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第116話




フィオナは倉庫の床を指でなぞった。


(……誰かがいた。間違いない)


かすかに乱れた埃、微かに残る体温の痕跡。ついさっきまで、この場に何者かがいたのだ。


「どうする?」


ロッティが小声で尋ねる。


「追う?」


「いや、今はそれよりもここに何があるのかを確かめるのが先ね」


フィオナは倉庫の中を見渡した。

棚には薬草や薬瓶が整然と並び、一見すると普通の修道院の医療物資庫にしか見えない。


だが——


(……この並び、違和感がある)


彼女は、ある種の“見せかけ”を感じ取った。


「ロッティ、薬棚を詳しく見てくれる? 何か不自然な点がないか探って」


「任せて」


ロッティは棚の中の瓶を手に取り、ラベルの記載や封の状態を細かく確認していく。


一方、フィオナは部屋の隅に目を向けた。

倉庫の奥には、いくつかの木箱が積み重ねられている。


(目立たない場所に置かれてるけど……何かあるかも)


彼女は慎重に近づき、木箱の蓋をこじ開けた。


そして——その中身を見た瞬間、目を細めた。


「……これは、ちょっとした掘り出し物だな」


「何か見つけたのか?」


エンツォが覗き込む。


フィオナは木箱の中から、束ねられた羊皮紙を取り出した。

それは物流記録——どの物資がどこから運ばれ、どこへ送られたのかを示す書類だった。


「見てよ。この記録……おかしくない?」


彼女はエンツォに羊皮紙を渡す。


「……ん?」


エンツォは目を細めながらページをめくる。


「たしかに奇妙だな。同じ品目が、同じ日付で、二重に計上されてる……?」


「そういうこと」


フィオナは腕を組む。


「例えば、ここの記録では、“医療物資”としてある薬品が修道院に運ばれたことになってる。でも——」


彼女は、別の記録を指差した。


「ここでは、“軍需品”として、全く同じ品目が別の倉庫へ送られてる」


「つまり……」


「物資の一部が、“施し”という名目でここに運び込まれた後、こっそり軍需品として別ルートに流されてるってこと」


ロッティが驚いた表情で息を呑む。


「なるほど……修道院に送られた物資が、そのまま軍の倉庫に直送されるなら監査に引っかかる。でも、一度“慈善活動”として処理すれば、軍とは関係ない物資に見える……」


「そ」


フィオナは満足げに微笑んだ。


「修道院が“合法的に”軍需品を受け取るための中継地点になってるわけだな」



「それと、もうひとつ気になる点がある」


エンツォが羊皮紙の別の記録を指した。


「この日付……施しの日の前日に、特定の商人たちが修道院を訪れてるな」


フィオナは興味深げに覗き込む。


「誰?」


「記録には雑貨商や食料品業者の名前が並んでる。でも……」


エンツォは指を滑らせながら言った。


「この商人たち、市場の取引履歴にはほとんど記録がない」


ロッティが目を見開いた。


「ってことは、こいつら……売人?」


「その可能性が高いね」


フィオナは指で帳簿を弾いた。


「施しの日に配られる“施し”の中には、魔導薬を仕入れたい連中が紛れ込んでいるってことだ」


ロッティが舌打ちした。


「うわ……めちゃくちゃ綺麗にカモフラージュされてるじゃん」


「そうだね。貧民たちの施療に紛れ込めば、大量の物資が動いても誰も不審に思わない」


「つまり、修道院は魔導薬の流通拠点になってるってこと?」


「その通り」


フィオナはゆっくりと頷いた。


「表向きは貧しい人々の救済、でも実際には“特定の売人”が潜り込んで、魔導薬を受け取って市場に流している」


エンツォが低く呟く。


「これで資金源の謎が解けたな……」


フィオナは目を細めた。


「つまり、ここを潰せば、貴族派の資金ルートに大打撃を与えられる」



「さて……どうする?」


ロッティが尋ねる。


「証拠は揃ったけど、これをそのまま持ち出すのは危険じゃない?」


フィオナは微笑みながら、羊皮紙を束ねた。


「もちろん、そのままは持ち出さないよ」


「じゃあ?」


「書き写すんだよ」


ロッティは納得したように頷いた。


「なるほどね。原本を盗まれたらさすがに修道院も警戒するけど、写しならバレない」


エンツォがすでに羊皮紙を複製し始めていた。


「ただし、急ぐぞ。長居は無用だ」


「ああ、手早くやる」


フィオナは微笑みながら、ペンを走らせるエンツォを見守る。


(……ここまで来たら、もう一押しだな)


修道院の闇を暴く準備は、着々と進んでいた。





——蒼風亭の作戦室



フィオナは椅子の背もたれに体重を預けながら、机の上に広げられた写しの帳簿を眺めていた。


「さて、と」


ロッティが腕を組みながら呟く。


「確かに修道院が魔導薬の流通拠点になってる証拠は掴んだけど、だからって直接“貴族派を追い詰める”のは得策じゃないんでしょ?」


「もちろん」


フィオナは微笑む。


「確かに、これを公にすれば貴族派には大きな痛手になる。でも、そもそも奴らは表舞台にはいない。修道院や商人たちを潰したところで、奴らは別の手を打ってくるだけ。いくらでも代わりのルートを作る」


エンツォが帳簿をめくりながら低く呟く。


「なら、どうする?」


「まずは、この情報の価値を最大限に高める」


フィオナは指を一本立てる。


「情報っていうのは、それを“どう使うか”で価値が変わる。だから、ここで“どう使えば最も有効か”を考えなきゃならない」


ロッティが顎に手を当てる。


「例えば?」


「例えば——」


フィオナは指で帳簿の一項目を叩いた。


「この取引記録を、王都の行政庁に流すのはどう?」


エンツォが眉を上げる。


「行政庁か……軍需品の監査をしてる連中だな」


「そう。でも、彼らに情報を売るわけじゃない」


「じゃあ?」


フィオナは微笑んだ。


「“密かに流す”んだ」


「……なるほど」


ロッティが目を丸くする。


「軍が直接動かなくても、“監査機関”に情報が入れば、修道院への監視は強化される。その結果、貴族派の物流ルートに自然と圧力がかかるってわけね」


「ああ。私たちが手を下すまでもなく、じわじわと彼らの流通網が締め上げられていくだろうね」


エンツォが納得したように頷く。


「いい手だな。俺たちが関与していると悟られることもない」


フィオナは次に、別の書類を手に取る。


「それと、もうひとつ。“修道院への寄付”の動きを操作できるかもしれない」


ロッティが興味深げに身を乗り出す。


「寄付?」


「ああ。貴族派の資金源の一部は、“修道院の寄付”という形で動いている。でも、修道院の財政に干渉できるのは何も貴族派だけじゃない」


エンツォが思案するように呟く。


「……つまり、王政派や他の勢力を修道院に寄付させれば、貴族派の影響力を薄めることができる?」


「その通り」


フィオナは満足げに頷いた。


「修道院の運営資金は、結局のところ寄付で成り立っている。その寄付の流れに別の勢力を割り込ませることで、修道院自体のコントロールを難しくするんだ」


ロッティが感心したように頷く。


「それなら、貴族派は修道院を“独占的な資金洗浄の場”として使いにくくなるわね」


「そういうこと」


フィオナは帳簿を指で弾いた。


「彼らに直接手を出すのではなく、“外堀”を埋めていくことで、少しずつ貴族派の影響力を削いでいく」


エンツォが静かに息を吐く。


「これなら、無理に争わずに済むし、向こうも迂闊に反撃できない」


フィオナは微笑む。


「情報は“武器”じゃない。“立場を動かすための道具”なんだ」



「じゃあ、具体的にどう動く?」


ロッティが尋ねると、フィオナは指を一本立てた。


「まず、情報を整理して、それぞれの“適切な相手”に流す」


「行政庁に流す情報と、修道院への寄付に関わる情報を分けるってこと?」


「ああ。そして、そのどちらにも私たちの名前が出ないように慎重に動く」


エンツォが地図を広げる。


「じゃあ、俺は行政庁に情報を流す手筈を整える。直接ではなく、“第三者”を経由してな」


「助かる」


フィオナは微笑んだ。


「ロッティは市場の商人たちの動きを探って。“修道院への寄付”に関心を持ちそうな連中を探してくれない?」


「了解。王政派の商人とか、宗教財務庁に顔が利く連中を探せばいいんでしょ?」


「そう。それと、私たちが裏で動いていることがバレないようにな」


ロッティがウインクする。


「任せといて!」


エンツォが腕を組みながら言った。


「こうしてみると、派手な動きは何一つしないのに、向こうの流れをじわじわと変えていくわけか……」


フィオナは頷いた。


「戦いは、必ずしも剣や魔法で行うものじゃない。この世界を動かしているのは“情報”だ」


ロッティが笑った。


「まったく、相変わらず悪い顔してるねぇ」


フィオナは肩をすくめる。


「情報屋は“駆け引き”を楽しむ仕事だからね」


彼女は机の上の帳簿を軽く叩いた。


「さて——そろそろ次の手を打ちにいこうか」



こうして、フィオナたちは貴族派の懐に入り込むための第一歩を踏み出した。


しかし、これはほんの始まりに過ぎない。


彼らの策がどのように影響を及ぼしていくのか?


それは、まだ、これからの話——





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