執刀”を経験したことがない。)


目の前には、生身の患者。


このメスを入れれば、彼女の身体を傷つけることになる。

そして——私の腕次第では、取り返しのつかないことになる。


「……っ」


手が、思うように動かない。


(私は、助手しかやったことがない。

執刀医として手術を完了させたことは、一度もない。)


「……怖い……」


メスを握る手が、わずかに震えた。


「オリカ……?」


ヴィクトールが、不安そうに私を見つめる。


私は唇を噛みしめた。


(……私は、まだ“医者”ではない。)


執刀医ではないのに、私が執刀するなんて——。


本当に、いいの……?


「……やっぱり、できない……?」


私は、手の中にある銀製のメスをじっと見つめた。


(でも、やるしかない。

私がやらなければ、この子は確実に死ぬ。)


私は、大きく息を吸い込んだ。


「——いく!」


震える手で、慎重に少女の腹部にメスを当てる。



「まずは、皮膚を切開……」


深く切りすぎないように、慎重にメスを滑らせる。

極力、血管を避け、出血を最小限に抑えなければならない。


しかし——


「……っ!」


刃が思うように動かない。


浅すぎると、皮膚が切れず、深すぎると、血管を傷つける危険がある。


(どのくらいの力加減で、どのくらいの速さで切るべきか……!)


頭では理解しているのに、手がついてこない。


私は、医学生時代に読んだ教科書を思い出した。


——「手術とは、生身の人間を相手にする技術である」


本を読んだだけでは、手術はできない。

鉛筆を握っただけで美しい絵が描けないのと同じで、手術の技術もまた、経験がなければ上手くできないのだ。


(くそっ……! 私にはまだ経験が足りない……!)


心臓が早鐘を打つ。


「——落ち着け、オリカ」


私は 深呼吸し、もう一度メスを構えた。


慎重に、慎重に——。


皮膚が裂け、薄い皮下脂肪層が露出する。

そこに、小さな血管がいくつも走っていた。


(出血させないように、血管を避けて……)


メスを進めようとした、その時——


「——っ!!」


手元が、ブレた。


(まずい!!)


メスがわずかに傾き、小さな血管をかすめた。


鮮血が滲む。


「出血……っ!」


(止血しなきゃ!!)


私はすぐに ガーゼで圧迫止血 し、周囲の血管を確認する。


「……大丈夫。深くは切ってない。」


しかし、私の手はまだ震えていた。


——経験不足。技術不足。冷静さも足りない。


(私じゃ、この手術を最後までやりきれない……!)


私は唇を噛みしめた。


「オリカ……?」


ヴィクトールが、心配そうにこちらを見ている。


(どうする? ここで手を止める?

——いや、それはできない。私がやらなければ、この子は死ぬ。)


でも、このままでは……いずれ致命的なミスをする。


(……もう、魔法に頼るしかない。)



私は、一度メスを置いた。


そして、そっと右手に魔力を込める。


「……《マナ・スキャン》」


診察用の魔法 を発動すると、少女の体内に流れる血流や、臓器の輪郭がぼんやりと浮かび上がった。


(これなら、どこに血管が走っているか、正確に把握できる……!)


魔法を補助に使えば、私の技術が未熟でも、最適なルートを選べる。


「……もう少しだけ、深く切開するわ」


今度は、魔法のスキャンで血管を避けるルートを確認しながら、慎重にメスを進めた。


(そう……私は、魔法と医術の両方を使うしかないんだ。)


血管を傷つけることなく、無事に腹膜へと到達する。


(次は、虫垂を探す……)


「ヴィクトール、ガーゼ!」


「ほらよ」


素早く受け取り、腹腔内の余分な血を拭き取る。


(あと少し……!)


しかし——


「……っ!?」


突然、少女の体が ビクリと痙攣した。


「痛みが戻ってきた!?」


「くそっ……! 予想以上に“ドリームヘイズ”の効果が短い!」


麻酔代わりに使った魔法薬が、思ったよりも早く切れかけている。


少女の顔が苦痛で歪み、手足がわずかに動き始めた。


(まずい……これ以上動かれると、誤って内臓を傷つける!!)


「オリカ、どうする!」


「……魔法で痛みを抑えるしかない!」


私は、左手を少女の額に当て、再び魔法を発動した。


「《ペイン・リリーフ》……!」


少女の体が、再び静かになる。


「……今のうちに、早く終わらせる!」


私は、改めてメスを握りしめた。


(私は……魔法と医療を組み合わせるしかない。)


今の私は、まだ手術の技術が足りない。

でも、魔法で補助すれば——私だけのやり方で、医者になれるかもしれない。


「よし、虫垂が見えた……!」


赤黒く腫れ上がった虫垂が、腹腔の奥で膨れ上がっていた。


「このまま、破裂する前に切除する……!」


私は、震える手で慎重に糸を結び、虫垂の根元を縛る。


しかし——


「——っ!? 糸が滑る!?」


予想以上に腫れが進んでいたため、結紮しようとした瞬間、虫垂の一部が崩れかけた。


「まずい!! 早くしないと……!」


(間に合うか!?

それとも、ここで術式を変更するべきか!?)


決断を迫られていた——!

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