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第138話




夜はさらに更け、天幕の周囲では陽気な踊りと民謡歌が流れ始めていた。


軽やかに手を叩く音、ステップを踏む足音、弦楽器の響き。


月明かりの下、星の民たちは輪を作り、楽しげに踊っている。


オリカはその様子を眺めながら、ふと隣にいたルーシィに声をかけた。


「楽しそうね」


「当然よ。夜が長い草原では、こうやって宴を楽しむのが一番だから」


ルーシィは笑いながら、指を弾くように軽くリズムを刻む。


「あなたは踊らないの?」


「私? んー……踊るより、こうやって眺めてる方が好きかな」


彼女は火の灯る天幕を見回しながら、どこか懐かしそうに言う。


「それに、私は旅人を迎える役目だからね。たまには、おしゃべりするのもいいかなって思ったの」


「旅人を迎える役目……」


「まあ、単に面倒見がいいだけって話かもしれないけど」


そう言って肩をすくめる。


——どこか懐かしい仕草だった。


ミアも、こうやって何気なくオリカの隣にいた。


些細なことに気づいて、気軽に話しかけてきた。


(……私、何を考えてるんだろう)


そう自分に問いかけながら、オリカは空を仰ぐ。



診療所のことで頭がいっぱいだった。


黒死病のこと、治療法のこと、患者たちのこと——


でも、今は——



“この世界そのもの”のことを、考えていた。


(私は、どこにいるんだろう)


見知らぬこの場所に来て、半年近くが過ぎた。


ただひたすら生きることに必死だった。


診療所の仕事に追われ、目の前の患者を救うことばかりを考えていた。


けれど、こうして異国の宴を眺めていると、ふと——


「ここ」がどこなのかを探そうとする自分がいた。


夜空に瞬く、無数の星々。


見上げるたびに、その広がりに息を呑む。


(この空のどこかに——私がいた星があるのかな)


そう思って、星々を見渡してみる。


でも、それらはただ美しく瞬くだけで、オリカの問いに答えることはなかった。


それでも、探さずにはいられなかった。


「どうしたの?」


ルーシィの声が、静かに問いかける。


オリカはゆっくりと視線を落とした。


「……ううん、なんでもない」


ほんの一瞬、自分がいた世界が恋しくなった気がした。


それがどんな感情なのか、自分でもよく分からなかったけれど——


ただ、静かな夜が、目の前を通り過ぎていくのを感じていた。







賑やかだった宴も、次第に落ち着きを見せはじめていた。


天幕のあちこちでは、まだ火の灯る炉のそばで余韻を楽しむ者たちがいた。

年配の男たちは酒の杯を交わしながら笑い合い、若者たちは即興の弦楽器を爪弾き、歌を口ずさんでいる。


子供たちは遊び疲れたのか、母親たちに背負われながら欠伸をし、次第に天幕の奥へと連れて行かれた。

火の粉が夜空に舞い上がり、燃え残った薪がはぜる音が、微かに響く。


「そろそろ片付けるか」


カイエの言葉に従い、星の民たちは使い終えた器を水瓶に浸し、炉の周りを掃き清めていく。


オリカもエリーゼとともに手伝いながら、大鍋の残りを小さな器に移していた。


夜の空気は冷え込みはじめ、スープの湯気がゆらゆらと昇る。


ふと、オリカは周囲を見回した。


「……ルシアンは?」


さっきまでそこにいたはずの彼の姿が、どこにも見当たらない。


近くで同じように後片付けをしていたエリーゼに尋ねると、彼女は手を止めて周囲を見回した。


「……そういえば、さっきまでいたのに」


「どこに行ったのかな」


「さあ。でも、ルシアンのことだから、一人になりたかったんじゃない?」


エリーゼは肩をすくめながら答える。


——オリカは、彼のことが気になっていた。


それはルシアン自身のこともあるが、もう一つ——


族長・アシェンが言った、「エゼル人」という言葉。


初めて聞く名だった。


だが、それを聞いた時のルシアンの表情が、あまりにも固かったのを覚えている。


(エゼル人……)


その意味も、背景も、オリカには分からなかった。


「ねえ、エリーゼ」


「ん?」


「“エゼル人”って、何なの?」


エリーゼは少し驚いたように目を瞬かせ、それから静かに息をついた。


「……知りたいの?」


「…うん」


エリーゼは片付けていた器をそっと置くと、夜空を見上げた。


「……私も詳しいわけじゃないの。知っているのは、医学校の文献や、貴族たちの噂話から得た情報だけ」


「それでもいいわ。教えて」


エリーゼはしばらく考え込むように指を組み、それからゆっくりと言葉を紡いだ。


「エゼル人……それはね、かつてこの世界で“神に選ばれた民”と呼ばれていた人々」


「神に……選ばれた?」


「そう。エゼル人は、世界樹と深く繋がる力を持つ民族だったと言われている。

 彼らは自然と語り、大地と共に生き、普通の人間には扱えないほどの強力な魔力を持っていたらしいわ」


「……そんな人たちが、本当に?」


「確かな証拠はない。でも、ヴァルキア帝国が彼らを“異端”として迫害したのは、歴史的に有名な話よ」


オリカは、息をのんだ。


「異端として……?」


「ヴァルキア帝国はね、かつて“魔導革命”を起こしたことで有名なの。

彼らは魔力を科学的に分析し、兵器や産業に応用することで一気に勢力を拡大した。

その過程で、“従来の魔法”や“神聖なるもの”を排除し、新たな秩序を築こうとしたのよ」


「じゃあ……エゼル人は」


「ええ。ヴァルキアは彼らを“時代遅れの迷信”とみなした。でも、それだけじゃない」


エリーゼの目が、夜の闇の中で静かに光る。


「エゼル人は、単に“迫害”されたわけじゃないの。

彼らの血と力が、ヴァルキアにとって“価値あるもの”だったから」


オリカは、何かが背筋を冷たく這うのを感じた。


「……どういうこと?」


「ヴァルキアはね、“エゼル人の魔力を解析すれば、新たな魔導の領域に踏み込める”と考えたの」


「つまり……彼らを、研究の対象にした?」


「……ええ」


エリーゼは、ゆっくりと頷く。


「……ヴァルキア帝国は、“エゼル狩り”という政策を実行した。

エゼル人を捕え、解剖し、魔力の仕組みを解析しようとしたのよ」


「——っ!」


オリカは、思わず絶句した。


「そんな……」


「……もちろん、すべてが記録に残っているわけじゃない。でも、ヴァルキアの医療や魔導研究の発展の裏には、

“何かしらの犠牲”があったって噂されてる」


エリーゼの声は、どこか淡々としていた。


しかし、その瞳の奥には、決して無関心ではいられない何かが揺れていた。


「結果として、エゼル人は世界からほぼ姿を消した。

“民族として絶滅した”とも、“どこかに逃げ延びた”とも言われているけれど……

少なくとも、この大陸で彼らを見たという話は、もう何十年も聞かない」


オリカは、ふとルシアンのことを思い出す。


(もし、ルシアンが……)


彼が「エゼル人」なのだとしたら——


彼は、一体、何を思ってこの世界を生きているのだろうか。


オリカは、手のひらに残る微かな震えを感じながら、夜の静寂の中に身を委ねた。

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