第115話
ベルナーク交易市場から少し離れた丘の上に建つ聖エリアス修道院。
その日、修道院の庭には多くの市民が列をなし、施療会の開始を待っていた。
「……すごい人数だな」
フィオナは群衆を眺めながら、軽くフードを引き下げる。
「貧民街の連中だけじゃない。普通の労働者も混じってるな」
ダリウスが腕を組みながら言った。
「施療会の評判が広がってる証拠ね」
ロッティが感心したように呟く。
やがて、修道院の門が開かれ、シスターたちが列を整理し始める。
負傷者や病人が優先的に案内され、健康な者たちは順番待ちのため修道院の庭で待機する。
「さて……私たちも入るとしましょうか」
フィオナは口元を吊り上げると、ロッティとエンツォとともに施療会の列に紛れ込んだ。
施療会の会場となる修道院の大広間には、複数の医者や薬師たちが並び、次々と患者の診察を行っていた。
清潔な布で仕切られた診療スペース、壁際に並ぶ薬品棚、行き交うシスターたち。
「ここが“表”の顔ってわけか……」
フィオナは視線を巡らせながら、小さく呟く。
確かに修道院の施療会は本物だ。貧しい人々が薬を求め、医者たちが真剣に治療にあたっている。
だが——
「……おかしいわね」
ロッティが、フィオナの横で小声を漏らした。
「どうした?」
「この施療会、医薬品の消費量が妙に少ない気がする…」
ロッティは薬品棚に並ぶ瓶を観察しながら、微かに眉をひそめる。
「ほら、普通なら傷薬とか抗炎症剤がもっと減っててもいいはずなのに、妙に整然としてない?」
「……なるほどね」
フィオナは薬棚をちらりと見た後、修道院の奥へと目を向けた。
(ここで本当に“施療”が行われてるなら、もっと物資の消費が激しいはず。でも、ここにあるのはあくまで“見せかけ”……?)
本当に大量の医薬品が動いているのは、施療会の裏側——修道院の奥のどこか。
◇
その頃、修道院の奥深く——。
フィオナたちと時を同じくして、この聖エリナス修道院に“潜入”している人物がいた。
“オリカたち”だ。
聖エリナス修道院の聖女になりすまし、オリカ、エリーゼ、ルシアンの3人は人気のない廊下を慎重に進んでいた。
「……中々見つからないな。こっちの部屋はまだ探してないはずだ」
ルシアンが低く呟きながら、修道院の内部図を思い浮かべる。
この修道院には、市場では決して手に入らない薬草“ルーンベリー”が保管されていると聞いた。
市場の商人からの情報では、この修道院に“定期的に運ばれてくる薬草”があるが、それは一般流通には一切回されていないという。
「本当にこんなところにルーンベリーがあるの?」
エリーゼが周囲を警戒しながら尋ねる。
「確証はない。でも、市場の商人たちの言葉を信じるしか……」
オリカは小声で答えた。
「なにせ“この修道院は、市場には流通しない薬草を“多く保管している”らしいからね」
修道院の倉庫の奥、長い通路を渡った先にある、木でできた扉の前にたどり着いた。
「ここはまだ見てないな……」
ルシアンがそっと扉に耳を当てる。
中に人の気配はない。
「……よし、開けるぞ」
ルシアンが手慣れた手つきで鍵を探り、静かに扉を開いた。
扉の奥には、巨大な倉庫の中にあった他の部屋と同様、さまざまな薬草や薬瓶が整然と並べられていた。
乾燥させた薬草、調合済みの薬品、そして——
「……あった」
オリカが棚の一角に目を止めた。
そこには、青白い光を帯びた小さな実——ルーンベリーが並んでいた。
「やっぱりここに……!」
だが、その瞬間——
「待て、何かおかしい」
ルシアンが鋭く警戒の声を上げた。
「この配置……妙に整いすぎてる。まるで“見せかけ”みたいだ」
オリカもルシアンの言葉に気づき、再び棚を見渡す。
「……ルーンベリーだけじゃない。他の薬草も、不自然に新品ばかり……?」
「誰かが“この状態を維持している”ってことか?」
エリーゼが囁いた、その時——
——ギィ……!
突然、倉庫の中の廊下で床を踏む音が響いた。
「誰か来る!」
ルシアンが低く叫ぶ。
オリカはすぐに周囲を見渡し、棚の影へと身を隠した。
同じ頃——修道院の裏手では、フィオナが倉庫の奥深くへと続く廊下に足を踏み入れていた。
「……こっちは貯蔵庫か?」
「たぶんね。でも、部屋の扉がいくつか開いてる……?」
ロッティが不思議そうに呟いた。
フィオナは扉に手をかけ、慎重に中を覗き込む——。
——だが、そこには誰の姿もなかった。
「……?」
フィオナは首を傾げる。
(おかしい。今、確かに誰かがいた気配が……)
倉庫の床には、ごくわずかな埃の乱れ。
そして、棚の影には、かすかな熱気の残滓——誰かが直前までそこにいた証拠。
「……誰か、潜り込んでるわね」
フィオナの目が鋭く光った。
フィオナたちが“倉庫の異変”を察知したちょうどその頃——
オリカたちは別の通路から、修道院の裏門へと向かっていた。
「危なかった……」
ルシアンが息を吐く。
「誰かがこっちに向かってくる気配がした。…危なかったな」
オリカはルーンベリーの入った袋をしっかりと抱えながら、小さく頷く。
(ここには、私たち以外にも何かを探る者がいる……)
だが、それが誰なのかは、まだ分からない。
——修道院の闇の中で、二組の影が交差した。
しかし、その正体を知るには、まだ時間が必要だった。