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第102話




市場の中央。



男は依然として意識が朦朧としていた。


——時間がない。


症状は一時的に落ち着いたものの、根本的な治療には程遠い。


「……やむを得ないわ」


オリカはそう呟くと、周囲を見渡した。


商人たちは一様に冷めた目でこちらを見ている。


「診療所の薬が原因かもしれない」


その根も葉もない疑念が、今も彼らの心に渦巻いているのがわかった。


——信頼を得るのには時間がかかる。

——だが、失うのは一瞬。


オリカは歯を食いしばる。


この場で「魔法」を使えば、さらなる不信感を生むかもしれない。


けれど——


目の前の命を救うことを、諦めることはできなかった。


「ルシアン、エリーゼ、協力して」


ルシアンが息を呑んだ。


「……本当にやるのか?」


「ええ。これは賭けよ」


「——わかった」


エリーゼは静かに頷き、杖を構えた。


オリカは男の体に手をかざし、マナの流れをスキャンする。


——黒い靄のようなものが、彼の体を蝕んでいる。


これは単なるアレルギー反応ではない。


魔法的な要素を含んだ毒だ。


オリカは確信した。


「エリーゼ、浄化の補助をお願い。私は体内の毒を排出する」


エリーゼが魔法陣を展開する。


《大地の循環テラ・リファイン


大地のエネルギーを利用し、毒素の流れを緩和する補助魔法だ。


——しかし、商人たちのざわめきが広がる。


「魔法を……使ってる……?」


「おいおい、治療って言ってたのに、結局魔法かよ」


「やっぱり診療所の治療は信用できねぇ……」


オリカは動揺を振り払い、集中する。


今は何を言われようと、この男を救うことが最優先。


男の胸元に手を置き、慎重に魔力を送り込んでいく。


毒素の浸食は内臓にまで及んでいた。


——魔法による「解毒」の原理は単純ではない。


異物を無理やり排出するのではなく、体の代謝機能を活性化させ、自然治癒力を引き出す。


負荷をかけすぎれば、逆に内臓を傷つけてしまう。


「……少しずつ、少しずつ……。」


慎重に魔力を巡らせながら、毒素の排出を促していく。


——その時だった。


「やめろ!」


低い怒声が響いた。


「……っ!」


オリカが顔を上げると、市場の長老格の商人が険しい顔でこちらを睨んでいた。


「これ以上、訳のわからん魔法を使われたら困る。お前らのやってることがどんな影響を及ぼすか、誰が保証する?」


「……!」


商人たちがざわめく。


——疑念が、確信へと変わりつつあった。


「魔法っつったって、噂によれば、アイツの“魔法”はヴァルキア帝国のものだって噂だぜ?」


「結局、あいつが死んだらどうする?」


「責任は取れるのか?」


「……っ!!」


オリカは唇を噛みしめる。


わかっていた。


魔法に対する文化は根強い。


「魔法医療」が確立されているこの世界では、魔法での治療は「既知のもの」であり、同時に科学的な根拠に乏しい「手段」の1つだった。


「私たちは、彼を助けようとしているだけです」


オリカの言葉に、商人たちは揺れる。


しかし——


「ならば証明しろ。お前たちのやり方が、本当に正しいということを」


その言葉に、オリカは言葉を失った。


「証明……?」


「そうだ。誰もが納得できる形でな」


市場の商人たちの視線は冷たかった。


オリカはゆっくりと男の方を向く。


——命を救うことと、人々の信頼を得ることは、必ずしも一致しない。


このままでは、診療所の信用はさらに失墜するだろう。


それでも——


「……私は、彼を助けます」


オリカは決意を固め、男の治療を続けた。


それが、どれだけのリスクを伴うものだとしても。







市場に広がる緊張感。


商人たちの視線は依然として冷たい。


「お前たちの治療が本当に安全なのか、証明しろ」


それが、今ここで突きつけられた課題だった。


オリカは迷わず治療を続けているが、彼らの不信感を完全に拭い去ることはできていない。


「ルシアン、水を」


「ああ!」


ルシアンが差し出した水を、オリカは慎重に男の口元へと運ぶ。


——解毒の効果を確認するためには、まずは体内の循環を促さなければならない。


症状を恢復するにはまだ時間がかかる。


…かといって、魔法を無闇に使えば、かえって印象を悪くしてしまう可能性もある


…せめて、診療所に運び、症状を確認できる時間を作れれば…



オリカは男の状態を観察しながら、改めて市場の商人たちを見渡した。


「私たちは……患者を助けることしか考えていません」


静かに、けれどはっきりとそう告げる。


「治療に魔法を使ったのは、他に手段がなかったからです。ですが……もしあなたたちが納得できないのなら、診療所で彼の経過を見守る機会を作ります」


「……経過?」


商人の一人が眉をひそめる。


「ええ。何が起こるか不安なのは理解しています。ならば、彼の回復を“目で見て”判断してください」


オリカの言葉に、一瞬、沈黙が落ちる。


「私たちは患者を助けることしか考えていません。ですが、もし納得できないのなら、診療所で経過を——」



「——もういい」



その声が割って入った瞬間、オリカは背筋が凍るような感覚を覚えた。


商人たちが道を開くように、一人の男が歩み出る。


彼は仕立てのいい衣服をまとい、洗練された立ち居振る舞いをしていたが、冷たい笑みを浮かべていた。


「この患者は修道院に引き取る。我々が適切に治療を施す」


貴族派の人間——修道院の高官だった。


オリカは眉をひそめる。


「ちょっと待って。彼の治療はまだ——」


「貴族派の医師団と修道院の司祭が診る。お前たちのような得体の知れぬ者に任せるわけにはいかない」


修道院——それは、貴族派が医療を独占するための拠点ともいえる施設。


表向きは「病人を癒し、庇護する」場所だったが、実際には“信頼に値する者”しか入ることが許されない閉鎖的な機関だった。


「……それでは、彼の状態が悪化する可能性があります」


オリカは静かに言った。


「今、私たちが経過を見なければ——」


「君たちの医療は“異端”だ」


修道院の高官は、冷たく言い放つ。


「魔法を使った治療は、神聖なる教えに反する。君たちがどれほど善意を語ろうと、ロストンの伝統にそぐわないのなら、それは“正しい”とは言えないのだよ」


「そんな理屈——!」


ルシアンが食ってかかろうとするが、オリカはそっと手を伸ばし、制止した。


「……彼の回復を見守ることすら、許されませんか?」


「当然だ」


修道院の高官は淡々と言った。


「我々が責任を持って診る。何も問題はないはずだ」


——これは明らかな“診療所潰し”だ。


患者を回復させる機会すら奪い、その信頼を完全に貴族派のものにするつもりなのだ。


「オリカ……」


エリーゼが小さく囁く。


「……どうするの?」


オリカは拳を握る。



その時——


「ふざけるな!!」


鋭い怒声が市場に響いた。


オリカが驚いて振り向くと、そこにはルシアンがいた。


目を見開き、拳を握りしめ、全身を震わせながら修道院の高官を睨みつけている。


「お前らが今までどれだけの人間を見殺しにしてきたか、知ってんのか!?」


その一言に、場が凍りつく。


「“伝統”って言葉を盾にして、患者を助けるチャンスを奪うことが正義なのか!? ふざけるな……ふざけるなよ……!」


ルシアンは歯を食いしばりながら叫ぶ。


「オリカは、本気で人を助けようとしてるんだ……! 目の前の命を救おうとしてるんだ!!」


彼の拳は震えていた。


「俺は知ってる。ずっと間近で見てきたから……コイツは、誰かを助けるために全力を尽くしてる」


商人たちが息を呑む。


「そんな奴を、“得体が知れない”だと……? だったらお前らは何なんだよ! 目の前で苦しんでる人を助けずに、政治の道具にしてるだけじゃねぇか!!」


ルシアンの叫びに、周囲の空気がざわめき始める。


商人たちの間で、疑問の声が上がり始めるのがわかった。


「……確かに、診療所で助かった人間は少なくない」


「でも、修道院の医療が正しいって決めつけるのもおかしいよな……」


「本当に患者を助ける気があるなら、診療所の治療を受けさせてもいいはずだ」


人々のささやきが、徐々に波紋を広げていく。


修道院の高官は、それを感じ取ったのか、顔色を変えた。


「……君たちの言い分は聞いた」


「だが、君たちが“正しい行いをしている”という証拠はどこにある?」


オリカは息を飲んだ。


「証拠……?」


「そうだ。お前たちは“医療”とやらを掲げているが、そもそもこの街には伝統的な治療がある」


修道院の高官は周囲を見回すようにしながら、静かに言葉を重ねた。


「診療所の治療が本当に正しいと言うならば、その“医学”とやらが我々の施術より優れているという証明をしてもらおう」


「……っ!」


「君たちは魔法を用いた治療を行うというが、それが人体にどのような影響を与えるか、君たち自身もまだ完全には理解していないのではないか?」


オリカは言葉に詰まる。


「それに、診療所で治療を受けた者が、後に奇妙な体調不良を訴えたという噂も聞く。これも偶然か?」


「そ、それは——」


「つまり、君たちは“実験”をしているだけに過ぎないのではないか?」


オリカの胸の奥が、ズキリと痛んだ。


「そんな言いがかり……!」


ルシアンが思わず声を荒げる。


「オリカは、目の前の人間を助けてるだけだ! それの何が悪いっていうんだ!?」


修道院の高官は、冷ややかにルシアンを見つめる。


「ほう……熱いな。」


「事実だろ!」


「では聞こう」


高官は、一歩前に出た。


「君たちは“病を診る者”としての資格を、誰から得た?」


「……!」


「我々は王国の公認を受けている。そして、修道院の医療は長年の実績と伝統がある。君たちは何をもって、それと対等に語るというのだ?」


ルシアンは、言葉を詰まらせる。


「知識と技術……だろ……!」


「なるほど。しかし、技術というのは独りよがりでは成り立たないものだ。“信頼”があって初めて、それは力となる」


オリカは拳を握る。


「今、あなたは人を助けようとする行いを否定している」


「否定しているのではない。我々がこの街を守るために行っている正当な手段を、確立しようとしているだけだ」


高官の口調は落ち着いていた。


「君たちがどれほど医療の正しさを語ろうと、それを決めるのは“市民”ではない。我々だ」


「……っ!」


「それでも、どうしてもと言うのなら、商人ギルドの代表を交えた上で、この件を審議することにしよう」


「審議……?」


「そうだ。議会を開き、君たちの“医学”とやらが、本当にロストンに必要なのかを判断する」


オリカは驚愕した。


まるで、すべてが仕組まれていたかのように——。


「それまでは、我々が責任を持って患者を預かる」


高官は静かに言い放った。


オリカが抗議しようとしたその瞬間、数人の修道院の従者が現れ、患者を担ぎ上げる。


「待て!」


ルシアンが掴みかかろうとしたが、エリーゼが彼を止めた。


「……今は、下手に動かない方がいいわ」


「でもッ……!」


「ここで騒げば、診療所の信用を落とすことになる」


オリカは悔しさで唇を噛み締めるしかなかった。


目の前で、助けた患者が連れ去られていく。


それを、ただ見送ることしかできなかった。


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