第143話
数日後——
レイモンド診療所では、回復し始めた患者たちの姿が増えていた。
赤黒い斑点が消え、関節の腫れも収まり、熱にうなされていた者たちは徐々に意識を取り戻し始める。
「……本当に回復してる」
患者の様子を見て、レイモンドが感嘆の声を漏らした。
オリカの作った『ガルヴァナイト・エリクサー』は、間違いなく効果を発揮していた。
エリーゼは、患者の脈を測りながら微笑む。
「順調ね。やっぱり、あの魔力毒素が原因だったみたい」
「これで、助かった人も多いはずよ」
オリカは安堵しながら、椅子に腰掛けた。
治療が成功したことで、レイモンドや診療所の人々の信頼を完全に得ることができた。
「……ありがとうよ、オリカ」
レイモンドは渋い顔のままだが、その目には明らかに敬意が宿っていた。
「お前がいなきゃ、俺たちはこの病をどうすることもできなかった」
オリカは静かに首を振る。
「……私ひとりの力じゃないわ。エリーゼやルシアン、カイエたちの協力があってこそよ」
レイモンドは腕を組んでうなずくと、ふと思い出したように言った。
「ところで、お前ら……“ダリウス”とは、うまくやってんのか?」
オリカとエリーゼは顔を見合わせた。
「……彼とは、まだ交渉の途中よ」
「そうか……まあ、あいつは信用できる相手じゃないが、敵に回すよりはマシだ」
レイモンドの言葉を聞きながら、オリカたちは診療所を後にした。
彼女たちには、まだやるべきことがあった。
ルーンベリーの在処を知るために、ダリウスとの交渉を進める必要がある——。
オリカたちは再び、ダリウスの店を訪れていた。
薄暗い店内で、ダリウスはカウンター越しに彼女たちを見つめていた。
「ほう……どうやら、患者は回復したみたいだな」
「ええ」
オリカは静かに頷いた。
「あなたの言ったとおり、偽薬の影響で症状を悪化させた人もいたわ。でも、今はみんな回復に向かってる」
「……なるほど」
ダリウスは指でカウンターを軽く叩きながら、思案するように目を細める。
「約束通り、情報を渡そう」
彼は羊皮紙の束の中から、一枚の地図を取り出し、オリカたちの前に置いた。
「お前たちが探しているルーンベリー……その“在処”だが」
オリカは地図を見つめる。
「……これは?」
地図に記されていたのは、ベルナーク交易市場から北西に向かった“修道院の所在地”だった。
「“聖エリナス修道院”——聞いたことはあるか?」
「聖エリナス修道院……」
エリーゼが眉をひそめる。
「確か、貴族派の信仰圏にある修道院よね? でも、そこがルーンベリーとどう関係があるの?」
ダリウスは肩をすくめた。
「ルーンベリーはな、元々“薬草”としてだけじゃなく、魔導研究にも使われていた代物だ。貴族派がそれを独占しようとしたのは当然の流れだった」
彼の指先が羊皮紙をなぞり、修道院のある場所を軽く叩く。
「——ここは表向き、貴族派の信仰施設として機能している」
「でも、それだけじゃないんでしょう?」
エリーゼが慎重な口調で問いかける。
「当然だ」
ダリウスは鼻を鳴らした。
「修道院の役割は、“信仰”や“治療”だけじゃない。あそこは、貴族派が統制する魔導薬の流通拠点のひとつだ」
オリカは地図を見つめながら、思案する。
「……つまり、市場に出回る前の薬草や素材が、いったんそこに集められているってこと?」
ダリウスはゆっくりと頷く。
「そうだ。修道院には各地から薬草や魔導資材が運び込まれる。だが、それらの物資の一部は市場に流れることなく、貴族派の管理下で処理される」
「ルーンベリーも?」
ルシアンが低く尋ねると、ダリウスは再び地図を指で示した。
「市場の商人たちの話を総合すると、“修道院に定期的に運ばれる薬草” の中にルーンベリーが含まれているのは確実だ」
「でも、なぜ修道院で?」
エリーゼが眉をひそめる。
「魔導薬の原材料になる薬草は、普通なら市場を通じて取引されるはずよね。修道院がそれをわざわざ管理する理由は?」
ダリウスは少し笑い、カウンターの上で指を組む。
「“信仰”の名のもとに動く場所は、誰も疑わない。貴族派はそれを利用してるのさ」
「……」
オリカは、言葉を失った。
たしかに、修道院は神聖な場所とされ、人々はその活動に疑いを向けることは少ない。
もし貴族派がそこを流通の“隠れ蓑”として利用しているのだとすれば——
「なるほどね」
オリカは静かに息を吐いた。
「つまり、ルーンベリーを手に入れるには、修道院の倉庫を探る必要があるってことね」
「だが、簡単じゃねぇぞ」
ダリウスが注意を促すように言った。
「修道院は厳重に管理されている。門の出入りは制限されてるし、倉庫には貴族派の“監視役”がいる」
「……どうすれば、中に潜入できる?」
オリカの問いに、ダリウスは考え込むように指で顎をなぞる。
「ひとつ、方法がある」
彼は羊皮紙の束を取り出し、その中から小さな紙片を選び、オリカの前に置いた。
「修道院では定期的に“施療会”が開かれる。そこでは貧民街の人間や労働者が無料で治療を受けることができる」
「施療会……」
エリーゼがつぶやく。
「それに紛れ込めば、中に入れるってこと?」
ダリウスはうなずく。
「少なくとも、正面から入る手段としては現実的だな。ただし、施療会の内部には“外部の人間が立ち入れないエリア”がある」
「倉庫ね」
オリカはすぐに理解した。
「施療会を隠れ蓑にしてるなら、薬草の保管庫は“関係者以外立ち入り禁止”のはず……」
「その通り」
ダリウスは満足そうに頷いた。
「だから、お前たちは“関係者”になりきる必要がある」
「関係者……?」
ルシアンが眉を上げる。
「修道院の奉仕者か?」
「いや、施療会で働く“助手”だ」
ダリウスは、カウンターの下から一枚の羊皮紙を取り出した。
「これが、施療会の募集要項だ。衛生管理や簡単な手当を手伝う役割として、一定数の人間が募集されている」
「なるほど」
オリカは、羊皮紙を手に取る。
「私たちが医者として動けるなら、疑われる可能性は低い……」
「ただし」
ダリウスが低く言った。
「倉庫の場所や、ルーンベリーの保管状況を確認するには、さらに慎重に動く必要がある。施療会の内部を探りながら、情報を集めろ」
「……わかった」
オリカは頷いた。
「修道院に潜入して、ルーンベリーの行方を突き止める」
エリーゼとルシアンも、それぞれ真剣な表情でうなずいた。
ダリウスは小さく笑い、カウンターを軽く叩く。
「……いいだろう。お前たちの覚悟、見せてもらおうじゃねぇか」