第142話
ベルナーク交易市場に戻った頃、空はすでに夕暮れに染まっていた。
街の喧騒と行き交う人々の声、活気に満ちた市場の匂いが、長い旅の果てに戻ってきたことを実感させる。
だが、その安堵も束の間だった。
「——先生! 大変です!」
レイモンド診療所に足を踏み入れるなり、助手のカリンが駆け寄ってきた。
「また、新しい患者が……! しかも、症状がどんどん悪化していて……!」
「落ち着いて、カリン」
オリカはカリンの肩に手を置き、静かに言った。
「すぐに診るわ。案内して」
カリンは慌てて頷き、奥の診察室へと案内する。
診療台には、息も絶え絶えの患者が横たわっていた。
高熱で顔は紅潮し、皮膚には赤黒い斑点。
関節は異様に腫れ、呼吸は浅く、かすれた声でうめいている。
——これは、間違いなくあの症状。
オリカは素早く脈を測り、患者の瞳孔を確認する。
「……血液検査をするわ」
そう言うと、オリカは医療ケースを取り出した。
それは、ロストンのとある工房に特注で製作してもらったものだった。
【ロストンの工房製・医療器具セット】
・依頼先: ロストンの金属工房「シュナイダー工房」
・技術レベル: 明治時代相当(鋳造・精密加工技術は未発達だが、基本的な医療器具は製作可能)
・内容: 注射器・ピンセット・メス・試験管・アルコールランプ・ガラス器具など
オリカは、注射器を取り出し、素早く消毒を済ませる。
この注射器は、ガラスと真鍮で作られた簡易的なもので、現代の使い捨て注射器のような精密さはない。
だが、それでも十分な役割を果たすはずだ。
「カリン、採血用の試験管を」
「は、はい!」
カリンが差し出した試験管を手に取り、慎重に針を患者の腕に刺す。
ゆっくりとピストンを引き、赤黒い血液が管の中に流れ込んでいく。
「……ありがとう。よし、分析するわ」
【オリカ独自の魔力分析法】
この世界には、現代の医学的な血液検査技術は存在しない。
だが、オリカは “魔力感知”の応用 によって、血液の異常を検出する術を確立していた。
・魔力は、血液と密接に関係しており、病に侵された血は “穢れ” を帯びる。
・それを視覚化するため、オリカは 魔力を込めた水晶を使用する。
・水晶に血液を垂らし、魔力を通すことで 毒素や異常な魔力反応 が浮かび上がる。
「……始めるわ」
オリカは、試験管の血液を小さな皿に移し、水晶をかざした。
そして、静かに魔力を注ぎ込む——。
次の瞬間、血液が黒く変色し、微細な粒子が浮かび上がる。
「……やっぱり」
オリカは眉をひそめた。
「これは……ただの病気じゃない」
血液の中に、不自然な魔力の揺らぎ。
普通のガルヴァ熱とは明らかに違う。
「……魔力毒素が、血管を蝕んでる」
エリーゼが息を呑んだ。
「つまり……これは、“何か”によって引き起こされてる?」
「うん。意図的に、ね」
オリカは静かに試験管を置いた。
「これは、自然発生した病じゃない。……誰かが、仕組んでる可能性が高い」
診療所の空気が、一瞬で張り詰める。
オリカは、じっと血液の黒い粒子を見つめていた。
水晶を通じて視覚化された 血液中の異常な魔力毒素を見つめながら、思考を巡らせていた。
この毒素は、自然発生したものではない。
つまり—— 誰かが“意図的に”作り出したもの。
「……必要な成分を抽出する」
彼女は、持ち帰ったレッドヴァーミリオンとファングラナイトを机の上に広げた。
この2つと、市場ですでに購入していた他の2つの素材から、血液中の毒素を分解し、体内の炎症を抑えるための “治療薬” を作らなければならない。
■ 必要な化学物質と抽出の目的
オリカは、現代の薬学の知識を基に、治療に必要な成分を考えた。
【成分名/目的/抽出元】
□ フェロキシン(Feroxin) / 血管修復・解毒作用 / グレープヴァイン
□ エテルアルカリド(Ether Alkaloid) / 神経毒の中和 / ファングラナイト
□ マナオキシン(Manaoxin) / 魔力毒素の分解促進 / レッドヴァーミリオン
□ カロス酸(Kalos Acid) / 炎症抑制・発熱軽減 / ウーツ鋼
この4つの成分を適切に調合することで、 血液中の異常魔力を分解し、ガルヴァ熱(類似症状)に対抗する薬 を作ることができるはずだ。
■ 抽出方法の確立
① フェロキシンの抽出(血管修復・解毒作用)
※抽出元: グレープヴァイン(赤鉄鉱の魔力変異種)
□ 方法:
1. 粉砕 & 魔力触媒反応
・グレープヴァインの結晶を細かく砕き、溶媒(水+少量のアルコール)に溶かす。
・そこに “魔力共鳴(Mana Resonance)” を使用し、鉄イオンを活性化。
・魔力共鳴を使うことで、フェロキシンが自然に分離される。
2. 遠心分離 & 精製
・遠心分離機の代わりに 魔力振動(Mana Oscillation) を利用。
・高速振動で不純物を分離し、フェロキシンを精製する。
・結果、血管修復・解毒作用を持つフェロキシン液が得られる。
② エテルアルカリドの抽出(神経毒の中和)
※抽出元: ファングラナイト(魔力鉱石の一種)
□ 方法:
1. 溶解処理 & 魔力分離
・ファングラナイトを 高純度エタノール に浸し、魔力変性を誘発。
・魔力分離(Mana Separation)を行い、エテルアルカリドを単離。
2. 冷却結晶化
・魔力による熱反応を防ぐため、冷却魔法を用いて結晶化。
・これにより、 高純度のエテルアルカリド結晶 が得られる。
③マナオキシンの抽出(魔力毒素の分解)
※抽出元: レッドヴァーミリオン
□ 方法:
1. 蒸留 & 酸化反応
・レッドヴァーミリオンを蒸留し、酸化させることでマナオキシンを生成。
・ここでは “魔力酸化(Mana Oxidation)” を応用。
2. 魔力安定化処理
・生成したマナオキシンは極めて不安定なため、安定化処理を施す。
・魔力緩衝剤(低濃度のエーテル溶液)を加えて保存可能にする。
④ カロス酸の抽出(炎症抑制・発熱軽減)
※抽出元: ウーツ鋼
□ 方法:
1. 魔力誘導体変換
・ウーツ鋼の成分を 魔力転写(Mana Transcription) で変換。
・これにより カロス酸 を抽出。
2. 中和 & 調整
・強すぎる作用を抑えるため、少量の水銀を添加(※安全な範囲内)。
・これにより、カロス酸の効果が安定し、患者に投与可能な形に。
★ 治療薬の完成:ガルヴァナイト・エリクサー(Galvanite Elixir)
4つの成分を適切な比率で混合し、魔力安定化処理を施すことで完全な治療薬を作ることができる。
【成分/役割】
□ フェロキシン / 血管修復・解毒
□ エテルアルカリド / 神経毒中和
□ マナオキシン / 魔力毒素分解
□ カロス酸 / 炎症抑制・発熱軽減
これらの成分を 魔力循環処理(Mana Circulation) によって安定化させ、液体エリクサーとして完成させる。
▼ 実際の治療手順
オリカは完成した “ガルヴァナイト・エリクサー” を手に取り、患者に向き直った。
「……これを飲ませるわ」
慎重に患者の口元へ薬を運び、少しずつ流し込む。
数時間後——
患者の皮膚の赤黒い斑点が、ゆっくりと薄くなっていく。
「効いてる……?」
エリーゼが息を呑む。
「うん。でも、まだ完全には治らない」
オリカは、患者の脈を測りながら言った。
「これを何回か投与しないと、体内の毒素は完全には抜けないわ」
「つまり、回復には時間がかかるってことね」
レイモンドが腕を組む。
「……でも、これで治る見込みができたってことだ」
オリカは、小さく頷いた。
「ええ。あとは、患者の体力を回復させながら治療を続けるだけよ」