第1話
——まぶしい光が、まぶた越しに差し込む。
「ん……」
ゆっくりと目を開けると、そこには 青く澄んだ空と、見知らぬ街並み が広がっていた。
木造とレンガ造りの家々が並び、道は石畳で舗装されている。
馬車がガタゴトと通り過ぎ、遠くでは鐘の音が響いていた。
「……あれ?」
私は、確かに昨日まで日本のしがない医学生だったはずだ。
夜遅くまで医学書を開き、目の下にクマをつくりながら、苦手な生理学の範囲を何とか覚えようとしていた。
医学生といっても超優秀なエリートではない。むしろ 「落ちこぼれ枠」 の方に分類されるタイプ。
解剖実習で倒れるわ、テストは追試ばかりだわ、バイトのシフトを詰めすぎて授業をサボるわで、成績は散々だった。
でも——
目を覚ましたら、そこは見知らぬ場所。
しかも、通りを行き交う人々の中には、明らかに人間じゃない者たち が混じっている。
猫耳の商人、背の高いエルフ、角の生えた獣人——。
「……夢?」
私は自分の頬を軽くつねってみた。
——痛い。
夢じゃない。
これって……異世界転生!?
「う、うそでしょ……!?」
映画や小説では見たことがある。
でも、まさか自分がその主人公になるなんて!?
「いやいや、転生って普通、トラックに轢かれる とか 神様に呼ばれる とか、何かしらのイベントがあるんじゃ……?」
でも、私にはそんな記憶がない。
単に 気づいたらここにいた のだ。
「……でも、ここが異世界ってことは……」
私はゴクリと喉を鳴らしながら、自分の姿を確認するために、近くの水たまりに映る自分を覗き込んだ。
——そこには、昨日までの自分と変わらない顔があった。
「おぉ、顔は変わってない!」
ただ、服装はいつの間にか、動きやすいチュニックとブーツ姿 に変わっていた。
もしかして、この世界の服に自動で着替えさせられたのか……?
「まぁ、何にせよ、私は今、異世界にいるらしい」
私はゆっくりと立ち上がり、周囲を見回した。
どうやらここは それなりに発展した都市 らしい。
露店が並び、人々の活気が感じられる……が。
私はすぐに、 異様な空気 を察した。
「あんた、それ以上咳するんじゃないよ! うつるだろうが!」
「くっ……ごほっ、ごほっ……」
ふと目を向けると、 ボロボロの服を着た男が、路地裏で蹲っていた。
彼は激しく咳き込みながら、苦しそうに胸を押さえている。
「な、なんだろう……結核? それとも肺炎……?」
「おい、あいつ疫病だろ……? 近づくなよ」
「ひぃっ、逃げようぜ!」
周囲の人々は、咳き込む男を 避けるように距離をとっていた。
「疫病……?」
私は、医学生時代の記憶を呼び起こしながら、慎重に男の様子を観察する。
咳、顔の蒼白、衰弱した様子…… でも、発疹や出血は見られない。
これは……風邪やインフルエンザとは違う気がする。
「すみません! 彼はどんな病気なんですか?」
私は近くの店の主人に尋ねた。
「さぁな。最近、“黒死の病” って呼ばれる疫病が流行ってるって噂だ。かかったら終わりらしいぜ」
「黒死の病……?」
「王国の医者どももお手上げらしいぜ。だから、疫病持ちは放っておくしかねぇんだ」
「そんな……」
私は、胸の奥がギュッと締め付けられるのを感じた。
医学生として、私は 「救えない命を救いたい」 と願っていた。
けれど、現実の医療は厳しく、私は何もできないまま終わった。
でも——
この世界なら?
「……いや、待って。もしかして、私、治癒魔法とか使えるのでは!?」
私は、自分の両手をじっと見つめた。
ファンタジー世界なら、チート能力の一つくらいもらえてもおかしくないはず!
「よし、試しに—— 回復魔法!」
私はそう叫んで、目の前の男に向けて手をかざした。
——すると、私の手のひらが眩い光を放つ。
「お、おぉぉ!? な、なんだこの魔力!?」
眩しい光が男の体を包み込む。
そして次の瞬間——
咳き込んでいた男の顔に、みるみる血色が戻った。
「えっ!? 体が……楽になった……!」
「うおおおお!? まさかの奇跡か!? 聖女様かよ!」
周囲の人々が、ざわめき始めた。
「……なにこれ、ヤバくない!?」
私は、自分の力に驚きつつも、 心の奥で確信する。
「この力があれば……この世界で、私は本当に命を救えるかもしれない」
けれど、それと同時に この世界の闇 も見え始めていた——。