第130話
ヴォルケリオンの巨体が、再び空へと舞い上がった。
バサァァッ!!
翼を広げ、巨大な体躯を目一杯に広げる。
かと思えば、体を丸めたように鋭く飛翔し、空気の中を“突いた”。
翼の躍動は、巨体を“運ぶ”には十分すぎるほどの「強さ」を持っていた。
しなやかな曲線を描きつつ、確かな「直線」を繋げている。
——上昇し、止まる。
嘴を空に向けて突き刺すように、上体を“起こす“。
空の中心へと駆ける——。
急上昇した体躯を捻るように動かし、羽を広げた。
その瞬間、風の丘全体に強烈な気流が巻き起こる。
「くっ……!」
オリカは咄嗟に身を低くし、突風に煽られぬよう踏ん張る。
草原の柔らかな大地に指を突き立てるようにして体勢を維持した。
ヴォルケリオンはある一定の高さまで高く舞い上がると、大きく弧を描きながら旋回を始めた。
——次の一撃は、より強烈なものになる。
ルシアンは息を整えながら、素早く短剣を構え直した。
「次は、本気で仕留めにくるぞ……!」
エリーゼも鋭く息を呑む。
「……あれは、距離を取っているんじゃないわね」
「嫌な予感がする……!」
魔法の構築を急ぎながら、——叫ぶ。
ヴォルケリオンは、あらゆる獲物を確実に仕留めるために、一撃必殺の「急襲」を得意とする魔獣だ。
高空からの狩りは、彼らの最大の武器。
「……まずいな」
ルシアンが目を細める。
ヴォルケリオンの高度がどんどん上がっていく。
通常の猛禽類とは異なり、彼らの狩りは直線的な急降下だけではない。
空間を自在に操る「旋回戦術」と、風圧を利用した「連続攻撃」を絡めた戦法——。
それが、空の覇者たるヴォルケリオンの本領なのだ。
そして——
ヴォルケリオンが突風とともに、急加速した。
「来る……!!」
ルシアンが叫んだ刹那、ヴォルケリオンの翼が一気に折りたたまれる。
その瞬間、鋭い爆音が響き渡った。
《急降下強襲》——!!
空気が裂ける音とともに、ヴォルケリオンが狙いを定めたのは—— オリカだった。
「っ……!」
ルシアンが素早く前に出るが、速度が違いすぎる。
ヴォルケリオンは、真下にいたオリカを一撃で仕留めるべく、圧倒的な速度で急降下する。
巨大な影が彼女を覆い、鋭い爪が空気を裂く。
「オリカッ!!」
「“衝撃拡散”!!」
オリカは即座に詠唱を終え、足元に空間魔法を展開する。
事前に敵の攻撃には備えていた。
どう攻撃してくるにせよ、上空からの一撃には違いない。
問題は角度と、速度。
ヴォルケリオンの攻撃範囲を拡散させる魔法。
そのための「準備」は、すでに頭の中で思い描いていた。
ゴォォォッ!!
風には、風を。
強烈な風圧が足元から浮かび上がり、オリカの体が宙に投げ出される。
自らの位置を別の場所へと移動させるための応用魔法。
ヴァルケリオンの攻撃を咄嗟に避けるには、ただ”反応する”だけでは手遅れになる可能性があった。
だからこそ、フィールドと魔法をうまく活用しつつ、瞬時に移動するための「機動力」に注力していた。
無重力状態になったかのように瞬時に空中へと飛翔するオリカ。
反面、ヴァルケリオンの嘴が地面へとぶつかる。
“直撃”は免れた。
——しかし、それはヴォルケリオンにとって織り込み済みだった。
「な……っ」
オリカが空中で体勢を立て直そうとした瞬間——
ヴォルケリオンはそのままの勢いで、さらに翼を強くはためかせる。
風の渦が発生し、オリカの体が“風圧”に押された。
「しまっ——」
身動きが取れない状態が一瞬訪れ、その隙に、ヴォルケリオンの爪がオリカを掴もうと襲いかかる。
「くそっ!!」
ルシアンが横から突っ込み、間一髪でオリカを弾き飛ばした。
ヴォルケリオンの爪がかすめ、ルシアンの外套が裂ける。
「……ッ、ぐ……」
ルシアンが地面に転がる。
オリカはその場に膝をつき、震える呼吸を整えながらルシアンを見た。
「ルシアン……!!」
「な……んとかなった……が……」
ルシアンは歯を食いしばる。
ヴォルケリオンは狙いを外したことを悟ると、一度地面を蹴って再び舞い上がる。
「……次の攻撃まで、猶予はないわね」
エリーゼが冷静に言い放つ。
ヴォルケリオンの狩りのスタイルを考えれば、次は連続攻撃を仕掛けてくるはず。
「……どうする?」
ルシアンが短剣を構えながら言う。
「戦うしかないわ。もう逃げ道はない……!」
オリカが決意の表情で前に出る。
——その時だった。
——シュッ!!
空を切り裂く音。
地上から、一本の矢が一直線にヴォルケリオンへと向かっていった。
その矢は、風を裂き、真っ直ぐに狙いを定め——
「……なっ……」
ルシアンが息を呑む。
ヴォルケリオンが、その矢を避けるために空中で急制動をかけた。
ギャアアアアッ!!
巨鳥の叫びが響く。
——誰かが、この戦いに介入してきた。
オリカたちの背後から、静かに、しかし確実な足音が近づいてくる。
「お前たち……何をしている?」
低く、威厳のある声が響く。
戦局が、変わる——。
緑黄色の長髪が、風に揺れる。
藍色の瞳は、星の瞬きを湛えながら、冷たく鋭い。
腰には星の民特有の長弓—— 「風纏う弓」 が掛けられ、その指先には、すでに次の矢が番えられていた。
遊牧民特有の軽装、そして、洗練された狩人の衣装。
まるで風のように、どこからともなく現れた彼女は、静かにオリカたちを見下ろしていた。
「貴様、誰だ……!」
ルシアンが即座に短剣を構える。
カイエは微かに首を傾げた。
「……戦場で名を問う余裕があるのか?」
彼女はそう言うと、ルシアンには目もくれないまま、次の動作へと体を動かしていた。
——ボッ
低く凛とした声色の弦を弾くように、強烈な一撃が放たれる——
風が弾けたかのような音と共に、ヴォルケリオンのいる場所へと矢が走り抜けた。
唸りを上げる風切り音。
凄まじい速度で向かってくる矢。
その”鋒”を、寸前のところで避ける。
ヴァルケリオンは驚いたような動作で、翼を素早く動かしていた。
咄嗟に傾く視線と、挙動。
わずかにたじろいだその敵の隙を見逃さず、カイエは冷静に矢を番える。
「お前たちが戦っている理由は知らないが——」
「この地で死なれるのは、私たちにとっても迷惑だ」
ヴォルケリオンは一度距離を取り、間合いを広げた。
次なる襲撃の機会を探るように、広く空中を旋回していた。
「……一緒に戦ってくれるの?」
オリカが息を整えながら問う。
カイエは短く笑った。
「違うな。……ただ通りすがっただけだ」
彼女の視線は冷静だった。
助けるつもりではない。
だが、オリカたちを見捨てるつもりもない。
「お前たちが立ち上がるなら、勝手にしろ。もし立ち上がれないなら——」
カイエは矢を構えたまま、無感情に言い放つ。
「この場で、私がケリをつけるだけだ」
オリカは、自分の手のひらを強く握った。
カイエの言葉が、戦場の緊張をさらに引き締める。
「——なら」
オリカの瞳が決意を帯びる。
”一緒に戦う“
そう思い立つように、カイエの前で立ち上がった。