表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
162/309

第128話




ベルナーク交易市場を出たオリカたちは、 大河のほとりを沿うように西へと進んでいた。


河川沿いには、長年の水の浸食によって形成されたなだらかな草原地帯が広がっている。


強い日差しが降り注ぎ、遠くでは、光を反射してゆらめく水面が見えた。


そして、彼らが目指すのは 「風の丘」 —— 西方の地平線にそびえる、雄大な丘陵地帯だった。




【大河の名】



オリカたちの目の前に広がる川の名は 、


《ザルビア大河》。


古くから東西の交易路として機能し、ベルナーク交易市場が発展する礎となったこの地域最大の水脈である。


河幅は広く、最も狭い地点でも500メートル、広い場所では 1キロ以上に達するという。


水面は一見穏やかに見えるが、中央部では流れが速く、長年の浸食によって形成された深い渓谷を抱いている。


この川は 「大地を二分する青の大蛇」 とも呼ばれ、その流域は農耕地や森林を潤し、多様な生態系を育んでいる。


しかし、一方で幾多の歴史的戦争の舞台となってきた。


ラント帝国とカルマーン皇国が覇権を争った戦乱の時代、この川を挟んで幾度となく戦いが繰り広げられたという。



「まるで、この川が文明の境界線みたいね」



エリーゼが川面を見つめながら呟く。


「実際、そうだろうな」


ルシアンが頷く。


「こっち側は乾燥した土地が続くけど、あっち側は緑が濃くなってる ……」


河の向こうには、 森林地帯が広がっているのが見えた。


緑が生い茂り、風が吹くたびに木々がさざめいている。


「川沿いを進めば、やがて風の丘にたどり着くはずよ」


オリカが地図を広げながら言った。


風の丘——そこはロストンの北西に広がる丘陵地帯であり、かつては遊牧民たちが移り住んだ場所でもあった。


「行くぞ、長旅になりそうだ」


ルシアンがそう言い、 一行は河川沿いを進み始めた。



道はやがて 緩やかな傾斜を持つ草原へと変わる。


広大な地平線が目の前に広がり、一面の草が風に揺れる様子はまるで金色の海のようだった。


吹き抜ける風は冷たく、大河からの湿気を含んでいる。


陽の光が草原を照らし、遠くの丘陵は霞んで幻想的な光景を生み出していた。


「この景色……すごいな」


ルシアンが思わず足を止める。


「まるで……空と大地が溶け合ってるみたい」


エリーゼも目を細める。


「来た時はそんなに感じなかったけど、西へ進むにつれて、土地が変わっていくのが分かるわね」


オリカは草を指でなぞりながら呟く。


この地帯は砂漠地帯と森林地帯の間に位置するため、微妙な気候の変化が見られるのだ。


少しずつ湿度が増し、空気が柔らかくなっていく。



陽が傾き始めると、ザルビア大河の水面が橙色に染まり、さざ波がきらきらと光を反射した。


風の丘を目指し、川沿いを歩くオリカたちは、ゆったりとした旅の時間を味わい始めていた。


草原を吹き抜ける風は心地よく、遠くには風にたなびく白い綿毛のような草花が広がっている。


時折、鳥の群れが上空を旋回し、川面に影を落とした。


「静かね……」


エリーゼがそう呟く。


ここまでの旅路は、ベルナーク交易市場の喧騒とはまるで別世界のようだった。


ルシアンが軽く腕を伸ばし、深く息を吸う。


「こうして歩いてると、何かを忘れそうになるな」


「何かって?」


「……色々さ」


ルシアンは言葉を濁しながら、大河の向こうに広がる森林を見つめた。


普段なら冗談を飛ばす彼が、こうして静かに風景を眺めるのは珍しい。


「旅って、きっとこういうものなのかも」


オリカは小さく微笑む。


彼女にとっても、こうしてゆっくりと風景を眺める時間は久しぶりだった。


ロストンで診療所を開いてからというもの、毎日が慌ただしく、ゆっくりと何かを感じる時間はなかった。


だが、ここには時間がゆっくりと流れている。


風の音、大河のせせらぎ、草の葉が触れ合う微かな音。


そうしたものが、心の奥に染み込んでいくようだった。


「川沿いの道は、もうしばらく続くみたいね」


エリーゼが地図を広げながら言う。


「風の丘にたどり着くまで、もう半日ってところか」


ルシアンが指をポキポキと鳴らしながら、ちらりと夕陽を見上げる。


「今日はどこかで野営するか?」


オリカは小さく頷いた。


「ええ。このまま日が暮れたら、移動は危険だもの。適当な場所を探しましょう」


一行は川沿いのなだらかな高台に目をつけ、そこで野営の準備を始めた。







朝靄が大河の水面を覆い、静寂の中で鳥のさえずりが響く。


焚き火の残り火がわずかに燻り、湿った草の香りが漂っていた。


オリカは寝袋から体を起こし、大きく伸びをする。


冷えた朝の空気が肌を刺すようだったが、それがむしろ心地よかった。


「おはよう」


エリーゼが隣で目をこすりながら起き上がる。


「よく眠れた?」


「ええ……意外と快適だったわ」


「……俺は体がバキバキだけどな」


ルシアンが苦笑しながら肩を回す。


彼は昨夜、地面に寝転がって「まあ大丈夫だろ」と寝袋を敷かずに寝てしまい、朝になって後悔していた。


「ほら、だからちゃんと準備しろって言ったのに」


オリカが呆れたように言う。


「まあまあ、それより朝食を用意しましょう」


エリーゼは小さく笑いながら、持ってきた干し肉とパンを取り出した。


ルシアンは渋々起き上がると、火をおこし直し、小鍋に水を入れて温め始める。


「さっさと食って出発しようぜ。風の丘まで、まだ距離があるんだろ?」


「ええ。でも焦らずに進みましょう」


エリーゼが穏やかに言う。


旅の目的はレッドヴァーミリオンの採取だが、無理をして消耗するのは得策ではない。


ゆっくりと景色を楽しみながら進むのも、旅の醍醐味だ。



朝の霞が晴れ始めると、ザルビア大河の輝きが増し、草原は金色に染まった。


足元には朝露が残り、踏みしめるたびにしっとりとした感触が伝わってくる。


「いい天気だな」


ルシアンが空を見上げる。


青く澄み渡った空には、いくつかの白い雲が流れている。


風は穏やかで、草の海をやさしく撫でていた。


「風が涼しくて気持ちいいわ」


エリーゼは髪を押さえながら微笑む。


オリカは少し先の丘の上に目を向けた。


「このまま川沿いを進めば、風の丘の入り口に着くはず」


彼女たちの足元には、長い時間をかけて風に削られた岩が点在し、ところどころに小さな泉が湧き出していた。


「この地形……昔はもっと湿地が多かったのかな?」


オリカが岩肌を触れながら言う。


「かもな。ザルビア大河が今の形になる前は、もっと川幅が広かったのかもしれねぇ」


ルシアンが推測する。


「そう考えると、今歩いているこの道も、ずっと昔は川の底だったのかもね」


エリーゼが感慨深げに言った。


風の丘はまだ遠いが、こうして歴史を感じながら歩くのも悪くない。



昼を過ぎると、地形が少しずつ変わり始めた。


草原に混じる低木が増え、風が強くなってきたのだ。


「この風……!」


エリーゼが驚いたように髪を押さえる。


「風の丘が近い証拠ね」


オリカは口元に微笑みを浮かべる。


風の丘は、その名の通り常に風が吹き抜ける場所だった。


西からの強風が山脈を越えて流れ込み、この一帯を特有の地形へと変えたのだ。


風が運ぶのは遠くの花の香り 。


どこか甘く、しかしスパイスのような刺激のある香りが、鼻腔をくすぐる。


「……レッドヴァーミリオンの香りだわ」


オリカが目を細める。


「つまり、本当にこの近くにあるってことか」


ルシアンが鋭い目で周囲を見回す。


旅路の果て、彼らはついに目的の地にたどり着こうとしていた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ