第132話
ヴォルケリオンは違和感を感じていた。
動きを変えようとしたその時だ。
風が、変化している。
自分の動きに合わせて風を使うつもりが、思うように制御できない。
ならば——
ヴァルケリオンは“意図”して魔法を使うことはない。
ほとんどの魔獣は戦局を有利に進めるため、自らの魔力を様々な形で発動する傾向にある。
本能と、直感。
それは「思考」よりも早い動作だった。
その分、魔力を用いた攻撃や防御の展開には、人間の”思考“による魔法の構成や戦術に比べて、一貫した計画性がない。
無意識のままに発動している「行動」。
そう捉えるのが”自然な“見方であり、的確だ。
ヴァルケリオンは自らの魔力で空間に気流を生成し、フィールドの環境を整えようとした。
しかし、それが”仇”になることを、即座に「予測」することはできなかった。
フィールドに吹く乱流。
——風。
ヴァルケリオンは打ち消そうとしていた。
オリカが発生させた気流の変化。
フィールドの中で起こった、異変を。
ヴァルケリオンは風の流れを自在に掴む魔獣だ。
しかしそんな魔獣でも、風そのものの持つエネルギーの流れには逆らうことはできない。
逆風は敵の動きを鈍らせるには、十分な効力を発揮していた。
問題は、この「効力」に対抗するべく、飛翔を“取りやめたこと”だ。
自らが再び風に乗るための一手。
本能の赴くままに、”動“と“静”の動きの中間に発生させた、——ひとつの間。
この間を介して、気流の「渦」は空間の中へと流れ着いた。
僅かな隙間が、この「間」に生まれた。
その一瞬——
「……撃てる!」
カイエが目を輝かせ、弓を引く。
風を発生させ、ほんのわずかに制御できなくなったヴォルケリオンの動きが、そこにはあった。
カイエは射手としての優れた「視力」を備えているだけでなく、一貫した集中力を持っている戦士だ。
狙うとすれば一点。
彼女は身構えていた。
ヴァルケリオンの体に触れるための一撃は、“風が追いつかない”範囲でなければならない。
さっきは不意をつけたが、警戒された今はそうもいかない。
だからこそ、風の流れが変わるその時を待っていた。
「風裂の矢——発射」
——シュッ!!
矢が、風を切り裂いて飛ぶ。
「グギャアアアア!!」
ヴォルケリオンの左の翼を、矢がかすめた。
「捉えた…!」
彼女の矢は“翼の付け根”を捉え、確かなダメージを与えた。
ヴァルケリオンにとっては予想外の攻撃だったのだろう。
それもそのはずだ。
カイエの矢は直線的な軌道を描いていた。
風の動きを無視したかのような一撃だった。
それも、自らが動きを止めた、ほんのわずかな隙間を縫うように飛んできた。
目を瞑った一瞬に、景色の一部がすり替わったような“サプライズ”だった。
風と風の間を通り抜けるように、駆け抜けた「線」。
——だが、ヴォルケリオンは致命的な傷を負いながらも、最後の反撃を試みようとしていた。
再び羽ばたき、体勢を立て直そうとする。
——その時。
「いくわよ……!」
魔力を込めたエリーゼの魔法が、ようやく発動する。
エリーゼは詠唱の手を止めないまま、周囲の風の流れを観察していた。
——通常、雷魔法は「空間の安定」を前提として発動される。
しかし、今の状況は違う。
ヴォルケリオンは、風の流れそのものを変化させ、乱流を発生させながら空間を歪ませている。
「……なら、その風を利用するしかないわね」
エリーゼは微細な魔力の粒子を風に乗せるように魔法陣を展開していた。
——雷は、風を媒介にして流れを変える。
空気中の電荷が乱れることで生じる放電現象を、意図的に“制御”すれば——
「……いける!」
エリーゼは詠唱を加速させた。
「風の導線を引いて、雷撃の軌道を決める……」
空中に、雷を引き寄せる微細な魔力の導線が張り巡らされる。
ヴォルケリオンの飛翔軌道を計算し、その風の流れに沿って魔力を流し込んでいく。
「雷撃陣——放て!!」
——バリバリバリバリッ!!
風の導線を媒介として、雷撃が一瞬で駆け巡る。
通常の雷撃とは異なり、これは「風を伝う雷撃」。
ヴォルケリオン自身が操っていた風の流れにエリーゼの魔力が絡みつき、雷がそのまま追跡するように走る。
「ギャアアアア!!」
ヴォルケリオンの身体に、雷撃が突き刺さった。
痺れたように翼が硬直し、空中でバランスを崩す。
さらに、電撃は空気中の水分を瞬時に蒸発させ、爆発的な熱を生じさせた。
「……落ちるわね」
エリーゼの冷静な声が響く。
ヴォルケリオンは空中で大きく揺らぎ、衝撃波を生むように失速した。
それでも無理やり翼を広げ、墜落を回避しようとするが——
「……もう、飛べないだろう」
カイエが弓を下ろし、淡々と言い放った。
ヴォルケリオンは、最後にこちらを一瞥した後、力なく旋回しながら遠ざかっていく。
「……行ったか」
ルシアンが短剣を収め、深く息をついた。
エリーゼはしばらく空を見上げていたが、やがて静かに呟いた。
「風に雷を乗せる……なかなか面白い戦い方だったわね」
オリカは、その言葉に僅かに驚いた表情を見せた。
(エリーゼが……戦闘を“楽しんでる”……?)
彼女はふと、エリーゼの横顔を見つめた。
「何?」
「……なんでもないわ」
オリカは小さく微笑んだ。
ヴォルケリオンが去った後、草原には静寂が戻っていた——。