第146話
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ベルナーク交易市場での最後の夜を過ごし、翌朝、オリカたちは旅立ちの準備を整えた。
スレイヴォルグの背に跨り、東の門を抜ける。
蹄が大地を蹴り、風が背中を押す。
草原を越え、山岳を抜け、彼らの旅路は再び始まった。
——目指すは、ロストン。
今回の旅は、ルーンベリーを持ち帰ることが最大の目的だった。
だが、彼らが得たものはそれだけではない。
貴族派による薬草流通の独占。
修道院の裏で行われる不正。
ダリウスの情報網。
そして、ライナー・ホルツとの出会い。
この旅で手に入れたすべてが、オリカたちの次なる戦いの礎となる。
【途中で立ち寄る街々】
ロストンへ向かう道中、オリカたちはいくつかの街で休息を取ることにした。
ベルナーク交易市場を出てからの道は険しく、慎重に進まなければならない。
第一の街:ミルデン(丘陵の宿場町)
◇ 地理的特徴:
・ベルナーク交易市場から東へ一日進んだ先に広がる丘陵地帯。
・風が強く吹き抜け、放牧が盛んな地域である。
◇ 産業・文化:
・羊毛産業が発展しており、織物やフェルト製品が特産品。
・「風の市」と呼ばれる定期市が開かれ、旅人や商人が立ち寄る。
◇名物料理:
・《ミルデン・ラムステーキ》 - 炭火でじっくり焼いたラム肉にハーブを効かせた料理。
・《ホットミルクワイン》 - 羊飼いたちが寒さを凌ぐために飲む甘いワイン。
オリカたちはここでスレイヴォルグを休ませ、一泊した。
丘の上の宿からは、広大な草原が見渡せた。
「風が心地いいわね」
エリーゼが丘の上で伸びをする。
ルシアンは焚き火を見つめながら、ぼそりと呟いた。
「ここなら、のんびり暮らせそうだな……」
「確かにね」
オリカは笑いながら、火に手をかざした。
第二の街:ヴァルモア(岩壁の砦町)
◇ 地理的特徴:
・ミルデンから東へ進むと、岩壁に囲まれた砦町が現れる。
・昔は盗賊の拠点だったが、今では交易の要衝として発展している。
◇ 産業・文化:
・石造りの街並みが特徴的で、鉱石の加工や鍛冶が盛ん。
・「ヴァルモアの誓い」と呼ばれる騎士団が、街の治安を守っている。
◇ 名物料理:
・《鉱夫の肉団子スープ》 - 岩塩とスパイスを効かせた、滋養強壮のスープ。
・《黒鉄エール》 - 重厚な味わいの地ビール。
「……なんだか、城塞みたいな街ね」
エリーゼが石造りの建物を見上げる。
「ここは昔、盗賊団が支配してたらしいぜ。今は交易都市になってるが」
ルシアンが壁の落書きを指さしながら言った。
オリカたちはここで装備を整え、スレイヴォルグに水を与えた。
第三の街:エルムレイク(湖畔の静寂都市)
◇ 地理的特徴:
・ヴァルモアを出てさらに進むと、美しい湖畔の街にたどり着く。
・透明な水を湛えたエルム湖が広がり、静かで落ち着いた雰囲気。
◇ 産業・文化:
・釣りや養殖が盛んで、湖の幸を活かした料理が豊富。
・「水の神殿」と呼ばれる古い遺跡があり、巡礼者も訪れる。
◇ 名物料理:
・《エルム風スモークフィッシュ》 - 湖魚を燻製にした保存食。
・《水精のワイン》 - 青い光を放つ、特産の果実酒。
湖のほとりに佇むオリカたち。
静かに水面を眺めながら、それぞれの考えを巡らせる。
「こうしていると、何もかも忘れそうね」
エリーゼが湖面をなぞるように指を滑らせる。
「……でも、忘れちゃいけねぇこともある」
ルシアンが湖を見つめながら言った。
オリカは微笑み、そっと医療ケースを握りしめる。
まだやるべきことがある。
四日目——果てなき草原を往く
ベルナーク交易市場を出て四日目の朝。
スレイヴォルグの蹄が、朝露に濡れた草原を踏みしめる。
風が吹き抜け、遠くで羊の群れがゆっくりと移動していた。
見渡す限りの大地は、どこまでも続く草の波。
地平線に向かって緩やかに起伏し、空との境界が曖昧になるほど広大だった。
「……なんか、同じ景色ばっかりで飽きてきたな」
ルシアンが手綱を握りながらぼやく。
「まぁ、交易路ってそういうものよ」
エリーゼは柔らかく笑い、陽の光を浴びながら腕を伸ばした。
「でも、風が心地いいわね。開けた土地だと、空がどこまでも広がって見える」
スレイヴォルグのたてがみに指を通しながら、オリカは頷いた。
「うん。でも気をつけないと、風が強くなると砂埃で視界が悪くなるかも」
空は澄み渡り、雲は遠く高い。
だが、遠方の地平には、わずかに黄ばんだ煙のようなものが見え始めていた。
「……そろそろ、砂の領域に入るか」
ルシアンの言葉に、オリカは頷いた。
草原の先には、乾燥した土地が広がっている。
ここからは砂礫が混じる荒地が続くのだ。
六日目——
草原が徐々に減り、代わりに砂礫の大地が広がり始めた。スレイヴォルグの蹄が、乾いた地面を踏みしめる音が鈍く響く。
「うわぁ……喉、乾いた」
ルシアンが水筒を取り出して一口飲む。
「ちゃんと補給しないとね」
エリーゼも自分の水筒を確かめる。
空は青く晴れ渡っているが、砂が風に乗って舞い、景色を霞ませる。
陽炎のように大気が揺れ、遠くの岩山が歪んで見えた。
「砂漠ほどではないけど、結構乾燥するね」
オリカは口元を布で覆いながら、前方を見つめる。
この辺りは「サンセベリア荒野」と呼ばれる地域。
かつては盗賊が潜伏していたが、交易路が整備されるにつれ、彼らの姿は次第に消えていった。
しかし、それでも油断はできない。岩陰や崖の影には、今もならず者たちが潜んでいることがある。
「この辺りで休憩しよう」
ルシアンがスレイヴォルグを止め、小さな岩陰に入る。
陽射しを避けながら、オリカたちは水を分け合い、携帯食を口にした。
「……ロストンまでは、あと四日くらいか」
「うん。でも、ここからは山岳地帯に入る」
地図を見ながら話すオリカのその言葉に、エリーゼが小さく頷く。
「この荒野を越えれば、サンセベリアの鉱山都市がある。そこなら、水も食料も補給できるはずよ」
「じゃあ、あと一踏ん張りだな」
ルシアンは腰を上げ、スレイヴォルグの手綱を引いた。
八日目——山岳地帯への入り口
サンセベリアを出発し、さらに二日。
今度は険しい岩山が立ち並ぶ山岳地帯へと足を踏み入れた。
「……ふぅ、今度は寒いくらいね」
エリーゼが肩をすくめる。
標高が上がるにつれて、気温が徐々に下がり始めた。
乾燥した荒野を抜け、岩壁の道を登ると、今度は冷涼な風が吹き抜ける渓谷に入る。
岩肌には苔が生え、細い川が蛇行しながら流れている。
雪解け水が集まり、清らかな水音を奏でていた。
「水が澄んでる……」
オリカはスレイヴォルグを降り、手を浸す。
「この辺りは源流域だからな。水は豊富だが、道が険しい」
ルシアンが慎重に道を選びながら進む。
スレイヴォルグも足元に注意を払いながら、一歩ずつ岩道を踏みしめた。
この渓谷を越えれば、あとはロストンまでの平原が広がる。
だが、山道は危険も多い。
落石、急な天候の変化——そして、獣の気配。
「……なんか、見られてる気がするわね」
エリーゼがふと呟く。
「気のせいじゃないかもな」
ルシアンが手を剣の柄にかける。
遠くで、獣の遠吠えが響いた。
「……早めに通り抜けよう!」
オリカはスレイヴォルグを進め、仲間たちも後に続いた。
そして——十日目
ついに、最後の山道を抜けた。
視界が開け、眼下には広大な平原が広がる。
その遥か彼方、地平線の向こうに、小さな光が見えた。
「ロストンが見えてきた……!」
エリーゼが嬉しそうに声を上げる。
ロストンの尖塔が朝日に照らされ、静かに輝いていた。
市場の喧騒、行き交う人々、診療所のある場所——
「……帰ってきた」
オリカは小さく息をつき、スレイヴォルグのたてがみを撫でた。
だが、ここはゴールではない。
「まずは、ギルバートの治療を」
オリカは決意を込めた声で言う。
「そして——ロストンの医療を守るために、私たちにできることをやっていこう!」
エリーゼとルシアンも、それぞれ深く頷いた。




