第118話
ベルナーク交易市場。
そこは、ありとあらゆる物資が集まる商人たちの楽園だった。
巨大な石畳の広場には、数百もの露店や商店が立ち並び、色とりどりの布が風にはためく。
果物や香辛料の香りが漂い、異国の言葉が飛び交う熱気に満ちた場所。
道の両脇では、鍛冶職人が剣を叩き、絨毯商が鮮やかな織物を誇らしげに掲げている。
「すごっ……!」
ルシアンが思わず足を止め、周囲を見渡す。
ロストンの市場とは違い、この場所には異国の文化が混ざり合っている。
並ぶ品々も、香辛料や織物、武具、薬草といった多種多様なものが揃い、露店の間には獣皮の衣装をまとった遊牧民や、東方の言葉を話す交易商たちが行き交っていた。
「さて……行きましょう」
エリーゼが静かに促す。
「市場は広いし、スリも多い。気をつけないと」
「……わかってる」
彼は軽く鼻を鳴らして前を向いたが、その目は好奇心と警戒が入り混じっていた。
一方で、オリカはすでに目的へと意識を向けていた。
(セラフィム・リーフ、エルダースパイス、そしてルーンベリー……)
この市場には、求める植物を扱う店がきっとある。そう信じて、一行は市場の奥へと足を踏み入れた。
ベルナーク交易市場の中は、喧騒と活気に満ちていた。
舗装された広場には、露店がひしめき合い、店主たちの威勢のいい掛け声が飛び交っている。
「セラフィム・リーフなら、薬草の露店が集まる区画があるはずだ」
エリーゼが周囲を見渡しながら言う。
彼女は事前に市場の情報を調べていたようで、迷いなく歩みを進める。
「へぇ、さすがエリーゼ。しっかり調べてたんだな」
ルシアンが感心したように言うと、エリーゼは肩をすくめた。
「当然よ。目的の物がなければ、ここまで来た意味がないもの」
「それはそうだけどよ……それにしたって、すごい活気だな」
ルシアンの視線の先では、異国の商人たちが並ぶ品々を誇示し、客を引き込もうとしていた。
香辛料の山が並ぶ店では、サフランやクミンの鮮やかな色が目を引き、隣の織物商は金糸で刺繍された布を風にはためかせている。
その喧騒の中で、オリカは慎重に目を走らせた。
(まずはセラフィム・リーフとエルダースパイス……この二つは、比較的市場に出回っているはず)
彼女は手早く、薬草を扱う商人たちを見つけ、売られている植物を確認し始めた。
「そこのお嬢さん、いい薬草があるよ!」
陽気な声が響いた。
振り向くと、立派な白髭を蓄えた老人が、腰をかがめながら手招きしていた。
彼の店先には、様々な乾燥薬草が丁寧に束ねられ、木箱に収められている。
「どれも上等な品さ。東の山地から直接取り寄せたんだ」
オリカは目を細め、薬草の束を一つ手に取る。
「……セラフィム・リーフね。確かに、いい質だわ」
葉の裏側に薄く刻まれた紋様が、特有の鎮静効果を示している。
さらに、エルダースパイスの束も確認すると、その香りと色合いから、適切な乾燥処理が施されていることがわかった。
「ふむ、お嬢さん、なかなか目が利くな」
老人は満足げに頷き、値段を提示する。
オリカは一瞬考えた後、エリーゼと目配せし、交渉を始めた。
◇
「セラフィム・リーフとエルダースパイスは手に入ったけど……」
オリカは薬草の袋を手にしながら、唇を噛んだ。
「ルーンベリーだけは、どこを探しても見つからないわね」
市場を歩き回っても、どの商人の店にもルーンベリーの姿はなかった。
それどころか、名前を出すだけで渋い顔をされることすらあった。
「なんか……妙に反応が悪いな」
ルシアンが低く呟く。
「前に見かけた薬屋なら扱ってるかもしれない」
そうエリーゼが言って、彼らは市場の奥へと進んだ。
石畳の通りを抜け、彼らは小さな薬屋の前で足を止めた。
店先にはさまざまな薬草が並び、乾燥させたハーブや瓶詰めの薬剤が陳列されている。
オリカは店の奥で帳簿をめくる老人に声をかけた。
「すみません、ルーンベリーを探しているのですが、まだ取り扱っていますか?」
老人は顔を上げ、しばらくオリカを見つめていたが、やがて渋い顔をして首を横に振った。
「悪いね、うちじゃもう扱ってないんだよ」
「え……?」
「少し前まで、うちにも入荷はあったんだがな。最近になって急に仕入れが途絶えたんだ」
「どうして?」
エリーゼが身を乗り出すと、老人は周囲を気にしながら小声で言った。
「詳しくは知らないが……どうやら、“あの連中”が市場の流通を押さえちまったらしい」
「あの連中?」
老人はため息をつき、そっと周囲を確認する。
「貴族派さ。奴らの管轄にある“薬剤師組合”。ルーンベリーを扱う商人は、今じゃ皆そっちに組み込まれてる」
オリカたちは顔を見合わせた。
「……つまり、市場では手に入らないってこと?」
「そういうこったな。今あるのは、貴族たちが指定した“公式の供給ルート”だけだ」
「でも、それじゃあ一般の人たちは……」
オリカは思わず拳を握った。
「ルーンベリーを必要としてるのは、貴族だけじゃないはずなのに……」
老人は苦々しげに肩をすくめた。
「そうさ。でも、連中に逆らったら商売ができなくなる。うちみたいな小さな店じゃ、どうしようもないのさ」
ルシアンが苛立たしげに舌打ちをした。
「じゃあ、どうすれば手に入るんだ?」
「……俺にもわからん。ただ、最近になってこの市場で“裏の流通”があるって話を聞いたことがある」
「裏の流通?」
「正式なルートには乗らないが、どこかから流れてくるルーンベリーがあるらしい。だが、売っている店は見つからない」
「どういうこと?」
「誰かが買い占めてるんじゃないかって噂さ。あるいは、高値で取引するために市場に出さずにいるのか……とにかく、普通の方法じゃ手に入らねえよ」
オリカは息をついた。
(やっぱり、貴族派の影響がここまで来てる……)
ルーンベリーは治療に必要な重要な薬草だ。それを独占し、高値で取引することで、彼らは利益を得ているのだろう。
「……仕方ない。別の手を探すしかないわね」
そう言って、オリカたちは薬屋を後にした。
「どうする?」
ルシアンが歩きながら尋ねた。
「普通の店ではもう手に入らない。だったら、別のルートを探すしかない」
オリカは考え込んだ。
「アレクシス家の古い知人が市場にいるはずよ。彼なら、商人たちの動向に詳しいはず」
「アレクシス家の?」
エリーゼが尋ねると、オリカは頷いた。
「商人ギルドの一部には、貴族派と関係のない独立系の商人もいるわ。彼らの中には、貴族に押さえつけられるのを嫌う人もいる」
「……なるほどな」
ルシアンが納得したように頷く。
「じゃあ、その知人を探しに行くか」
「ええ。急ぎましょう」
オリカたちは市場を抜け、新たな手がかりを求めて歩き出した。




