第96話
ロストン中央広場——
そこは市場が立ち並び、人々が行き交う街の心臓部だった。
朝から活気に満ちたこの場所に、オリカたちは簡易的な診療所のブースを設置していた。
「本当にここでやるのか……?」
ルシアンは半信半疑の表情を浮かべながら、テーブルに並べられた医療道具を見つめた。
「やるわよ!」
オリカは診療用の布を広げながら答える。
「これだけ人が集まる場所なら、自然と“興味”を持つ人が出てくるはず。まずは“話を聞いてもらう”ことが大事なのよ」
「しかし、効果があるとは限りませんね」
エリーゼは冷静な表情で周囲を見渡した。
「ここ最近、診療所に対する噂は広まっています。市民の警戒心を解くには、それなりの時間がかかるでしょう」
「それでもやる価値はあるわ」
オリカは力強く頷いた。
「私たちの医療が“本物”だってことを、実際に見せればいいのよ!」
◆◆◆
最初は、誰も近寄ろうとはしなかった。
市民たちは遠巻きにオリカたちを眺め、ひそひそと何かを話している。
「やっぱりダメか……」
ルシアンがぼそりと呟く。
「まだ始まったばかりじゃない!」
オリカはポジティブに返すが、さすがに心の中では焦りを感じていた。
そんな時——
「すみません、ちょっと見てもらえますか?」
最初の来訪者が現れた。
それは腰をさすりながら歩いてくる、初老の男性だった。
「最近、腰が痛くてな……。医者に行こうかと思ったが、高くてな……」
「どうぞ、こちらに座ってください!」
オリカは笑顔で促し、診察を始める。
男性の腰を軽く押してみると、硬く凝り固まっているのがわかった。
「これは……長年の負担が原因ですね」
オリカは男性の背中をさすりながら説明する。
「日常の動作の中で、腰に負担がかかる姿勢をしていませんか?」
「うーん、確かに……。最近は重い荷物を運ぶことが多くてな……」
「なるほど、それが原因ですね」
オリカは現代医学の知識を活かし、簡単なストレッチや改善策を伝えた。
「毎日これをやってください。それと、腰を冷やさないように気をつけて」
「おお……。こんな簡単なことで、良くなるのか?」
「はい、ただし継続が大切です!」
初老の男性は驚いたように頷き、笑顔を見せた。
「ありがとう、お嬢ちゃん!」
そして、その様子を見ていた他の市民たちが——少しずつ興味を示し始めた。
◆◆◆
「……来たぞ」
ルシアンが呟いた。
最初の患者の診察が終わった途端、周囲にいた市民たちが次々とブースへと歩み寄ってきたのだ。
「私も診てもらっていいかしら?」
「俺、最近頭痛がひどくて……」
「ちょっと聞きたいことがあるんだけど……」
次々と市民たちが集まり始めた。
「よし……!」
オリカは小さく拳を握りしめる。
少しずつ、確実に信頼を取り戻す——。
公開相談会を始めて数時間が経った頃、オリカたちのブースには絶え間なく人が訪れるようになっていた。
「次の方、どうぞ!」
オリカは手際よく患者をさばきながら、一人ひとりに丁寧な診察を行っていく。
「先生、最近子どもが夜になると咳をするんですが……」
「それはたぶん、寝る時に部屋の空気が乾燥しすぎているのかも。加湿を心がけてみてください。あと、このハーブティーを飲ませると気管が楽になりますよ」
「ほ、本当に!? ありがとう!」
市民たちの顔には次第に笑顔が増え、オリカの診察を受けた者たちが、その場で知り合いや家族を呼んできて、さらに人が集まり始める。
「おい、ここで診てもらえるって本当か?」
「うちの婆さんが膝を痛がってな、ちょっと診てやってくれないか?」
「先生、うちの赤ん坊が最近よく泣くんですが、どうしたらいいでしょう?」
オリカは、患者一人ひとりの話をしっかりと聞きながら、それぞれの症状に応じた治療法を考え、丁寧に説明していく。
エリーゼとルシアンも手伝いながら、必要な道具や薬草を準備し、診察を円滑に進めていた。
「オリカ、もう診た患者は軽く30人を超えたわよ」
エリーゼが手早く帳簿をまとめながら言う。
「すごいな……こんなに人が来るなんて思わなかった」
ルシアンは、驚きつつも、どこか誇らしげに呟いた。
「ふふ、いいことじゃない!」
オリカは汗を拭いながら、診療台に座る次の患者に向き合った。
◆◆◆
日が傾き始めた頃、公開相談会は一旦終了となった。
「ふぅ……さすがに疲れた……」
オリカは腰を伸ばしながら、伸びをする。
「これだけの人を診たんだ、無理もないな」
ルシアンも隣で大きく息を吐いた。
「でも、すごいことよ」
エリーゼが言った。
「今日だけでこれだけの人が訪れたということは、それだけ“医療”が求められている証拠。そして、あなたの治療が確かだと感じた人たちは、今後もあなたを頼るようになるでしょう」
「……そうだね」
オリカは小さく微笑んだ。
「でも、これだけで満足してるわけにはいかないわ。この先も続けていかなきゃ」
「そうなると、もっと場所を広げたり、体制を整えたりする必要があるな」
ルシアンは腕を組んで考え込む。
「それに……あの噂も気になる」
エリーゼが、少し険しい顔をした。
「診療所の評判が上がるのはいいことだけど、裏で“何か”が動いている気がするわ」
「……確かに」
オリカは、少し前から感じていた違和感を思い出した。
——妙な視線。
——商人たちの態度の変化。
——市場の動きの鈍さ。
何かが起きている——それだけは確かだった。
「……とにかく、できることをやるしかないね」
オリカは立ち上がると、拳を握った。
「医療の知識を広める。本を作る。それができれば、きっと……」
彼女の目の中には、揺るぎない決意が宿っていた。