第13話
「さあ、やるよ!」
ギルドから屋敷へ戻ると、私はすぐにルイスと使用人の看病に取りかかった。
幸い、ヴィクトールが 最低限の医療道具 を用意してくれていた。
「これは……」
私は、机の上に並べられた道具を確認した。
⚪︎ 鋭利なメス(魔獣の牙を研いで作られたもの)
⚪︎ ピンセット(細かい作業用)
⚪︎ 包帯と清潔な布
⚪︎ 消毒用アルコール(ただし濃度は不明)
⚪︎ 薬草(抗炎症作用があるとされるもの)
⚪︎ 木製の聴診器(原始的なもの)
「ふむ……最低限の処置はできるけど、ちょっと心許ないわね」
私が元いた世界の医療機器とは比べ物にならないけれど、それでも何もないよりはずっとマシ だ。
「まずは、状態を確認しなきゃね」
■ ルイスの状態
・発熱:39.8℃(一度熱は下がったけど、また熱が上がっている)
・皮膚の黒色斑点(特に関節周辺に多い)
・呼吸数:32回/分(頻呼吸)
・脈拍:120回/分(頻脈)
・軽度の意識混濁(時折うわごとを言う)
「相変わらず、敗血症の兆候がある……」
敗血症とは、感染症が全身に回って炎症反応が暴走する状態 のこと。
放っておけば、多臓器不全を引き起こし、命を落とす危険がある。
「……ルイス君、聞こえる?」
「……う、ん……お姉ちゃん……?」
「よかった、まだ意識はあるね」
意識障害が進行すると、昏睡状態に陥る可能性がある。
そうなれば、治癒魔法の効果も追いつかなくなる。
「よし、まずは水分補給から始める!」
水分摂取ができなければ、脱水によるショック状態 に移行する危険性がある。
私は、用意されていたハーブティー(軽い電解質補給用) を慎重に口元へ運んだ。
「少しずつ飲んで。焦らなくていいからね」
ルイスは、力なく頷きながらゆっくりと喉を鳴らした。
ひとまず水分補給は成功。
「次は、熱を下げる処置ね」
私は冷却用の布を額と脇の下、鼠径部(太ももの付け根)に当てた。
これらの部位には太い血管が通っているため、効果的に体温を下げることができる。
■ 使用人の状態
・発熱:38.5℃(ルイスより軽度)
・関節痛(膝と肘の痛みを訴える)
・皮膚の黒色斑点(ルイスよりも小さく、局所的)
・倦怠感(立ち上がるのも辛い状態)
「こっちは初期症状か……」
ルイスよりも症状は軽いが、進行する可能性が高い。
「エマさん、食欲はありますか?」
「……少しだけなら……」
「よかった。それなら栄養補給もしっかりやりましょう」
黒死病は免疫力が低下すると急激に進行する可能性がある。
とにかく、エネルギーを確保しなければならない。
私は、屋敷の厨房に頼んで消化の良いスープを作ってもらった。
「無理のない範囲で食べてくださいね」
エマは弱々しく微笑みながら、スプーンを口へ運んだ。
「ふぅ……ひとまず、今日の処置はこんなところかな」
看病を終えた私は、医療道具を片付けながら、改めて感じた。
「……やっぱり、物資が足りないなぁ…」
この世界には、点滴や抗生物質なんてものはない。
でも、それに近い効果を持つものなら、何かしらあるはずだ。
私はヴィクトールに相談することにした。
「そうか……確かに、それでは満足な治療はできんだろうな」
「ええ。そこで、街の市場で必要なものを買いたいんです」
「なるほど……ならば、私の部下を案内役につけよう」
革製の資材用バックを貸してもらった後、ロストンの市場へ“医療道具の買い出し” に向かうことになった。
ロストンの市場は活気に満ちていた。
屋台が立ち並び、商人たちの呼び声が飛び交っている。
■ 市場で探す医療品リスト
消毒薬(アルコール濃度が高いもの)
滅菌布(包帯の代わり)
乾燥ハーブ(抗炎症作用・免疫強化)
銀製のメス(切れ味が良く、耐久性のあるもの)
ガラス瓶と薬研(粉薬の調合用)
ヴィクトールの部下である案内役の青年、テオと共に、ロストンの市場へと足を踏み入れた。
市場はいつも以上に活気に満ちていた。
新鮮な果物を売る商人、布を広げる仕立て屋、スパイスを計量する異国の商人——
まさに、交易都市ロストンならではの賑わいだ。
「よし、まずは消毒薬からね」
◇ 消毒薬(アルコール濃度が高いもの)
私は市場の外れにある 薬草商を訪れた。
店先には さまざまな乾燥ハーブや薬草の瓶が並んでいる。
「いらっしゃいませ、お嬢さん。今日は何をお求めですか?」
店主は 白髪混じりの初老の女性 だった。
彼女は店の奥から、大きな陶器の瓶を取り出してみせる。
「この“蒸留酒”なら、強い消毒作用がありますよ」
「どのくらいの濃度ですか?」
「これは蒸留を4回繰り返したものなので、かなり強いですよ」
私は指先に一滴落とし、軽く匂いを嗅いでみた。
「……これは、エタノール ね。だけど……」
私は慎重に考える。
医療用の消毒液として使うには、70%前後が最適だが、このアルコールは蒸留を繰り返しており、ほぼ純エタノールに近い。
「ちょっと濃度が高すぎるかな……」
高濃度すぎると逆に皮膚を傷つける恐れがある。
そこで、私は店主に尋ねた。
「これを、少し薄められるものはありますか?」
「ええ、蒸留水と混ぜると、ちょうどいい濃度になるはずですよ」
「それなら、これと蒸留水を一緒にください」
私は アルコールの瓶と蒸留水を購入し、適切な濃度の消毒液を自分で調整することにした。
「いい買い物をしましたね、お嬢さん」
「ありがとう、助かりました」
◇ 滅菌布(包帯の代わり)
次に向かったのは、織物を扱う商店だった。ここでは布地の種類が豊富に揃っている。
「包帯代わりの布を探してるんだけど……」
「お嬢さん、それならこの“亜麻布”がいいですよ」
店主が広げてみせたのは薄くて丈夫な亜麻布だった。
亜麻布は吸湿性があり、傷口の保護には最適だ。
「清潔なものはありますか?」
「ええ、煮沸消毒したもの を用意しています」
店主は布の束を見せる。
たしかに、綺麗に折りたたまれ、独特の清潔な香りがする。
「これなら使えそうね。必要な分だけ切り取って使うわ」
私は数束の亜麻布を購入した。
「ついでに裁縫針と糸もください」
「ほう、お嬢さんは裁縫もするのかい?」
「ええ、手術の縫合用にね」
店主は目を丸くしたが、私は真剣な表情で布を手に取った。
この世界ではまだまだ外科手術が一般的ではない。
でも、私はできる限りの医療を提供するつもりだった。
◇ 乾燥ハーブ(抗炎症作用・免疫強化)
次に向かったのは 薬草を扱う店 だった。
「お嬢さん、今日は何をお探しですか?」
「炎症を抑える薬草と、免疫を強化するもの がほしいの」
「それなら……この三種の組み合わせ がいいでしょう」
⚪︎ マリーゴールド(抗炎症作用)
⚪︎ エキナセア(免疫強化)
⚪︎ カモミール(鎮静・解熱作用)
「なるほど……抗生物質の代わりになりそうね」
この世界に抗生物質は存在しない。
でも、薬草をうまく組み合わせれば、感染症の進行を遅らせることができる。
「よし、これを全部ください」
「まいどあり!」
◇ 銀製のメス(耐久性のあるもの)
最後に訪れたのは、鍛冶屋の店 だった。
「銀製の刃物を探してるんだけど……」
「お嬢さん、銀は高いぞ?」
「それでもいいの。細かい作業ができる、切れ味のいいものを探してるの」
店主は、怪訝そうな顔をしながらも、いくつかの小型ナイフを見せてくれた。
「これが一番いい銀のメスだ。
刃は魔獣の牙を削り、銀で強化したもの だから、鋭いぞ」
「……素晴らしいわ」
私はナイフの刃を指で軽く撫でた。
驚くほど滑らかで、軽く押すだけで切れそうな感触だった。
「これにする!!」
こうして、私はこの世界での“手術道具”を手に入れた。