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第121話




オリカたちは、ダリウスから受け取った羊皮紙を頼りに、患者のもとへと向かっていた。


指定された場所は、市場の外れにある小さな診療所。


本来、ベルナーク交易市場のような大都市には、多くの治療院や修道院付属の医療施設が存在する。


だが、それらのほとんどは貴族派の影響を受け、薬剤師組合による“正規の薬”しか扱わない。


「……ここか」


エリーゼが静かに呟いた。


目の前にあるのは、こぢんまりとした建物。

入り口の上には簡素な木製の看板が掲げられ、そこには「レイモンド診療所」と書かれていた。


「小さな診療所ね」


「こういう場所だからこそ、偽薬の被害者が出やすいのかもしれない」


オリカは静かに扉を押した。


ギィ……


扉が軋む音とともに、中の光景が広がる。


質素な室内。

木製のベンチが並び、壁際には簡単な医療器具が置かれている。

だが、最大の違和感は――


患者の数だった。


「……思ったより、多いわね」


エリーゼが驚いたように呟く。


部屋の中には、十人近くの患者がベンチに座り、それぞれ苦しそうに身を屈めていた。


「おい……あんたたち、新しい患者か?」


低い声が響いた。


部屋の奥から現れたのは、五十代半ばほどの男だった。

無精髭を生やし、くたびれた白衣をまとっている。


彼こそ、レイモンド——この診療所を営む医者だった。


「違うわ。私たちは、ダリウスからの紹介で来たの」


オリカが羊皮紙を見せると、レイモンドは険しい表情を浮かべた。


「……あの野郎が?新しい“見物人”でもよこしたのか?」


「見物じゃないわ。私は医者よ」


「……ほう?」


レイモンドはオリカをじっと見つめる。


その視線は鋭く、まるで彼女の本質を見極めるようだった。


「本当に医者かどうか、試してみるか」


彼はそう言いながら、一人の患者の肩を叩いた。


「おい、こっちへ来な」


促されて前に出てきたのは、二十代後半の男だった。

肌は青白く、額には汗が滲んでいる。


「この男を診てみろ。……“例の薬”を飲んで、こうなった」


オリカは頷き、患者に向き合った。


「わかる? どんな症状が出ているのか」


「……急に熱が出て、関節が痛くなったんだ。最初はただ調子が悪いだけかと思ったんだ。…けど、だんだん息が苦しくなって……」


患者の声はかすれ、どこか弱々しかった。


オリカは脈を取り、瞳孔の反応を確認する。


(高熱……筋肉の異常な硬直……)


そして、彼女が一番気になったのは——


皮膚の異常だった。


患者の腕をめくると、赤黒い斑点が浮かんでいる。


「これは……血管の炎症?」


オリカは眉をひそめた。


血管炎症による皮膚の変色。

それに加え、強い倦怠感と呼吸困難——


(まさか、魔法薬が血栓を引き起こしている……?)


「……この薬、誰が売っているの?」


オリカが問いかけると、レイモンドは険しい表情を浮かべた。


「さあな。街のあちこちで売られている。貴族派の連中が流通を独占して以来、本物の魔法薬や薬草は高値になった。……だから、こういう薬が求められる」


オリカは沈痛な面持ちで、患者の状態を再確認した。


(この魔法薬は、本来の治療効果を持たない……)

(下手をすれば、“意図的に”作られた可能性もある)


「レイモンドさん、この魔法薬を分析させてもらえない?」


「……お前にできるのか?」


「やってみる価値はある」


オリカはそう言い切った。


レイモンドはしばらく彼女を見つめた後、ため息をついた。


「……好きにしろ。ただし、俺の患者を実験台にはさせんぞ」


「もちろんよ」


オリカは微笑んだ。


「私は、治すためにここへ来たの」


診療所の空気が、わずかに変わる。


レイモンドは再びため息をつきながら、棚から小さなガラス瓶を取り出した。


「これが、その魔法薬だ」


オリカは慎重に受け取り、中を覗き込んだ。


琥珀色の液体が、瓶の中でゆらりと揺れている。

魔法薬独特の微細な輝きが見えるが、その輝きは鈍く、不純物が混ざっているようだった。


「……なるほどね」


彼女は目を細める。


「エリーゼ、ルシアン。協力してくれる?」


「もちろんよ」


「仕方ねぇな……」


ルシアンが渋々頷く。


オリカは魔法薬の匂いを嗅ぎ、慎重に液体を指先にとった。


(妙な粘度……通常の魔法薬よりも少し重い。それに、わずかに薬草の香りがする……)


「これは……植物由来のものね。だとすると——」


彼女の脳裏に、ある可能性が浮かんだ。


「分析には少し時間がかかるわ。でも、わかれば“治療法”を探せる」


レイモンドは腕を組み、静かに言った。


「……ほぉ」


オリカは決意を込めて、薬を見つめる。



オリカたちは、受け取った魔法薬を慎重に扱いながら、宿へと戻った。


それを検証するには、一晩かけてじっくりと分析する必要がある。


「さて……まずは基本的な確認からだね」


魔法薬の瓶を机の上に置き、ランプの光にかざした。

琥珀色の液体が揺らめきながら、わずかに濁っているのが見える。


エリーゼが腕を組みながら、それを覗き込んだ。


「普通の魔法薬とは、やっぱり違うのかしら?」


「少なくとも、精製度は低いと思う」


オリカは瓶を静かに揺らしながら、液体の動きを観察する。



魔法薬の精製は、一般的に以下の三段階を経る。


1.素材の選定

 ・魔法薬は、主に 魔力を帯びた薬草 や 希少な鉱物 を基礎として作られる。

 ・例えば、「星花セレスティアル・ブロッサム」は鎮静作用を持ち、「ルーンベリー」は自然治癒力を高める効果がある。

 ・それらの素材を適切な比率で組み合わせることで、特定の効能を持つ魔法薬が作られる。


2.魔力の定着と精製

 ・選定された素材は、特定の 魔力触媒 を用いて“活性化”される。

 ・これには、「魔法陣の刻印」「魔素溶解液の添加」「特殊な蒸留過程」など、いくつかの手法がある。

 ・この過程で、不要な不純物を取り除き、薬効を最大限に引き出す。


3.封印と安定化

 ・魔法薬はそのままだと 魔力の揮発 が起こりやすく、適切な方法で“封印”する必要がある。

 ・例えば、「魔法触媒石の粉末」を加えることで安定化を図ったり、「封魔瓶」に保存することで長期的な劣化を防ぐ。

 ・これによって、魔法薬は本来の効能を維持し、適切な形で利用できるようになる。



「でも、これは……」


オリカは瓶の底に目を凝らした。


「不純物が多すぎる。適切な精製過程を経ていないか、あるいは意図的に別のものが混ぜられている」


「意図的に?」


ルシアンが眉をひそめる。


「魔法薬の効能は、魔力の流れに大きく依存するの。もし、魔力の流れを狂わせる成分を加えれば……効能が歪む可能性がある」


オリカは薬液を小皿に移し、ゆっくりと手をかざした。


「“魔力共鳴マナ・エコー”」


静かに魔力を流し込むと、液体の表面に微かな波紋が広がる——しかし、その波紋はどこか歪んでいた。


「……やっぱり」


エリーゼが神妙な顔で呟く。


「通常の魔法薬なら、魔力の波紋は均等に広がるはず。でも、これは……」


「何かが魔力の流れを阻害している。もしくは、魔法薬そのものの“構造”が不安定になっている」


「それってつまり……」


ルシアンが言いかけたところで、オリカは静かに頷いた。


「この魔法薬、正常に作られたものじゃない可能性が高いわ」


「偽物ってことか?」


「偽物というより、異質なものって言った方がいいかも。本来の魔法薬とは違う作り方をされているか、あるいは……」


オリカは言葉を選びながら、慎重に続けた。


「意図的に“魔力の乱れ”を引き起こす何かが、混ぜられている」


その可能性に、三人の間に緊張が走る。


「……原因を突き止めるには、もう少し時間が必要ね」


オリカは溜息をつき、瓶を丁寧に封じた。


「明日、レイモンドの診療所に戻って、患者の症状をもっと詳しく確認しましょう」


「……それがよさそうね」


エリーゼが静かに同意し、ルシアンも渋々ながら頷いた。


こうして、オリカたちは一晩をかけて魔法薬の分析を続け、翌日、再び診療所へと向かうことになった。



翌朝、オリカたちはレイモンドの診療所を再び訪れた。


扉を開けると、昨日と変わらず、患者たちの苦しげな声が漏れてくる。


「おい、もう戻ってきたのか」


奥からレイモンドが現れ、彼らを見て眉をひそめる。


「ええ、調べたいことがあるの」


オリカはまっすぐに言った。


「昨日の患者たちの症状を、もっと詳しく診せてもらえるかしら?」


レイモンドは短く息を吐き、腕を組んだ。


「……まぁ、構わないが、しかし…」


「疑うなら、診断の結果を見てからにして」


オリカの言葉に、レイモンドはわずかに口角を上げた。


「……いいだろう。ついてこい」




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