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第107話




交易市場を抜け、細い路地へと足を踏み入れると、空気が一変した。

石畳は剥がれかけ、建物の壁はくすんだ色をしている。

日が当たりにくいこのエリアは、貧しい者たちの住処でもあった。


フィオナは足音を抑え、目の前を歩く少年――エリオの後を追った。

彼は何度も周囲を警戒するように振り返るが、フィオナの存在にはまだ気づいていない。


「……さて、どこへ向かってんのかね」


市場の喧騒が遠ざかるにつれ、静寂が広がる。

時折、建物の隙間から猫の鳴き声や、人々のかすかな話し声が聞こえてくるだけだ。

ここは、ベルナーク交易市場の“裏側”——光の届かない場所。


最近になって、この街で“魔導薬”の取引が急激に増えている。

魔導薬そのものは珍しいものではないが、違法なルートを通じて流通する量が、明らかにおかしい。


「……何か、あるな」


フィオナは目を細めた。


エリオはやがて、とある建物の前で足を止めた。

それはかつて倉庫だったようだが、今は使われていないらしく、朽ちかけた扉が半開きになっていた。

周囲に人気はなく、ひっそりとしている。


エリオはキョロキョロと周りを見回し、慎重に中へと入っていった。


フィオナは建物の影に身を潜め、数秒待つ。

そして、彼が完全に中に消えたのを確認すると——そっと足を踏み出した。


「ま、ちょっと覗いてみるか」


扉の隙間から、そっと中を覗き込む。

そこには、エリオの他に数人の子どもたちが集まっていた。

彼らはみな、薄汚れた服を着て、怯えたような顔をしていた。


そして、その中心には——


黒いコートを纏った男がいた。


フィオナの眉がピクリと動く。


「……あいつ、誰だ?」


子どもたちは男の前に立ち、順番に何かを手渡していた。

金だろうか、それとも……?


男は静かに受け取り、低い声で何かを囁く。

エリオの番が来ると、彼は怯えながら、小さな袋を差し出した。

男はそれを確認し、満足そうに頷く。


「やっぱり、ただの遊びじゃなさそうだね」


フィオナは息を潜めながら、じっくりと様子を伺う。


この取引——ただならぬ匂いがする。




「……ったく、どうしてこうも胡散臭い連中ってのは、分かりやすいんだかね」


フィオナは建物の影に身を潜め、慎重に耳をすませた。


黒いコートの男が、子どもたちの手から金や小さな袋を受け取っている。

その様子は、まるで市場で日用品をやり取りする商人のようだ。


「これで……いいんだろ?」


エリオの声が震えていた。

彼は男に向かって小さな布袋を差し出す。


男はそれを受け取り、中身を指で弄りながら微かに笑った。


「悪くないな。よくやった」


子どもたちは緊張した面持ちで、男の次の言葉を待っている。


「次の仕事は、明日の夜だ」


男が低く囁いた瞬間、フィオナの眉がピクリと動く。


仕事——?


この子どもたちが、ただの施しを受けているだけじゃないことは分かっていた。

しかし、どうやら彼らは“働いて”いるらしい。


「……さて、そろそろ突っ込むかね」


フィオナは大きく息を吸い込み、肩を回した。


いくら慎重に様子を見ていたところで、確かな情報は得られない。

なら、直接聞くまでだ。


フィオナは躊躇なく影から身を乗り出した。


「おやおや、楽しそうな集まりじゃないか」


ガコンッ!!


フィオナの靴が古びた扉を蹴り開ける音が、静寂を破る。

子どもたちは驚いて身をすくめ、男はすっと目を細めた。


「……お前は?」


「ただの通りすがりさ。でもさ、こういうのって、だいたい知りたくなるもんでね」


フィオナは両腕を組み、堂々と男の前に立つ。


エリオは驚愕した表情でフィオナを見つめていた。


「フィ、フィオナ……! なんで……」


「んー? ちょいと気になっちゃってさ」


黒いコートの男は、じっとフィオナを見つめていた。

まるで彼女を品定めするように、ゆっくりと視線を這わせる。


「……なるほどな」


男は鼻で笑い、ゆっくりと後ろへ下がった。


「いいだろう、せっかくだ。お前にも“取引”の話を聞かせてやろう」


フィオナは目を細める。


何かが始まる——そんな直感が、背筋をぞくりと駆け抜けた。




「……取引?」


フィオナは腕を組んだまま、じろりと男を見下ろした。


黒いコートの男は涼しい顔でフィオナを眺め返す。

彼の目は、まるで相手の心を見透かすように冷ややかだ。


「そうさ」


男はゆっくりと手を広げ、にやりと笑った。


「ここの子どもたちは、ただの浮浪児じゃない。彼らは立派な”労働者”だよ」


フィオナの眉がピクリと動く。


「……冗談じゃないね。あんた、ガキどもをこき使ってるってわけ?」


「こき使う? それは心外だな。私はただ、彼らに”生きる術”を教えているだけさ」


男は手をひらひらと振りながら言う。


「今のベルナークは、何でも金がなけりゃ生きていけない。人間は”価値”がなければ、簡単に捨てられる。お前だって、分かってるだろ?」


フィオナは無言で男を睨む。


確かに、ベルナーク交易市場は金の街だ。

人も物も、金がなければ見向きもされない。

弱者は淘汰され、“使える者”だけが生き残る——それが、この街の現実だった。


「だからって、子どもを利用していい理由にはならないね」


フィオナは腰に手を当て、男を睨みつける。


「ガキどもは、何を運ばされてんだ? まさか——」


「言うまでもないだろう?」


男はフィオナの言葉を遮りながら、ポケットから小さな袋を取り出した。


「“ブルー・ダスト”だ」


フィオナの目が細まる。


ブルー・ダスト——それは、この街で密かに流通している幻覚作用を持つ魔導薬のことだ。


過剰摂取すれば神経を蝕み、ついには廃人になってしまう。

しかし、一度手を出せば抗えないほどの強烈な依存性を持つ”危険な粉”だった。


「……クソが」


フィオナは舌打ちをする。


子どもたちが運ばされていたのは、やはり違法な魔導薬だったのだ。


「どうする?」


男はニヤニヤと笑いながら、フィオナを見つめる。


「見逃してもいいんだぜ? あんたには関係のない話だろ?」


フィオナは一歩前に出た。


「……アンタが何者かは知らないけど、“商売”ってのはルールがあるもんだ」


拳を握りしめ、笑みを浮かべる。


「……あたしは”情報屋”さ。この街で何が起きてるか、誰がどんなことをしてるか、知らないままじゃいられないタチなんだ」


そして、次の瞬間——


フィオナは迷いなく、男の胸ぐらを掴んだ。


「ちょっと話を聞かせてもらおうか?」


周囲の子どもたちは息をのむ。


男の笑みが、ゆっくりと消えた。




ベルナーク交易市場の喧騒は、夜になっても消えなかった。

それどころか、昼間よりも賑やかにすら感じる。


だが、フィオナが今いる場所は、そんな賑わいから離れた市場の裏手だった。

ひと気の少ない小路。

湿った土の匂いと、漂う酒精の香り。


目の前の男は胸ぐらを掴まれたまま、まだ余裕の笑みを浮かべている。


「……随分と気の荒いお嬢さんだな」


「アンタがのんきだからさ」


フィオナは男を睨みつける。


「情報屋にケンカ売るってことは、自分の”シマ”をぶっ壊す覚悟があるってことだろ?」


「はは、そうカリカリするな」


男はゆっくりとフィオナの手を払いのける。

力でねじ伏せるつもりはないらしい。


「俺はただ、稼ぎたいだけさ。お前もそうだろ?」


「……なるほどね」


フィオナは腕を組んだまま、ふんと鼻を鳴らす。


「つまり、あんたは”流通の一端”を担ってるってわけか」


「取引がなければ経済は回らない」


男は肩をすくめた。


「お前みたいな情報屋には、こういう”裏”の話も回ってくるんじゃないのか?」


「ま、そうだけどね」


フィオナはちらりと周囲を見回す。

路地裏にひそむ影。

どこかの建物の二階から、こちらを伺う視線。


どうやら、こいつ一人ってわけじゃなさそうだ。


「で?」


フィオナは目を細めた。


「アンタのボスはどこにいる?」


「……さあな」


男はとぼけたように笑う。


「俺はただの仲介役さ。“本物”に会いたいなら、それなりの代償を払う必要がある」


「代償?」


「情報ってのは、タダじゃないんだよ」


男はポケットから小さな紙片を取り出し、フィオナに差し出した。


「もし”本物”に会いたいなら、ここに来るといい」


紙にはとある酒場の名前と、刻まれた時刻が記されていた。


そしてその「場所」は、フィオナもよく知っている場所だった。


「……いいのか?こんな簡単に教えて」


「お前のことは“ボスから聞いてる”からな」


男は意味深な笑みを浮かべる。


「ここで尻尾を巻くか、それとも踏み込むか——お前次第だ」


フィオナは紙を受け取ると、無言でポケットに押し込んだ。


「……面白くなってきたね」


口元に笑みを浮かべ、背を向ける。


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