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第104話




「部屋の換気、まずはそこから始めましょう」


オリカの言葉に、エリーゼとルシアンは素早く窓を開けた。


室内にはこもった湿気と微かにカビのような匂いが漂っていた。


「……あんまり空気が循環してないな」


ルシアンが鼻をひくつかせながら呟く。


「それが問題なの。空気が滞ると、細菌やウイルスが部屋の中に留まって、感染が広がる原因になるのよ」


オリカは換気の重要性を説明しながら、寝台の周囲に湿布用の薬草を用意し始めた。


「これ、何の葉っぱ?」


エリーゼが手に取ったのは、ユーカリに似た香りのする葉だった。


「肺の炎症を抑えて、呼吸を楽にする効果がある薬草よ。それを煮出して、蒸気で吸入させるの」


オリカは薬草を煎じ、湯気が立ち昇る陶器の器をギルバートの枕元に置いた。


「これで呼吸が楽になるはず。エリーゼ、少しずつ彼の顔に湯気を当ててあげて」


「わかった」


エリーゼはそっと器を傾け、ギルバートの鼻先へと蒸気を送る。


微かに動かなかった彼のまぶたがピクリと反応した。


「……すぅ……はぁ……」


かすかに、呼吸が深くなったのがわかる。


「少し楽になったみたいね」


オリカはほっと息をついた。


「次は、炎症を抑える薬を作るわ」


オリカは診療カバンから数種類の薬草を取り出した。


その中には、抗炎症作用を持つ「フィオナの聖草」の乾燥葉もあった。


「これは肺の炎症を抑える効果があるの?」


ルシアンが興味深そうに覗き込む。


「ええ、でもそれだけじゃない。免疫力を高める作用もあるから、結核に近いこの病には有効なはずよ」


オリカは薬草を細かく刻み、乳鉢で粉末状にすりつぶした。


そこに蜂蜜を混ぜてペースト状にし、ギルバートの口元へと運ぶ。


「少しずつ飲ませてみるわ」


スプーンで薬をすくい、ギルバートの唇にそっと押し当てる。


最初は動かなかったが、次第に彼の喉が小さくごくりと動き始めた。


「……飲んだ」


エリーゼが驚いたように囁く。


「意識がはっきりしなくても、体は生きようとしてるのよ」


オリカはギルバートの顔を見つめた。


彼の表情はまだ苦しげだったが、確かに生気を取り戻しつつあった。


——ここからが本当の治療の始まりだ。


「ルシアン、もう一つ頼みたいことがあるんだけど」


「何だ?」


「この屋敷の食事を調べてほしいの。結核に似た症状が出ている以上、栄養不足が関係している可能性が高いわ」


「栄養?」


「うん。この病気は免疫力が低下すると発症しやすくなるから、食事の栄養バランスも重要なのよ」


オリカの言葉に、ルシアンは頷き、屋敷の厨房へと向かった。


——今できることを、一つずつ確実にやるしかない。


ギルバートを救うことができれば、商人ギルドとの関係も変わるかもしれない。


だが、それ以上に、オリカは「目の前の命を助ける」ことに全力を尽くすつもりだった。




「……ゴホッ……ゴホッ……!」


ギルバートの体が大きく揺れる。


痩せ細った胸が波打つように上下し、苦しげに息を吸い込む音が聞こえた。


その咳は深く、湿っていて、時折血混じりの痰が吐き出される。


「……オリカ、これ……」


エリーゼが差し出した布には、赤黒い血の跡が点々とついていた。


「喀血……やっぱり肺の損傷が進行しているわね」


オリカはギルバートの肩にそっと手を置いた。


その瞬間、ギルバートの瞼が震え、濁った目がゆっくりとこちらを見た。


「……見えている?」


オリカが問いかけると、ギルバートは微かに瞬きをした。


それは「はい」とも「いいえ」とも取れる、曖昧な返答だったが、少なくとも彼は意識を保っているようだった。


「……水を飲みましょう」


オリカは手早く器に水を注ぎ、スプーンですくってギルバートの唇に運ぶ。


少しずつ口を開き、喉がわずかに動くのがわかった。


「……ゆっくりで大丈夫ですよ」


彼女の声は柔らかかった。


病に伏せる者にとって、何よりも必要なのは安心だった。


「……ゴホッ……っ……ゴホッ……」


水を飲み込むと同時に、再び激しい咳が襲ってきた。


ギルバートは苦しげに胸を押さえ、荒い呼吸を繰り返した。


「大丈夫、楽にしてください」


オリカは優しく背中をさすりながら、エリーゼに目配せする。


「エリーゼ、加湿器代わりの蒸気をもう少し近づけて」


「わかった」


エリーゼは薬草を煎じた陶器の器をギルバートの枕元に置き、手でそっと湯気を仰いだ。


「……ゴホッ……ゴホ……」


咳はまだ止まらない。


だが、少しずつ落ち着きを取り戻しているのがわかった。


「……いいですね、呼吸が楽になってきましたか?」


オリカの問いに、ギルバートはまた微かに瞬きをする。


——伝わっている。


オリカは確信した。


ギルバートは声を出すのが辛いだけで、意識ははっきりしている。


「……ヴィクトールが、あなたを心配していました」


その言葉に、ギルバートの瞳がかすかに揺れた。


「……知ってるんでしょう? 今、ロストンの情勢がどうなっているのか」


ギルバートはまばたきをしながら、ゆっくりとまなじりを下げる。


まるで「わかっている」とでも言うように。


「……なら、あなたが生きなきゃ」


オリカの手が、そっとギルバートの手の上に重ねられる。


「ロストンのためとか、貴族との戦いとか、そういうのは今は関係ありません。

あなたが生きて、ご飯を食べて、外の空気を吸って、また仕事ができるようにならなきゃいけない。——そのために、私たちはここにいます」


ギルバートの指先が、わずかに動いた。


「……ゴホッ……」


言葉にはならない。


けれど、その視線が少しだけ穏やかになったように感じた。


「まずは、体力を戻しましょう。そのために、できることをひとつずつ」


オリカは微笑みながら、ギルバートの毛布を少し整えた。


「あなたを助けたい。だから、信じてください」


その言葉に、ギルバートの目が僅かに細められる。


ほんのわずかだが、彼の中に何かが芽生えたように見えた。



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