第153話
◆昼休み——食堂にて
4限目の授業が終わると、学院の生徒たちは一斉に食堂へと向かった。
MSSの食堂は戦場に出る戦士たちを支えるべく、栄養バランスが徹底されたメニューが用意されていた。
食堂は三つのフロアに分かれており、それぞれの学部ごとに特色のある食事が提供されている。
・一階:一般食堂(カフェテリア形式、栄養管理されたバランス食)
・二階:戦技学部・戦術学部専用食堂(高カロリー食、スタミナ重視)
・三階:魔導学部・治癒魔法学部専用食堂(軽食中心、魔力回復に特化した食事)
「はにゃ~~、お腹ぺこぺこにゃ~!」
リリーは、元気よく食堂の扉を開けると、真っ先に三階へと向かった。
治癒魔法学部の食堂は、他の学部と比べて静かで落ち着いた雰囲気が漂っている。
壁際には薬草の棚が並び、各席にはリラックス効果のあるアロマが焚かれていた。
「今日のメニューはっと……」
■ 本日の魔力回復メニュー:
・《ブラックベリーのハーブティー》
・《マナリーフのサラダ》
・《ネオトマトのスープ》
・《ホワイトフィッシュのハーブグリル》
「んにゃ~、今日も健康的なメニューなのだっ!」
——治癒魔法学部の食事は、基本的に低カロリー・高栄養。
しかし、リリーのように体を動かすことが好きな生徒にとっては、少し物足りないこともある。
「リリー、また来たの?」
「むむっ? あ、カレンちゃ~ん!」
リリーの前に現れたのは、同じ治癒魔法学部に所属する少女、カレン・ロートベルクだった。
カレンはリリーの同級生であり、学業成績はトップクラス。
金髪にメガネをかけた知的な雰囲気の彼女は、リリーとは正反対の性格をしている。
「相変わらず元気ね。どうせまた午後の授業で居眠りするんでしょ?」
「し、しないのだっ!」
「この前の魔導薬学の授業で、教授が講義してる最中に“ふにゃ~”とか言いながら寝落ちしてたくせに?」
「うぅ……カレンちゃん、そんな細かいこと気にしないのにゃ!」
カレンはため息をつきつつ、ブラックベリーのハーブティーを口に運んだ。
「はぁ……あんたみたいなタイプが、どうしてここに入れたのか、未だに疑問よ」
「えへへ~、じっちゃんのコネなのだっ!」
「……それ、普通に言うことじゃないからね?」
リリーとカレンの掛け合いは、学院内でも名物になりつつあった。
◆カレンとの出会い
「ったく……ほんと、どうしてこんなムードメーカーが治癒魔法学部にいるのよ」
カレンは呆れたように言いながら、ハーブティーを一口すする。
リリーは頬を膨らませながら、ホワイトフィッシュのグリルにフォークを突き刺した。
「え~、カレンちゃん、そんなこと言うけどぉ~、最初に話しかけたのはカレンちゃんの方だったのだっ!」
「……それは、あんたが入学式の日に盛大に迷子になって、私が助けてあげたからでしょ」
「にゃはは~! そうだったにゃ!」
リリーが学院に入学した初日——
彼女は、広大な学院の中で見事に迷子になっていた。
「ふにゃ~! どこ行けばいいのだっ!?」
学院の外観は見たことがあったが、実際に中に入るのは初めて。
見渡す限り似たような建物が立ち並び、案内標識も複雑に入り組んでいる。
リリーは適当に歩き回りながら、同じような廊下を行ったり来たりしていた。
途中、魔導学部の研究棟に迷い込み、爆発事故の直後に遭遇したり、
戦技学部の訓練場に入り込み、巨大なゴーレムとの戦闘演習に巻き込まれたり……
「にゃにゃ!? ここどこなのだっ!?」
もはや混乱するリリー。
そんな時、偶然通りかかったのがカレンだった。
彼女は腕に数冊の魔導書を抱え、薬草のサンプルを手に持っていた。
「……何やってるの?」
「うにゃ~、迷ったのだっ! たしゅけてカレンちゃん!」
「……なんで私の名前知ってるの?」
「えへへ、さっきそう呼ばれているのを聞いていたのだっ♪」
「……普通、そういうのはちゃんと確認してからのほうがいいと思うけど…」
カレンはため息をつきながらも、仕方なくリリーを治癒魔法学部の棟まで案内した。
その道中、リリーは人懐っこく話しかけ、カレンの反応を楽しむように会話を続けた。
「カレンちゃんは、なんでこの学院に入ったのだ~?」
「私は、正式な治癒魔術師になるためよ。王立医療機関の認定資格を取るのが目標だから」
「うひゃ~! すごいにゃ! じゃあ、頭めちゃくちゃいいの?」
「……普通よ。あなたが勉強しなさすぎるだけでしょ」
「えへへ~♪ カレンちゃんは真面目さんなのだ!」
「……もう勝手にニックネームつけてるし」
そうして、リリーとカレンは出会ったその日から、自然と行動を共にするようになった。
カレンは最初こそリリーの突拍子もない言動に戸惑っていたが、
次第に彼女の“何事にも縛られない自由な生き方”に影響を受けるようになった。
リリーの方も、カレンの博識さや堅実な性格を頼りにするようになり、
互いに補い合う関係となっていった——。
——そして現在に至る。
◆午後の授業——魔導薬学(実習)
昼休みを終え、リリーとカレンは治癒魔法学部の実験室に向かった。
午後の授業は《魔導薬学(実習)》——つまり、薬の調合実習だった。
魔導薬学部の研究室には、各種の薬草、鉱石、魔導水晶が整然と並べられている。
ここでは、治癒魔法と組み合わせた薬の調合や、戦場での応急処置に使うポーションの開発が行われていた。
「リリー、今度こそ真面目にやってよね?」
「もっちろんにゃ!」
「……今の“にゃ”が信用ならない」
教壇の前に立つのは、《魔導薬学部主任教授・ライナス・グリーベル》。
白髪混じりの壮年の魔導薬学者であり、治癒魔法の権威でもある。
「では、本日の調合課題だ」
《本日の調合課題》
① 基礎回復薬
・ルーンベリー … 10g
・マナリーフ … 5g
・魔導水 … 20ml
・低温で5分間煎じる
② 高速治癒薬
・ルーンベリーエキス … 15ml
・魔導水晶の微粉末 … 3g
・乾燥エルダースパイス … 2g
・強魔力溶液で5分間撹拌
リリーは腕を組み、難しそうな顔をしながら——
「よーし! 適当にやるのだっ!」
「ちょっ!? 適当はダメ!!!」
カレンが慌てて止める間もなく、リリーはマナリーフをざっくり10g投入。
次にルーンベリーを入れ、魔導水を適当に注ぐ。
「うにゃ~、これでいいのだ?」
「ダメダメダメ!! ちゃんと計らないと、薬効が変わるの!!」
「にゃふん! 細かいこと気にしすぎなのだ!」
リリーはそのまま薬を煎じ始める。
やがて、鍋の中からモクモクと紫色の煙が立ち上り——
「ぎゃにゃっ!? ポーションが紫色になったのだっ!」
「ちょっ!? なんでそんな色に!? まさか変なもの混ぜたんじゃ……」
「……えっと、見た目が綺麗だからって《ナイトシャドウの花》を入れてみたのだ♪」
「それ毒草よ!!!???」
カレンの叫び声が響き、実験室の生徒たちが一斉に振り向いた。
「……シュバルツ、ロートベルク。実験室の規則は知っているな?」
教授のライナスが、静かに呟く。
「えへへ……ごめんなさいなのだっ!」
「……もぉ、なんで私まで怒られなきゃいけないのよ……」
◆夕方——学院の屋上
魔導薬学の授業が終わる頃には、学院の上空は夕焼けに染まっていた。
リリーは授業の後、ふらりと学院の屋上へと足を運んだ。
——MSSの屋上からは、ルーヴェンの街並みが一望できる。
彼女は手すりにもたれながら、眼下の景色を眺めた。
「にゃ~、今日もいろいろあったにゃ……」
遠くには、王城の尖塔が夕陽に輝いている。
その手前には王立医療機関の巨大な建物があり、街の至る所に魔導灯が灯り始めていた。
ルーヴェンは、魔法文明の粋を集めた帝都。
ロストンのような交易都市とは違い、すべてが整然と計算され、美しく作られていた。
しかし、そんな都市で生きる彼女にとって、自由に生きることは簡単ではなかった。
「……じっちゃん、もう帰ってるかなぁ」
エイゼンのことを思い浮かべる。
彼はいつも研究室にこもり、忙しそうにしている。
自分は助手として役立っているのか——そんなことを、ふと考えてしまう。
「……でもまぁ、なるようになるのだっ!」
結局、リリーはいつものようにケラケラと笑い、屋上を後にする。
——そんな何気ない学院の日々が、やがて大きな運命へと繋がることを、リリーはまだ知らなかった。




