第113話
【蒼風亭—情報屋の本拠地】
ベルナーク交易市場の外れ、狭い路地をいくつも抜けた先にある一軒の建物。
それが “蒼風亭” ——この街に根付く情報屋たちの本拠地だった。
表向きは小さな雑貨屋で、昼間は旅人向けの地図や香辛料、異国の雑貨などを扱う個人経営の商店。
しかし、裏ではこの街の 「生きた情報」 を売買する者たちが集い、各地から持ち寄った情報を整理し、取引する拠点でもあった。
その一室で、フィオナはランプの明かりに照らされながら、机に広げた帳簿とにらめっこしていた。
「……なるほどねぇ」
「何かわかったのか?」
向かいに座るエンツォ が問いかけた。
彼は蒼風亭の“分析屋”で、情報の整理と数値の解析を得意としている。
「取引先のリスト……こいつが妙に多いんだよな」
リューエン商会は、一見するとごく普通の雑貨商に見える。
だが、帳簿の数字を細かく分析すると、明らかに 「異常な点」 が浮かび上がってきた。
「……“支出”が異常に多い」
普通の商会なら、収益と支出のバランスがある程度均衡する。
しかし、リューエン商会の帳簿には、異様なまでの 「支出」 が計上されていた。
「仕入れ先の記録を見ても……あからさまに“実態のない”会社が多い」
彼女は資料の中から、それらの取引先企業をピックアップした。
《リスト》
・ユグド商事(ベルナーク市場の南地区に登記。実態不明)
・ノーザン・トレーディング(一応商会として存在するが、交易実績なし)
・マルス商会(過去に違法取引歴あり。現在は表向き閉鎖)
フィオナは小さく鼻を鳴らす。
「……なるほどね。リューエン商会は、これらの“ダミー会社”を経由して、金の流れを隠してるってわけか」
ダミー会社 ——取引実態のない架空の企業を立て、金を“洗浄”するための隠れ蓑。
そして、帳簿をさらにめくると、もう一つ気になる記述があった。
『第十三帳簿:貿易関連』
「貿易……?」
フィオナはページをめくり、眉をひそめる。
「……これ、どう考えても“金の動き”がおかしい」
──どうやら、リューエン商会は 違法なルートで得た金を、複数のダミー会社に分散し、“貿易取引”という形に偽装していたのだ。
そして、その詳細を記した帳簿の記録には、 「軍需指定品」 という文言が並んでいた。
「つまり、リューエン商会は “軍需指定” を利用して、合法的に魔導薬を流通させてるわけか……」
エンツォが鋭い目を光らせる。
「だとしたら、これは“手が出せない”案件だな」
フィオナは溜息をつく。
「連中、うまいこと根回ししてんなぁ。これじゃ帳簿を突きつけても、どうせ“問題なし”で片付けられる」
「……だな。軍需登録の時点で、もう違法の証拠にはならない」
フィオナは頭をかく。
「……さて、どうしたもんかね」
エンツォが帳簿を睨みながら呟いた。
「ただ……軍需品の流通には絶対に“政府の管理”が必要になる。
つまり、軍の監査を通らずに“別のルート”へ流れていたら、それは違法だ」
フィオナは目を細める。
「……なるほど。“軍需品の横流し” か」
彼女は改めて、帳簿の流れを指でなぞる。
「軍需品として合法的に扱われるなら、それがどこに配送されているかを確認すればいい」
「つまり……」
「軍部に納品されているならセーフ。だけど、もし “戦場ではない場所” に流れてるなら……」
フィオナはニヤリと笑う。
「それは 軍需物資の横流し ってことになる」
エンツォが納得したように頷く。
「確かに……軍需登録された品でも、戦場以外に流れていたら問題になる」
「うん。それなら、軍需リストを“隠れ蓑”にしてる証拠を掴めば、貴族派も一発アウトだね」
フィオナは立ち上がり、地図を指さした。
「問題は、“どこに流れているか” だ」
エンツォは地図を睨む。
「このルートを見る限り、資金の一部が “医療施設” に流れてるな……」
「……医療施設?」
フィオナは目を細める。
「つまり、“戦場の治療施設”じゃなくて、“都市部の医療機関”に流れてるってこと?」
「そうなるな」
「……ってことは、軍需品を装って、実は貴族派の私設医療機関に流れてる可能性が高い」
フィオナは地図を指で叩く。
「これは……面白いネタになりそうだねぇ」
【蒼風亭・情報分析室】
フィオナは地図を手にし、店の奥にある 情報分析室 へ向かった。
この部屋には、蒼風亭の情報屋たちが集まり、持ち寄った 「生の情報」 を解析し、価値のあるデータとしてまとめる作業を行っている。
部屋に入ると、すでに数人のメンバーがテーブルを囲み、それぞれの 「専門分野」 を活かしながら、最新の情報を整理していた。
【蒼風亭のメンバー】
● グレイス・ベルシュタイン(女性・27歳)
- 蒼風亭の管理人。元々は王国の文官だったが、汚職に嫌気が差し情報屋へ。
- 文献や公的な記録を分析する能力に長け、行政・経済情報の精査を担当。
● ダリウス・ヴェルナー(男性・35歳)
- 元傭兵 の情報屋。
- 軍事・戦略情報に精通し、各地の戦況や武器商人の動向を監視。
● ロッティ・メイスナー(女性・22歳)
- 都市の裏社会と繋がりがある密偵。
- 闇市場や犯罪組織の情報を収集する役割を担う。
グレイスがフィオナに気づき、片眉を上げた。
「おや、夜の帰還かい? 随分と面白いネタを持ってきたみたいだね」
「まぁね」
フィオナは帳簿をテーブルの上に広げる。
「リューエン商会の取引先の一部がダミー会社だ。そして、その先に繋がるのは——“魔導薬の貿易”だよ」
「魔導薬……?」
ダリウスが顔をしかめる。
「なるほどな……あの手の違法薬は、“医療”と“軍事”の両方で利用される」
「そういうこと」
フィオナは軽く肩をすくめた。
くるくると指でペンを回し、帳簿を指で叩く。
時折考えるような素振りを見せながら、冷静な口調で続けた。
「でさ、普通なら、この流れは“軍の施設”か“前線の医療拠点”に繋がるはずなんだ」
「……つまり?」
ダリウスが腕を組む。
フィオナは地図を広げ、いくつかの地点を指差した。
「ラント帝国の軍医療機関、最前線の野戦病院……それに、都市部の軍医局。
どれも、軍需品の流通先としては筋が通る。でもさ」
彼女は指を止め、ある一点を示した。
「この“修道院”が物資を受け取ってるのは、明らかにおかしい」
【理由①】——修道院は“軍の管理下”ではない
「修道院ってのは、基本的に“宗教財務庁”の管轄だろ?」
グレイスが頷く。
「そう。王国の財務管理機関とは別に、修道院の資産は“宗教財務庁”が取り仕切る。
軍の監査は直接及ばないはず……ってことは、そこに“軍需品”が流れてるのは確かに妙だね」
「でしょ?」
フィオナは指を鳴らした。
「軍需品の流通には“中央管理局”の監査が入る。正規のルートなら、物資は軍の施設に行くはず。
でも、なぜか“軍需品”の一部が、この修道院に流れてるんだ」
ダリウスが低く唸る。
「つまり……修道院は“監査の隙間”にある」
「そういうこと」
フィオナは頷く。
「軍の倉庫から直接持ち出せば監査に引っかかる。でも、修道院に回すなら話は別。
“宗教財務庁”の管轄に入った時点で、軍の監査対象から外れるのよ」
「うまいこと考えたな……」
ロッティが腕を組む。
「修道院を経由することで、魔導薬を“合法の軍需品”から“非合法な流通品”に変えられるってわけか」
【理由②】——修道院の資金が“異常に増えている”
フィオナは帳簿のある項目を示した。
「あと、この修道院の“資産報告”を見てみなよ」
グレイスが覗き込み、眉をひそめる。
「……確かに、寄付金の額が異常に増えてるね」
「おかしいでしょ? 修道院の運営資金って、基本的に“信徒の寄付”が中心。
なのに、短期間でこんなに資産が増えるなんて不自然すぎる」
ダリウスが目を細める。
「要するに、資金洗浄の可能性が高いってことか」
「そういうこと」
フィオナは悪戯っぽく微笑む。
「表向きは“寄付金”として処理すれば、どこから資金が入ってきたのかなんて簡単にはバレない。
実際には横流しされてきた軍需品を“何らかの形”で売り捌き、そこで得た資金を財政管理を通じて保管してると思うんだ」
【理由③】——“特定の修道院”だけが対象になっている
フィオナはさらに続けた。
「しかも、この資金の流れ、すべての修道院が関与してるわけじゃない」
エンツォが帳簿を確認しながら口を挟む。
「確かに……資金の流入が異常なのは、一部の修道院だけだな」
「その通り。特定の修道院だけが“大口の寄付”を受けてる」
ロッティが疑問を口にする。
「でもさ、それってたまたま裕福な貴族が支援してるだけなんじゃないの?」
「いや、違うね」
フィオナは即座に否定した。
「金の動きが不自然すぎる。修道院への寄付金が増えた時期と、魔導薬の取引が活発になった時期がピッタリ一致してる」
「……それは確かに怪しいな」
エンツォが目を細める。
「つまり、修道院を“経由地”にして、魔導薬の資金を別のルートに流してる可能性が高い」
「うん。それなら、貴族派の資金の流れを把握しやすくなる」
フィオナは帳簿を閉じ、腕を組んだ。




